断章、特に経済的なテーマ

暇つぶしに、徒然思うこと。
あと、書き癖をつけようということで。
とりあえず、日銀で公表されている資料を題材に。

MMTとは関係ないけど、Mosler を読んでいて、ちょっと驚いたこと 備忘メモ

2014-05-15 23:29:07 | 欧米の国家貨幣論の潮流

Warren Mosler って、
ネットで調べたら、
MMTの主唱者としてよりも
ファンドの経営者としてよりも、
Mosler Mortors という自動車メーカーの
オーナーとしての話題のほうが
ずっと多かった。
なんでも、1台数千万円のスーパーカーを
作っているらしいんだが、
ここ数年、1台も売れていないらしい。。。
オイオイ。
(と、この記述は日本のブログからの引用で、
いつ書かれたものかは、あいにくチェックしなかった。)


まあ、それはそれとして、
Mosler の本から。

アメリカの内国徴税局の
地方事務所で、現金納付すると
どうなるか。
事務員は、納税者にレシート(納税証書だね)を
渡す。願わくば、「サンキュー」の一言ぐらい
言ってくれるかもしれない。社会保障の支払いや、
国債金利支払や、イラク侵略戦争に
協力してくれて、ありがとう。

で、納税者が帰ると
職員は、データをワシントンの本局に送信する。
で、そのあと、納税者が苦労の挙句稼いで
やっとの思いで税務署に持ち込んだこのお札を
なんと、シュレッダーにかけて裁断してしまうんだそうである。

こりゃ驚いた。ほんとかね?
現に、ワシントンDCでは、お土産かどうかは書いてなかったが
裁断されたお札を販売しているのだそうである。
ワシントンDCで売られているばらばらお札が
本当に地方の徴税局で裁断されたものかどうかなんか
わからないとは思うんだけど。
(どうでもいいけどカーター政権の昔、
イランで革命が起こって
アメリカ大使館が革命軍に占拠されたとき、
イラン革命兵士は、シュレッダーされた秘密文書を
つなぎ合わせ、解読しちゃったんだよね。。。)


まあ、納税証書はすでに納税者の手にわたっており、
データはすでにワシントンに転送され、
そして政府預金の残高が納税額通りに加算されれば
逆に、お札がこの世に存在しては、おかしなことになる。
納税者が納税したお金はすでにワシントンの
政府預金口座に預金されたのであって、
それと同じお札が地方事務所の金庫の中に残っていたのでは
世の中にお金が二重に存在していることになってしまう。
だから、お札をシュレッダーしてしまうという内国徴税局のやり方は
確かに、貨幣の理論としては整合性がある。
(何も、その場でシュレッダーしなくたって
厳密に枚数を数えて密閉して地区の中央銀行に送れば
それでいいじゃないか、という気もするが、、、
職員が信用できないんだろうか。。
それなら、その場でシュレッダーするほうが、
よっぽど横流しされる危険性が高いような気がするが。。。)


さて、今日は何もMMTの話をしたいわけではない。
日本における経済学教育の問題点だ。
と、言ったって、理論がどうのこうのというような
高尚な話ではない。ごくごく入門レベルの
貨幣乗数の話で、初学者に少しでもわかりやすく
説明できるようには、どうしたらいいか、という提案。
MMTは貨幣乗数を
否定しているが、とりあえず、ここではその点は
おいておいて、、、


税務署がお札をシュレッダーで裁断する、という話にはやや驚いたが、
しかし行為そのものには整合性があり、
問題はない。
この点について、ちょっと思ったのが、
要するに、アメリカの税務署は、実質的に
直接FRBの窓口の役目も兼ねている、というわけだ。
銀行であれば、預金残高が十分であれば
小切手を持っていけばそれで済む話である。
(現に Mosler は、内国徴税局での現金納付の話に先立って
銀行からの納税についても言及しているが、
そこでは小切手を持ち込むだけで、現金についての言及はない)
しかし、残高が十分でなければ
他の口座から送金するか、現金を持ち込んで、
いったん自分の口座に預金をするしかない。

実際にはあり得ない話だが、
もしも、どこかにFRBあるいは中央銀行の市民向け営業窓口があって
そこで現金で政府へ支払ができるとしたら、
どうなるだろうか。
当然、納税のため持ち込まれた分、この世の中から
貨幣は消える。FRBでは、発券銀行券勘定 Federal
reserve notes outstanding, net の残高を減額し、
政府預金 Treasury, general account の残高を
増やすことになるだろう。
(日本銀行であれば、相殺勘定である資産側の現金勘定の残高を
増やすことになるかもしれないが。)
つまり、連銀に収められたお札(現金)は
もはや、会計上、この世に存在しないことになる。

民間銀行で納税しても同じだ。
お札を持ち込む。それが自分の口座に振り込まれる。
小切手が振り出され、それが官吏の手によって
払い戻しされる。
さて、まず、銀行にお札を持ち込み、それが預金された段階で、
統計的には、お札はマネーストック統計からは落ち、
そして、アメリカの場合、vault cash として準備に組み込まれることになる。
じつは、ここが日本とアメリカとでは違う。
アメリカでは、銀行手持のお金は準備にカウントされる。
準備預金にしても、紙幣にしても、いずれも等しく
FRBに対する銀行の債権なのだから、
紙幣を準備にカウントしない、というのは、確かにおかしい。
日本で紙幣を準備にカウントしないのは、
まあ、たぶん実務上の理由であって、別に政治的・経済的な意図は
ないであろう。あったとしても、効果はものすごく小さい。
実際の経済面で、こんな些末な違いを
あれこれ言っても意味はないに違いない。
ただ、初学者に「貨幣とは何ぞや」と、いや、そこまで大上段に構えなくたって、
単に、信用乗数の計算式を各種統計とつじつまが合うように説明するうえで、
銀行手持のお金の性質が説明されない、ということは
なんか、違和感あるんじゃないのかなあー、という話である。


銀行に貨幣(現金)が持ち込まれると、貨幣は「預金」になってしまい、
お札は「貨幣の抜け殻」になる。
お札とは、貨幣の入れ物なのであって、貨幣そのものではない。
お札という物質的くびきから放たれて預金という世界に解放された貨幣は、
あちらの口座からこちらの口座へと、キーストロークひとつで
瞬時に持ち主を替えることができるようになる。
今や貨幣の抜け殻となったお札は、どう処理されるのだろう。
アメリカの内国徴税局では
シュレッダーにかけられ、この世から、会計的のみならず、
物質的な意味でも、抹消される。
銀行に持ち込まれた紙幣は、貨幣ではなくなるがしかし、
いまだFRBに対する債権ではあり続ける。
これが、銀行に持ち込まれたお札と内国徴税局に持ち込まれたお札の運命の違いである。
内国徴税局に持ち込まれたお札は
そのまま政府預金口座の残高にメタモルフォーゼした段階で
中央銀行に対する債権という性質も失う。
紙幣も政府預金も、いずれもFRBに対する債権だ。
だから、同時に二つ存在してはならない。
紙幣をシュレッダーしたときに、その物質的形態とともに消滅するのは、
「貨幣」という属性であって、「中央銀行に対する債権」という属性ではない。
後者は、政府預金として生き続ける。しかし、マネーストックは
減少する。(政府預金はマネーストック統計上の貨幣ではない。)
他方で、銀行に紙幣が持ち込まれた場合、
それが預金になれば、「貨幣」という属性は、「預金」へ移る。
銀行の手許にある紙幣は、もはや「貨幣」ではない。しかし、相変わらず
銀行にとっての「中央銀行に対する債権」すなわちベースマネーではあり続ける。
そして「準備」となる。

だから、貨幣乗数の記号で考えるなら
H = C + R
M = C + D
としたとき、非常に整合性がある。
C は、民間非金融部門が保有する現金残高である。
R は、準備預金。
D は、預金通貨。
この時、民間非金融部門がお札を銀行に持ち込んで
それを預金すれば、Cが減少し、それと同額のRおよびDが
増加することになる。つまり、C(現金通貨)というのは、
お札という物理的属性によって決まるのではなく、
誰が保有しているのか、によって決まるのである。
「現金通貨」が「民間非金融部門」によって保有されている間、
それは「貨幣」と呼ばれるものであった。それが預金されたとき、
新たに生まれた「預金通貨」が「貨幣」になる。
そして、それまで「貨幣」であった「現金通貨」はもはや貨幣であることをやめ、
ただの「中央銀行に対する債権」すなわち「準備」へと「後退」あるいは
「回帰」する。
初学者は、まあ、アメリカ人だともともと小切手に慣れているせいもあるだろうが、
「貨幣」と「中央銀行の債務証書」という物質的属性の間に
いとも簡単に線を引くことができるようになる。
「貨幣」は「紙幣」ではない。

ところが、日本ではどうか。実務上はものすごく些末な、
どうでもいい違いが、初学者にとっては
何とも難しい問題を引き起こすことになるのではないだろうか。


日本では、銀行の手許現金は準備にはならない。
もちろん、銀行の手許現金も日銀に対する債権ではあるが
それはいつでも日銀当座預金に預金できるし、払い戻しも
受けられる、という意味にすぎないようだ。そうなると、
上記の計算式ではおかしなことになる。

Cは民間保有の現金である。
これが預金され減少したとき、Dがそれと同額増加する。
しかし、Rは変化しない。
最初に「ハイパワードマネー(ベースマネー)」とは何かを学ぶとき、
学生はこれを「現金通貨+日銀当座預金残高」と学ぶ。
現金通貨とはお札のことであり、日銀当座預金とは
預金のことだ――学生は、まず、こうした物理的属性によって
貨幣を区別して理解する。そして
預金のため銀行に持ち込まれた紙幣については、どのように理解するか、というと、
「民間金融部門が保有する現金通貨」という
矛盾した理解に落ち着かざるを得ないことになる―― 一方で
預金Dという貨幣が現実に存在しているのに、他方では、
これは準備にならないので、Rではない――という混乱に陥る。
単に、「銀行保有の現金預金」を位置づけることができなくなるばかりではない。
学生は、いつまでたっても、「紙幣はお金(貨幣)だ」という思い込みから
解放されることがない。そして、子供のころからの素朴な疑問
―「どうして、ただの紙切れにすぎないお札が
価値を持っているのだろう」―が、繰り返される。
お札に価値(購買力)があるわけではない。
購買力があるのは「貨幣」である。お札は、
単なる中央銀行に対する債権であり、「貨幣」ではない。
これが貨幣であるのは、つまり、現実の生産物に対する購買力を持ちうるのは
これが、民間非金融部門の手許にある場合だけであり
銀行の手に渡れば、準備預金として、中央銀行に対する債権ではあり続けるけれど
もはや貨幣ではなく、
政府の手に渡れば、もはや、中央銀行に対する債権ですらなくなり、
ただの紙くずになってしまう。シュレッダーされても構わないのである。。


実務的に、金融機関保有の現金を準備に組み込まない、
というのは、全く問題ではない。
ただ、経済学を教える者が、こうしたことに全く無頓着であっては困る。
こうしたことを理解しないまま、学生が経済学の学習を続けていても
いつまでたっても、物質的な貨幣観を脱却することができない。
もちろん、日本では、経済学の教授自身が
不幸なことに、こうしたことに無知かもしれない。
残念ながら、少なからぬ大学の経済学部で
「預金通貨とは幻想で、お札だけが本物のお金だ」などという
ばかげた話が繰り返されている模様である―こういう説明をしている教授は
給料を現金で受け取っているのだろうか―。

貨幣は、お札ではない。MMTとは何の関係もないが、
Mosler が紹介してくれたエピソードは、
この事実を明確に説明するうえで、
経済学的立場にかかわらず
有益な話だと思う。

ちなみに、日本では税務署で納付された現金がその後どうなるかは
知らない。今度訊いてみることにしよう。

 

※上記の記述をバランスシートの残高の変化で示せば、下記の通り

…と、思ったら、うまくコピーできん。別に、コピーはできなくてもいいけど、

だれか、罫線の引き方を教えてくれー

 

 

 



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