和翠塾ブログ

目黒都立大にある書道教室「和翠塾」のブログです。

さて、問題です。六月六日は何の日できょうか?

2015-05-20 14:53:01 | 日記


だそうです。

知りませんでした~

これは芸事の稽古初めは六歳の六月六日から始めるのがよいと言う、昔からの慣わしにちなんで全国楽器協会なる団体が制定したらとのことです。

和楽器なら兎も角、ギターやドラムやサックスなどの洋楽楽器演奏を芸事と括られるのはなんだかイマイチ違うような感じがしますが、まあ細かいことは言いっこ無しにしましょう(笑)

しかし、和のお稽古関連団体がなぜこの日を取らなかったのでしょうか?

『お稽古初めの日』
とかにすれば全国区になるんじゃないでしょうか?

重複してもいいのかな?

じゃアプローチしてみたらどうなのかな?

どこかの書道団体がやらなかな?

やらないならやってみようかな?

そりゃ無理かな?


だんだんどうでもいいような感じもしてきました~


頑張って書いてみた結果

2015-05-20 07:39:40 | 日記
『書』の歴代楷書体の中で、ベスト3ぐらいのものが書けました!

とは言っても、ベスト1.2は記憶になんとなく残っているだけで、書いたものが残っているわけではないので、暫定というか、ザックリと言うか、なんとなくと言うか(笑)であります。

奇をてらわず、かと言って書写の手本のようなダサい感じではなく、それでいて普遍的な美を感じさせながらも親しみやすく、こんな字を書きたいと言うか思わせるような立ち位置の『書』

ここでお見せできないのが残念です(笑)

でも近々なんらかの形で世に送り出す予定ですので、いつかご覧いただけることと思います。


そう言えば、和翠塾の外看板の『和翠塾』と言う文字は少し奇をてらった感があります。
大人の方々に学んでいただいている楷書の特徴を表そうとしたのですが、少し盛り込み過ぎたかもしれません。

少し反省、、、、。

訴求対象や目的に合わせた文字を書くということは、中々難しいものであります。

自分の中にあるものを引っ張り出して書き出すことの方がよっぽど楽しいです(笑)

でもそれは最初だけで、書いた直後から悩み始めるものでもあります。

正解がないからです。

書いている時は誰でも楽しいのです。
問題はそれを第三者に鑑賞してもらう事の有益性を考えてしまうからでしょう。

他人の有益性なんて考えなきゃいいんです(笑)
無益で無ければよいのです。
つまり黒白、功罪、上下左右、と言う相対する評価や批判を受けるぐらいのものであればよいのです。

誰が見ても素晴らしいものなんてないのです。
普遍的な美はあっても、それを感じる事ができる人とそうでない人がいるのですから、そこは切り捨てないと、書が実用から抜け出す事はできないのです。

相田みつをの書が実用を超えているのは、その詩の根本が普遍的な宗教観にあるからだと思います。
それがあの書体に命を吹き込んでいるのです。

ですから、あの書体を真似ても意味はないのです。

『仏作って魂いれず』になってしまいますからね。

書技上達だけならひたすら形臨することで伸びるでしょう。
しかしそこには魂がない。
自分のエネルギーはあっても、魂を込めて書く行為ではないのです。

詩を理解して書くと言うことは、魂を理解するということであります。

詩を作るということは、魂を作るという事であります。

その上で書く行為が、書の道なのであります。

格好ばかり気にしているようでは、まだまだひよっこなのであります。

またもや、反省、、、、

魯山人の書に学ぶべき事は沢山あるように思います。










起業の勧め

2015-05-20 07:03:23 | 日記
若者には起業する姿勢をもってもらいたいです。

好きな事を見つけて一生懸命やって、それを仕事にして生活していければ、それは幸せなことなのですからね。

好きな事を見つけたり、好きな事を見つけた仲間と刺激しあうのが学校であると思います。

もちろん教師も好きな事を実践している人である必要があります。
ま、反面教師というのも勉強にはなりますが、継続的な学習にはなりません。
半ばオブジェ化してしまった、見当外れで場違いな標語みたいな存在です。

喫煙所に
『禁煙したいかも』とか
病院のロビーに
『治せる病気と治せない病気がありますが、その判別はできません。患者さんの生命力を応援することぐらいしかできません』とか

わかっちゃいるけど、それをハナっから言っちゃダメでしょみたいな感じです。

まったりと周りのやる気を削ぐマイルドブラックホール的な仕事をしている人が多いのです。

そんな学校ではいけませんね。

私立の人気が高い理由はよくわかります。
子供は感化されやすいですからね。



好きな事を見つけた者の目はいつでも真剣です。
漫然と生きてはいません。
好きな事に反映できないか、いつも周りを観察していますからね。

アルバイトでも、正社員になっても同様です。
好きな事を見つけたものは、それにより近づける仕事に就きます。
そしてそこで、観察だけでなく実践を積み重ねていきます。

全ては起業するためにです。

自分が起業したら、という姿勢で思考し行動する事は、とても創造的で合理的で社会により貢献することになります。

働かされているのではなく、進んで働く労働はとても尊いものです。
それはその人自身を、皆に期待される事だからです。

起業の精神をもって学校で学び、アルバイトや仕事で働く事は、若者にとってとても大切なことなのです。

大人になるとそれがよく見えてきます。
そしてそんな若者にチャンスを与えたくなるのです。
つまり、重要な仕事を任せられる若者を常に探しているのです。

どこかの居酒屋じゃなあけれど、
『はい!喜んで!』
と返事してくれる若者には、何度失敗してもチャンスは何度でも回っていくのです。
成功するまで回っていくのです。

だって失敗という経験積んだ者にだけ、成功はあるのですからね。

つまり、失敗にへこたれず、逆にそれをエネルギーにして頑張れる若者に重要な仕事は回っていくのです。

なぜその若者は失敗してもへこたれないのかですって?

それはその若者がその仕事が大好きで、いつかそれで起業しようと考えて一生懸命学び働いているからです。

そこが全ての源泉なのです。

『出る杭は打たれる』ということばかりを若者に言う場所ではなく、
『杭を出すタイミングはここだ!』と教えてくれる大人がたくさんいるところに身をおくべきでしょうね。

大人が若者に教えることって、そういう世の中の仕組みだと思うのです。

実践あるのみ、でありますな。

はっはっはっ!