明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

ネガティブ・プロパガンダの功罪

2018-07-17 21:35:34 | 今日の話題
ネガティブ・プロパガンダがネット社会では一番受ける、という風潮が蔓延してきた。去年から目立つのが社会的バッシングや炎上記事が日常茶飯事になり、多くの政治家・有名人が表舞台から引きずり降ろされて消えていった。これはある意味、社会の欲求が犠牲者を求めていった結果である。人々は権力者や人気者の凋落する姿を見て、不平不満のガス抜きをしているに過ぎないのだ。それが政治の一手法であることに気づかない。これがポピュリストの台頭につながり、独裁政治へと歴史の歯車を動かしていくことにつながるのではないか、というのが私の考えたことである。既にその動きは加速しているとも言える。

他人のすることに難癖をつけて攻撃するというのは、言わば自分は安全なところにいて相手を「一見正論」でもって非難し、一切の反論を許さず、多数決という民主主義の「錦の御旗」を振り立てて議論を封殺する、ネット時代の最もお手軽な娯楽である。もはや何に難癖をつけるかは問題ではない、皆が待ち望んでいるショーなのである。ローマ時代の大衆が歓喜の大合唱で迎えた見世物が実は剣闘士の命をかけた死闘であるという点に、大衆の娯楽というものの本質をよく表している。剣闘士本人は生きるか死ぬかの戦いを強いられているのに、観客はそのことに無関心で大騒ぎして楽しんでいるのだ。これがネット社会で再現されている。

私もブログを書いていると、ふとこの「袋叩き」の構図に組み込まれていることがある。他人を叩くのは簡単だし気分も高揚して「アクセス数も上がる」から、何か正しいことをしたような気分になるのだ。だが果たしてこれが何かの価値を生み出して社会に貢献することなんだろうか。ネガティブ・プロパガンダは政治利用されることの多い手法である。もともとテレビのワイドショーなどは話題を提供して議論を喚起するということよりも、「何かを叩く喜び」を見つけてきてはネガティブ集団の中に放り込むことを生業にしている娯楽提供業者である。我々はコロッセウムに続々と参集する血に飢えた大衆のように、哀れな剣闘士が殺されるのを喝采で迎える狂気の集団になってしまったのだ。これが現在のネットの現実である。

安倍政権の長期化が予測される政治状況のなかで、森友・加計学園問題は何も解決せずに消えてしまいそうだ。分かりやすい個人的なゴシップやマナー違反は徹底的に糾弾するのに、政府の隠し事や嘘については「自分たちに関係ない」として無関心になるこれらのネット批判者達は、結局のところ何をしたいのだろうか。一見すれば不倫やセクハラは政治の「結果を求めるバランス感覚」からすれば、個人的過ぎてバランスを取るべき国民へのメリットがないとも言える。だからといって組織防衛のために忖度し嘘で塗り重ねるような公務員の変質を国民への重大な犯罪として糾弾しなければ、いずれそのツケが「しっぺがえし」として自らの上に降り掛かってくるだろう。歴史は繰り返す。

だから私はこう考えた。他人を批判するのは「その人の意見を否定する」ことではなく、その人の考え方が「間違っていることを理論的に証明する」ことが出来た場合にのみ、批判することは「一つの論証ステップ」として受け入れても良いだろう。堅苦しい言い方を改めれば、「〇〇はこう言っているが、それは次の3つの点で間違っている云々」という証明である。そしてこれが最も大事なことだが、最後に「結論として、〇〇が正しい。その理由はこうである云々」と、正解を理路整然と説明して終わるのだ。自分の意見(とその理由)を言わない批判は、ただの悪質な誹謗中傷でしかない。それは議論する相手への敬意を欠いているからである。

スポーツの世界でも大事なこととされているこの「敬意を払う」という行為は、実は人間関係を円滑に進める約束でもある。個人が一人の社会人であると認められることは、この「敬意を払う」ことが出来るかどうかにかかっているとも言えるのではないだろうか。私はこれからもブログを書き続けていくだろうが、この敬意を払う姿勢を貫くことだけは守っていきたいと思う。これは皆さんにとって何の役にも立たない決意表明であるが、重要な点であるので言っておきたい。

今はSNSが手軽になって公共のメディアと変らぬ力を個人が持てる時代である。検閲といった自身の意見やプライバシーの開示をチェックする仕組みが機能していないままに、発信者の意図とは無関係に誰彼なく情報が広がっていく。だからこそ責任ある発言をしなければならないのである。もはや世界中に拡散される「個人のプライバシー侵害」を止めるためには、SNSを中止する以外に方法がない時代になるかも知れない。SNSを無法地帯とせず、社会性を持った情報交換の場とするためには、節度を持った態度が求められるだろう。自戒すべきである・・・。

いつもと違って妙に反省的な文章を書いてしまったが、私がなにか失敗をしでかしたわけではない。そもそも私のブログは炎上するほど読まれていないのであるから心配することはないのだが、念には念を入れて損はない。モヤモヤしていた気持ちを告白してスッキリしたので、これからもどんどん辛辣な批判記事を書いていこうと思っている。ところでトランプがプーチンと首脳会談したとニュースで流れていたが、トランプは着々と手を打っているな、というのが私の率直な印象である。だが、これについては別の機会に書こう。ではまた。

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