神戸在住、恋するスタジオ・フォトグラファー、ときどきドキドキ、ホンニョホニョン日記!

元銀塩・スタジオ・フォトグラファーである吾輩が日々、感じ、考え、体験したことをのんびり書き連ねていく日記形式のブログ。

【感動実話】 先生 可能性のない人なんていない

2012年03月29日 13時43分30秒 | TWITTER
【感動実話】 先生 可能性のない人なんていない


学校というものは私にとっては、楽園ではなく、監獄だと思っていた。
50歳を過ぎたというのに、
中学校の頃のことは記憶に鮮やかに残っている。
校区が東灘のハイソな街だったので、当時、極貧までとは行かなくても、
貧しい子供時代を体験している。

大手製鉄所の三交代勤務で、家にいるときはいつも寝ている父。
四人目を産んでから、急に体調が悪くなった母。
母が入院してから、
奄美大島から祖母を呼び寄せて、母親がわりになってもらったけれど、
反抗期の私に早々と帰郷してしまった。

今、思い起こしても、
その当時、どうやって過ごしたのかわからない。
どうやって乗り越えたのかわからない。
朝、夜勤の父よりの電話で起こされ、
当時、一歳の弟と三歳の妹を引き連れて、
登校の前に保育所へと連れていくのだが、
保育所へ放り込むと、激しく泣きじゃくり、私の手を離さない。
後ろ髪をひかれる思いで
必死で駆け込んでも、
登校時間にわずか間に合わず、
門扉の前で厳しい先生の餌食になることとなる。

中学校のある時期、
私は昼食を食べていなかった。
お弁当を作る時間もなかったし、
校内で売られるパンを買うお金もなかった。
教室にいることもできず、
どこかでひっそりとして、
みんなが出てきた頃に、運動場に出る。

実質、形だけの部員だったけれど、
そうこうする内に、
バスケット部の顧問の先生が
お弁当を作ってくれることとなった。
それは後で知ったことだけど、
朝五時に起きて、わざわざ私の分を作ってくださったということだった。

しかし、
それはとてもありがたかったのだけれども、
教室で先生のお弁当を食べていると、
いろいろ心配してくれる女子が
お弁当のおすそ分けをくれたりする。
しかし、
それを拒むこともできない。
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