断章、特に経済的なテーマ

暇つぶしに、徒然思うこと。
あと、書き癖をつけようということで。
とりあえず、日銀で公表されている資料を題材に。

MMTについて⑤-マーケット・メカニズムとMMT

2014-04-13 09:40:17 | 欧米の国家貨幣論の潮流
日本では、国家貨幣あるいは政府貨幣の話なんか
まともな経済学あるは経済政策の議論では
話題にすらならない。
なんで、アメリカでは
一流と言われるエコノミスト(何がどう一流なんだか、
わかりゃしないけど)と論争したり
ネオ・オースリー学派のような
他流派とのディベートが大っぴらに
行われているのだろうか。
この違いは、どこから来るのか。。。

と、言っても、実はおいらは
日本にも国家貨幣論あるいは政府貨幣論というのが、
あることは知っているけれど、
実際、読んだことはないので、
あんまりよくはわからない。

一つだけ、ウェッブ上で、大学の名誉教授という方が
書かれている非常に短いものを読んだことがあるので
それについてだけ感想を言うなら
これじゃあ、とても誰からも相手にしてもらえないだろうなあ、、、
と、いう代物であった。

まあ、たまたま目にした一つの、
おそらくは気楽に書き流された、ただそれだけのものを
基準にして「日本の国家貨幣論者は」とやっつけられた日にゃ、
日本の、他の国家貨幣論者の方もひどく迷惑に感じることだろうが、
実際、おいらはそれしか読んでいないのだからしょうがない。
たかがブログ、学術論文じゃないんだから
この際、自らの勉強不足や公平性や公正性を一切顧みず、
その、たまたま目にしたウェッブ上での書き物について話をすると、、、


要するに(と、いうか、もともとの書き物自体が
要約でしかないだろうけれど)、
政府が、負債としてではなく、
企業会計でいうところの純資産に相当するものとして
小切手を発行しそれを日銀に預け、政府預金を
増やす、ということだ。。
いや、これじゃあ、何を言っているんだか、わからないが
本当に、これだけなのである。
こうやって、政府預金の残高が増え、
それを政府が支出すれば、政府は財政赤字を気にすることなく
いくらでも資金を調達できる、というわけだ。

政府が日銀に債務を発行し、それに対して政府預金口座に
ベースマネーが振り込まれ、
それに対して政府によって小切手が振り出される、
というのなら、意味はよくわかる。と、いうか、
ごく普通の話だ。
政府が、いきなり、口座に預金もないのに
小切手(貨幣代理物)を振り出し、
それに対して、日銀が資金を提供する、
というのは、いったいどういうことなのだろう。
企業の場合、当座口座に残高がなくても、先日付の小切手を振り出す、ということは
まあ、本当はあり得るべからざることだけれど、
現実には、たまに、ある。
しかしその場合には、会計的には支払手形勘定に振り分けられ、
負債を構成する。これは、そもそも負債とは何か、という定義が
わかっていれば、自明のことであり、
当座預金に残高がないのに、これで一時的に支払われたのだから
決済が済んだことになる、などということはありえない。
実質的に決済が済んでいなければ、負債になるしかない。

結局、なんでこういう話が出てきてしまうのか、
といえば、そもそも会計というものが何のために存在しているかを
この名誉教授は考えたことがないからなのであろう。
だから、勝手に勘定科目の分類を動かせば、
債務だったものが純資産になる、
などという話になってしまうのだろう。
簡単にいえば、政府が直接貨幣を発行した場合、
それを、企業会計における純資産的なものにしたいのであれば、
政府が、この貨幣では納税はできません、
と、宣言すればよい。もしも政府が、
その貨幣で納税ができますよ、つまり、
政府は、自分自身の収入を、自分自身が発行した有価証券と引き換えに
相殺しますよ、ということを約束するのであれば、
それは負債にしかなりえない。
こうした、最低限の会計的なルールすら考えることなく、
単に、名義的に分類だけを変更すれば、
政府がいくら貨幣を発行しても、困ることはない、
そして、それがデフォルトリスクに発展することは、
定義上ありえない(と、いうのは貨幣は政府自身が発行しているのだから)し、
今の日本は、深刻なデフレになっているのだから
インフレを心配することもない(原理的に、インフレが回避できる理由などは
言及なし。結局、当局の裁量でうまくやれますよ、ということだ)、
金利や為替、資源配分については
全く言及なし(為替については、あったかも)、というのでは
経済の実務や経済学に多少なりともなじんでいる人間には
真剣な議論に値する、と受け止めてもらえるはずもない。
原理も原則もありはしない、ただ言葉だけを変えれるだけで、
問題が解決します、
ということだが、それは要するに、
そういう回答を出す人の問題意識が
そのレベルであった、というだけのことに過ぎず、
これではとても
まともな話とは言えない。
だが、この無定見さは、まさに現在の
安倍内閣及びその周辺の人々に共通するものなので、
おいらだって、まさか、この名誉教授が安倍さんと関係あるとは
思っているわけじゃないけれど、
安倍政権なんかだと、
本当にやりかねないなあ、と(現に
東電専用の会計原則を導入するなど、
そしてその改正案の内容たるや
会計には、そもそも原則は必要ない、
と言わんばかりの無定見さだ)
半ば、不安になるのであるが。まさか、
いくらなんでも、そんなことはありえないとは
思うが。。。。。

また、話がずれた。で、元に戻すと、

日本の国家貨幣論者の中には
複式簿記の構造から、政府のデフォルト不可能性を説く、
という人もいるらしいのだが、
これも同断であろう。一国の経済的取引を、一つの残高表にまとめれば
誰かの金融債務は必ず誰かの金融資産となっているはずだ―ただし、
企業会計上の資産と負債の計上基準の非対称性のことは、
この際、無視するが―。
しかし、これは、あくまでも、単に取引の事後的結果として
ある一時点を取り上げれば、必ずそうなっている、というだけの話であり
インフレが起きなかったりデフォルトが発生しないことの
根拠などにはならない。現に、民間部門内部だけでも
金融負債が発生すれば必ずそれと同額の金融資産が発生しているわけだが
だから、民間部門からインフレや危機が発生しない、などと言ったら
バカ扱いされるだろう。
つまり、政府部門ではいくら国債あるいは貨幣を発行してもデフォルトリスクがない、
というのは、複式簿記の構造は関係なく、
単に貨幣を発行しているのは政府だからだ、と、言っているに過ぎない。
だったら、じゃあ税金なんかなくして、政府が
貨幣を発行し続ければいいじゃないの、
と、当然そうした反論が返ってきて、それでおしまいだろう。
まさに、この点がMMTと正反対である。


さて、こうした(私が目にした限りの)日本の政府貨幣論と
MMTとでは、どこが異なるのか、であるが、、、

まず、政府貨幣はデフォルトリスクを持たない、というのは
実は、日本の政府貨幣論と同じである。貨幣を発行しているのが
政府である以上、後述するようなある種の例外的(選択的)状況以外の理由で
政府が支払い不能に陥ることはない。
ただし、
その根拠は、ややニュアンスが違う。
一国内の貨幣(=決済手段)というのは
債務のヒエラルキー構造から構成されている。
(この辺は、主流派経済学からは抜けている認識だが
会計の現場からすれば、言われてみれば自明の話である。アメリカで
主流派がMMTやオーストリー学派と真剣に議論せざるを得ないところに
追い込まれた理由の一つは、主流派経済学の
外生的貨幣理論の欠陥を、事実によって明瞭に
否定され、それに対して有効な反論ができなかったことが
あるのかもしれない。)
政府貨幣はその頂点にあり、下位層の債務にとって
最終的決済手段となっている。そしてその債務性を支えているのは
政府の徴税権・国民の納税義務である(Tax Driven View)。
しかし、政府がまず債務を発行しないことには
国民は、この唯一の納税手段を入手することができない。
だから、まず、政府が政府が貨幣的債務を発行するしか
政府以外の経済主体が、この最終決済手段=納税手段を
入手することができない。だから、
政府が徴税権を実効性あるものにしている限り
貨幣(ベースマネー)をいくら発行しても、あるいは
市場で交際を発行することで資金を獲得しようとも、
デフォルトリスクはない。

さて、そうはいってもインフレリスクは、当然あることになる。
今の日本は、デフレなんだから、インフレを心配する必要はない、
というのでは、一貫した理論として
議論に値するものにはならない。

同じ複式簿記を重視し、経済全体を一貫して
銀行部門の残高表によって表現しようという試みを行っているのは
アラン・パルゲや
オーギュスト・グラジアニ、
ベルナール・シュミット、
アルバロ・チェンチーニ、
マルク・ラヴォア等々の
サーキット理論である(ラヴォアは、自称ポストケインジアン)が
(なお、個人名のカタカナ表記については、全く責任を持てない。だったら
横文字で書きゃあいいようなもんだが、これまた、
正確にスペルを覚えているわけではないので、あしからず。。。)、
彼らの議論では、銀行が企業向けに行う短期貸付によって
生み出された貨幣は、「真実貨幣」、あるいは
「充溢した貨幣」とでも呼ばれるもので
インフレを引き起こすことはない―なぜなら、生み出された貨幣と
ほぼ同額の最終消費財が生み出されているはずだから―が、
政府の公債発行により生み出された貨幣は、
「虚偽貨幣」あるいは「空疎な貨幣」などと呼ばれ、それ自体がインフレ原因となる。
(この場合、必ずしも完全雇用が想定されているわけではない。)
MMTで、そのような心配がない、とされているのは
(そもそも、貨幣とは何ぞや、その本質は、定義は、
と、言った部分が全然違うというのはこの際措くとして)、
準備の残高がJob Guarantee Program および中央銀行の提供する
IRMAによって、市場の動き自体を通じて半ば自動的に
コントロールされるからである。(半ば、というのは
最低賃金やインターバンクレートは当局が決定するしかないから。)
この場合、カギとなるのはJob Guarantee Program および IRMA によって
提供される賃金およびインターバンクレートの床の水準である。
この、マーケットメカニズムを前提とした、つまり主流派経済学の理論を
援用した(逆手に取った、というわけではない)理論によって
インフレ回避策が提示されているもんだから
主流派経済学としても、これにある程度真面目に向き合わなければ
ならなくなっているようだ。

労働市場の均衡点が、Job Guarantee Program で提示される
最低賃金より高い限り、新たなベースマネーは
供給されない。そうした状況では
インターバンク市場ではIRMA 金利を上回るレートが付くであろうから
IRMA の残高が減ることで、準備が増加し、それによって
貨幣供給の増加が図られる。企業・個人向け貸出金利は、リスクの増加や
需要の高まりによって上昇する。
つまり、企業・個人向けの融資市場では
貨幣供給曲線は、右上がりになる。
逆に、均衡賃金が最低賃金を下回る水準では
最低賃金を支払うことができないような非効率的部門は
淘汰され、失業者の増加に対しては
政府がベースマネー残高(それと同額の預金通貨)を増加させることによって
失業者の救済と同時に
企業債務の決済を、最終消費部門に近いところのものから
減少させる一方で、
インターバンク市場ではIRMAによって、過剰となった超過準備が
吸収され、インターバンクレートが下支えされる。
中央銀行は、物価水準や市場の金利動向を見ながら
インターバンクレートを適切な水準に維持する。

結局のところ、インフレ抑制策としてのMMTを支えているのは
Job Guarantee Program における最低賃金水準と
IRMAの金利水準である。
なお、為替については、めんどくさいので触れていないけれど、
大体ここまで書いてあれば、類推で話は進むでしょう。
内国金利が上昇すれば、資本が流入し、
それによって通貨価値が上昇し、
それによって輸入の国内品価格が下落、
輸出品の国外価格が上昇することで
景気にカウンターサイクリカルな影響を与える。
なお、一応念のため断っておくが、
外国から資本流入があったからといって
それによって国内の貨幣流通残高が増えるわけではない。
外国からの資本流入は、
国内の金融資産の名義が外国人に替わるだけ。
ただし、政府・中央銀行が自国通貨高を嫌い
介入すれば、国内の通貨流通残高は増える。
また、外国人による自国通貨売りに対して
自国通貨買い介入をして為替相場を維持しようとすれば
いくら主権通貨sovereign currency の発行国であっても
デフォルトリスクが、ある。
現にこれでデフォルトした国もある(ロシアやハンガリー。
イギリスもそうなりかかった、という)。
ただし、多くは、「払おうと思えば払えたけれど
払わないことを選択した」デフォルトなんだそうだが。
だからむしろ、政府は為替介入などせず、
市場の動きに任せるべきだ、というわけだ。
ただし、資本の国際移動については
一部にはトービン税の導入など
規制をするべき、というような意見もあるようだ。
あと、突然主権通貨 sovereign currency なんて言葉を
使ってしまったが、
これについては、なんだか、重要な概念らしいんだけれど、
おいらには全然その重要性がわからない。
だから、まあ、こういう粗雑な扱いになっているわけなんだけれど、
機会があったら、もうちょっとだけ細かく書くことにしよう。
でも、意味が分からないものを詳細に論じることなんて
無理なのよね…

まあ、いずれにせよ、
今、日本あたりでは国家貨幣論などというと
政府部門がいくら国債を発行しても
デフォルトに陥る心配はないし、
インフレ・通貨安はむしろ望ましいのだから、
政府はジャンジャン国債を発行して
公共事業をやりましょう、
と、そういう文脈で論じられているようなのだけれど、
MMTは、それとはずいぶん文脈が違うことに
気が付くはずだ。
この辺、MMTも必ずしも一枚岩とは言えない点ではあるかもしれないが、
まあ、アメリカで流行している理論なんか、
政府依存度を高めましょう、というような論調のものは
なかなかはやりはしない。
MMTだって、政府が貨幣発行によって介入していいのは
Job Guarantee Program とか、それ以外の
社会保障給付関係がせいぜいのところで、
それよりは、あくまでも、マーケットメカニズムによる資源配分が
優先されている。ただ、マーケットメカニズムというのは
債務ヒエラルキーというものを生み出さざるを得ず
それが金融不安定性(ミンスキー仮説)を生み出し、
しかも、ひとたび危機に陥れば、
まさにその危機を生み出した「too big to fail」層だけのことは
救い、それ以外の「我々が99%」層には犠牲を強いるだけ、
という状況になってしまう。中央銀行がいくら
ベースマネーを供給したところで、救われるのは
せいぜいインターバンク市場に直接かかわりあいのある層だけで
なかなか、小切手発行口座(当座預金)の残高は増えず、
債務ヒエラルキーの下層にいくほど
上位貨幣の獲得困難が続き、
つまりは新規に貨幣(債務)を発行して経済的資源を調達する
手段も失い、経済は停滞し、失業率は高止まりすることになる。
しかも、失業というのは
それ自体が資源の浪費である。
国家(ここで言っているのは、狭い意味での政府部門や
おいらが連結政府部門と時々書いている
政府プラス中央銀行のことよりは、広い意味で、
国全体の、ということかもしれないが)の予算制約とは
税収ではなく、国内の遊休資源。
要するに、政府の予算が不足しているから
この資源を遊休させていてよい、というのは
全く誤った発想だ、ということだ。
政府は、この遊休資源を稼働させるために
債務を発行するのであり、それがつまり政府貨幣
ということになる。あくまでもマーケットメカニズムの
補完として位置づけられているのであって、
だから、単純に、労働市場とインターバンク市場に「床」を与えれば
世の中、中ぐらい程度にはうまくいく、という話になっている。
そして、こうやって、主流派経済学も認める
マーケットメカニズムを前提としたモデル化を進めることで
主流派経済学とも対話可能な枠組みになっているから
アメリカでは、まじめな議論として受け止められているのであろうが。。

しかしねえ、、、

この枠組みであるなら、
インフレ→バブル→ミンスキーモメントの発生
(最近は、一部、話の流れが
入れ替わっているところもあるが。。。)というものを
回避するには、やや、心もとないのではないだろうか。。。
超過準備がIRMAに過剰にある状況では
市場金利水準が少しでも高くなれば
IRMAから準備へと大きな金額が振替えられ、
預金通貨残高が急速に膨らみうる。
それを避けるためには、IRMAの金利を、
それに負けないスピードで急速に引き上げなければならない。
ここに、ミンスキーの言う「ポンツイ金融」ポジションの主体がいるなら
当然、ミンスキーモメント、ということになる。
結局、金融不安定性を回避しようとしたら
ポンツイ金融ポジションの発生を防ぐしかないのだけれど、
それはIRMAだけでは難しい。IRMAに過大な資金がある、
ということは、(デフレをインフレに転換するのは
クルグマンが想定していたほどには簡単ではないけれど
景気が過熱し始めた状況では)
ポンツイ金融ポジションを生み出すのには、十分すぎる条件である。
ついでに言っておけば、
現在のような過大な超過準備に対して
中央銀行が金利を支払い続けることが
社会的な公平性の観点から適切だとは、
おいらには思えない。金融、とりわけ銀行が保守的であることは
過剰なリスクテイクよりはましだと思うけれど、
このような、持っているだけで利益になるリスクのない資産が
過剰に供給され、しかも銀行だけがアクセスできる、というのは
どうなのだろうか。。

さらに、これは、保守派からは当然批判されるだろうが、
この議論は循環的ではなく長期的なインフレをもたらすことになる。
労働市場では、賃金が下がらず、
最低賃金を支払えなかったり、劣悪な労働条件の職場からは
労務者がいなくなるから、当然そういうことが起こりうる。
当然、そうした部門では製品販売単価が引き上げられることになり、
もしも、輸入によって単価引き上げを回避することができなければ、
貨幣で測った生計費も上昇せざるを得ない。
当然、最低賃金も引き上げざるを得ない。。。。この繰り返しである。
そして、この種の賃上げ→物価上昇は、
インフレ率を指数的に加速させることになる。

、、、きりもいいし、
お昼になったので、
続き(と、言ったって、思いついたことを
書くだけだけれど)は後日。


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