断章、特に経済的なテーマ

暇つぶしに、徒然思うこと。
あと、書き癖をつけようということで。
とりあえず、日銀で公表されている資料を題材に。

MMTについて⑥’’ ― ストック・フロー・アプローチとstate money

2014-05-02 08:40:43 | 欧米の国家貨幣論の潮流
さて、昨日までの話は
ストック・フロー・アプローチとMMTの関係ということで
始めたことであるが、
ここで国家貨幣state money とストック・フロー・アプローチの
関係について。

まず、これまでのストック・フロー・アプローチが
基本的には実物フローの話であったことを
強調しておこう。
主流派経済学では、
いわゆるISバランス式が実物モデルで展開された後、
貨幣と実物がIS=LMモデルの枠組みで
「均衡」として、導入される。
実物の動きと貨幣の動きは、
それぞれ全く独立した要因によって決められ、
それが「同時均衡」という形で
いわば「場当たり的」に結び付けられる。
MMTでは、そのような連立方程式で解が出れば、
それでおしまい、というわけにはいかない。
なぜなら、貨幣流通残高そのものが
実物の生産、消費、流通に大きく影響を受ける
(そして、大きく影響する)と、
考えられているからである。
それを記述するための道具は
連立方程式ではなく、
複式簿記になる。連立方程式は
この複式簿記の勘定の数字を埋める上では意味があるかもしれないが
ここから逸脱することはできないし、
方程式が成立しようとしまいと―均衡が成立していようといまいと―
経済活動が行われる限り、
勘定に数字が埋められなければならない。
均衡方程式が特定の解を持たなくても、経済活動は可能である。
というのは、経済活動とは常に
意図せざる在庫・棚卸を、材料にも仕掛品にも
製品にも商品にも、土地にも建物にも、労働力にも
貨幣にも、債権にも債務にも抱えているからである。主流派において
「均衡」という言葉が、どのような意味に用いられているのか、
よくわからないが(たとえば、ある商人が売れ残りの商品を抱えているとき、
彼は、もっと値段を引き下げれば、それら商品を売りさばくことができるかもしれない。
それにもかかわらず、滞留在庫を抱えている、ということは、
彼がそこで値段を引き下げて売ることよりも
在庫を抱え続けることを主体的に決定したのだから
均衡していることになる)、いずれにせよ
主流派の均衡理論では、貨幣は均衡すればそれでよいことになり、
実物の流れとどのように対応しているのかは、全く考慮されることはない。
租税(政府貯蓄)が給料から源泉徴収されれば、
それが貨幣的な家計の所得からの差引とともに
実物的な政府への所得の移転も意味する。
しかしながらこの所得の移転では、政府の実物の費用を賄いきれなければ
新たに債務が発行され、これがこの実物の貯蓄と支出の間を埋めることとなる。

MMTの考え方に従うなら、この「政府貯蓄」と「政府支出」のずれは
ナンセンスなものになるのだろう。
実際、TとGの「実物的」な乖離が何を意味しているのか、
やや謎めいている。「貯蓄」とは
年間の「所得」から、消費されなかったもののことである。
企業や家計は、所得から租税を支払う(間接税はとりあえず無視する)。
これは、政府による消費からの控除分である。したがって、政府貯蓄。
同時に家計は、自らの意思で消費を控え、
貯蓄を行う。したがって、民間貯蓄。
外国が、国内で生産されたものを購入するとき、
国内の消費が減っている。したがって、海外部門貯蓄である。
しかしながら、実際に生産された財・サービスのうち
政府によって徴用されているのはいくらか、といえば
TではなくてGなのである。
TとGの差額は国債によって埋められる。
これは、民間が購入することによって資金調達されることになる。
つまり、TとGの差は、民間貯蓄であるSから調達されることになる。
G > T のとき、政府支出の一部は民間貯蓄によってファイナンスされていることが
明らかになる。。。しかし、これは一体
貨幣の話なのか、実物の話なのか?
政府が利用することによって、所得から消費されることなく控除される生産物とは
Gである。
だとしたら、Gこそが、実物的な政府貯蓄であり、
GとTの差を埋めるためにSから国債購入へ回される経済資源は、
民間貯蓄の一部ではなく、政府貯蓄とみるべきではないのだろうか?

こう考えてみると、主流派経済学において
ISバランス式を成立させているのは
「実物」と「貨幣」のほか、「所得」という得体のしれないもので
これは、普段は実物のような顔をしていながら
政府貯蓄の話になると、途端に貨幣的な関係になる
不気味な、蜃気楼のような存在である。
まあ、マルクス派の「労働価値」に近いような
なんら実体のない、説明もされえない何ものかであることには
間違いない。

この点、MMTのように、
租税は、政府が債務として発行した負債を回収するプロセスである、
と考え方を入れ替えれば、きれいな話になる。

実物的な政府貯蓄、すなわち年間に生産された所得のうち
政府によって徴用される経済的資源は
政府が貨幣支出をしたときに行われる。
つまり政府支出=政府貯蓄が
常に成立していることになる。
現実の政府と中央銀行のオペレーションを見ると、
政府が貨幣支出をする際には常にそれに先行して
中央銀行が、インターバンクレートを一定に保つように
ベースマネーを調整している。
つまり、政府の支出―その原資が徴税であろうと、
国債発行であろうと―をするに先立ち、
常に、それに必要なベースマネーが先行して発行されているのである。
「政府が貨幣を発行している」というのは、
この意味である。したがって、財・サービスの徴用に先行して、
政府支出と区別される意味での租税による政府貯蓄の確保は必要としない。
政府が債務(国家貨幣)を発行することで、
財・サービスを購入すれば、それが政府貯蓄となる。

しかし、もしも政府貯蓄と政府支出が常に等しいとしたら
いったい何のため、国債が発行されるのだろうか。
これは単に、投資先が不足している金融機関に対して
利子付の資産を提供することを通じて
インターバンクレートを一定の水準に保つことを通じて
ベースマネーの流通残高を調整する役割しかないことになる。
そうなると、そもそも、国債残高を減らす、ということ、
あるいは国債を、償還する、ということさえ、
意味がない。中央銀行は市場の状況を見ながら
インターバンクレートを決定する。QE以前の状態では
インターバンクレートを調整するためには
財務省短期証券の売買が行われていたわけだが、現在では
最初から、政府による償還義務のない定期預金あるいは
「超過残高に対する付利制度」によって、
インターバンクレートを調整することで
後は民間銀行が勝手に、マーケットメカニズムに従い、
必要なベースマネーの残高とマネーストックを決定する。
「国家貨幣」が意味しているのは、このことである。
このプロセスを複式簿記で記述すると、
(続く)




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