明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

私の選んだ今年の10大ニュース2018 一般編(3位)

2018-12-09 22:04:41 | ニュース
第3位 忖度が示す醜い日本人達の未来
森友加計学園から財務省の「公文書偽造」不正に始まった「忖度」に象徴される公務員のモラル低下の嵐は、全国津々浦々に至るまで「日本列島を覆う思考停止の羊の群れ」を現出させた。昔の公務員はもうちょっとマシだった、などと言うつもりは毛頭ないがそれにしても、戦後の昭和世代は劣化が激しい(私の世代でもある、トホホ)。女性へのセクハラや不適切な交際で追求される市長が続出するなどは、人間の質の低下が「落ちるところまで落ちた」証拠だと言えそうだ。そういう連中が「わんさか集まって」政治を行っているのだから、もう日本列島は自分のことしか考えない「アホの群生地・史上初のバカの楽園」に成り下がったのである。公務員が学生に人気の就職先であるという調査は不景気になると出てくる現象だが、市民のために働きたいというよりも「楽して生活したい」という人の格好の逃げ場所になっている現実は、「日本人特有の浅ましさの象徴(人類共通とも言うが)」である。これ、全ては「個人が弱い」のだ。

大きな組織に頼ることで外部の攻撃から己の身を守るというのは、一人で生きてゆく力がない動物の「智恵、あるいは種の本能」である。財務省など全般の役人は許認可業務では「ある程度」省庁の規則を守って判断してはいるが、どちらでも良いような場合には上層部の意向が最優先される。そこが袖の下や親戚など「お仲間」のはびこる要因になっているのだ。個人の利権や関連企業であれば「癒着」の問題も出てくるが、省全体のかけひきや「政治家の意向」が関わってくると、癒着でなく「国策という美名」が掲げられて決定される。その最たるものが原子力発電である。上から下まで「省庁・上層部」の損益を最優先していて、そこに「担当者や担当部署の判断」の入る余地は全く無い。いわばロボット、それも「東大出のロボット集団」が財務省などのエリートと言われる人々の真の姿なのだ。もちろん法律や規則に則って仕事をしているのだから個人の考えで全てが決まるわけではないのは当然である。しかし根本は、その許認可によって「市民の生活にどのような影響があるか」、ではないだろうか。その第一義の目的に「そぐわない」システム(規則・法律)であれば、システムを単に字句通りに守るのではなく、システムそのものを「市民の意向に沿うように」改変していくこともまた「公務員の重要な役割」なのである。だから常に自分自身で「今やっている事が果たして市民の生活に役立っているのかどうか」と問う姿勢を持ち続けることが大事である。そういう自問自答が公務員の業務から失われたら、それは単なる機械でしかない。だが実際は、そういう公務員はザラに見掛けるのだ(私も実際に相続税の問題で実感した)。そういう公務員の群れが集まっている頂点において「今回の一連の不祥事」が引き起こされたのである。しかし今回はやったことが公文書改竄・国有財産価格引き下げ販売・国会偽証という「犯罪」なのだ。

昔の公務員というのは「法律を犯してはいない」というのが言い訳の定番であった。市民の意向が反映されるのが政治であるならば、その政府を規制して間違った方向に行かないようにするのが国会であり法律である。だから最低限公務員は法律を破ることはしなかった、または正面切って破ることは「出来なかった」のだ。だが今年の一連の事件は「公文書の改竄」という「ウソ」を堂々と国会でついてしまったのである。その後も残業労働時間数とか技能研修生の死亡者数とか、各省庁で法案作成の基本資料が「明らかに間違ったデータ」を平気で提出して問題となっている。しかも問題となるばかりか「そのまま押し切って法案を通してしまう」という、ハナっから議論するつもりのない議会運営が目立ってきているのだ。何がなんでも官邸の意向に従った資料作りを行い、上司の意向に沿った仕事を貫いたものが昇進する。そんな悪弊の連鎖が省庁全体を支配し、「上から下まで忖度まみれ」の末期症状が醸成されている、というのが現状である。これは今に限ったことではなくて、平安の昔から「日本ではよくある話」なのだ。政権が市民のクーデターで倒れない程度に政治を行って、肝心な昇進人事は「忖度」を活用する、というのが日本人のお家芸なのである。曰く、「腹のうちを読む」とか「以心伝心」とかである。これは村役場・学校教師から医者・ヤクザに至るまで、全員そうやって生きてきた。日本人はこれを「言わなくても分かる」信頼関係の表現と捉え、社会生活の基本に位置づけてきたのである。だが我々も、そろそろ意識を変える時が来たと思う。

では、どう意識を変えるのが正しいのか?

1 常に市民の意思を優先する。
一般のサラリーマンであれば、会社の意思を尊重するように求められる。ならば公務員であれば省庁の意思を尊重するのかと言うとそうではなくて、むしろ「市民の意思」を尊重するのが正しいのである。財務省役人は官邸の意向を斟酌して公文書改竄までして安倍政権を守ろうとしているが、本来働く目的は「市民の利益」を守ることである。市民の意思・利益と省庁の利益とが相反した場合は、改めて両方について徹底的に考察・議論した上で省庁の利益が市民の不利益になるとわかれば、その時は省庁の利益は諦める、というのが正しい。

2 常に正論を支持する
組織よりも市民の意思を尊重する、というためには、何かあれば常に市民の意思を確認する必要があると思われがちだが、何も毎回事ある毎に市民にお伺いを立てる必要はない。そのために法律があり規則があるのであるから、それに従って正しく処理すれば、それが「市民の意思」を尊重したことになるのだ。つまり、「法律が市民の意思」と解釈すべきである。

3 法律は、常に社会の変化に対応するよう「改正し続け」る
とは言っても明治時代の法律を後生大事に遵守していればいいかと思っていたら、思考の硬直化を招いてしまう。だから常に社会の変化に対応して正しく市民の意思を反映するように「改正」して行く必要があるのだ。つまり運用は法に従うが、常に「これが正しい方法なのか」と謙虚に自問自答しなければならない。あくまで市民の全体意思が「法」なのである。法が市民より優先するというのは、本末転倒なのだ。

以上、公務員といっても「市民の一人」であることに変わりはない。正しく法を適用していけば、それが最終的には市民の利益になり省庁の利益になり、結果として「公務員個人の利益=昇進」につながる、というのが理想である。正しい行動が正しい評価につながる社会こそ、我々の求める社会ではないだろうか。組織に守られて安全に楽に生活し昇進・栄達していく人生とは、市民を踏み台にして個人の利益を得ようとするものである。市民の利益を守る「強い個人」が少ないということこそ、今の日本の弱点ではないだろうか。来年は政治の世界にも「強い個人」が出てくる事を期待したい。

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