断章、特に経済的なテーマ

暇つぶしに、徒然思うこと。
あと、書き癖をつけようということで。
とりあえず、日銀で公表されている資料を題材に。

MMT⑧’―Job Guarantee Program 続き。備忘メモ。(まとめもないまま、垂れ流し)

2014-07-05 12:18:08 | 欧米の国家貨幣論の潮流
⑨の後に⑧’を載せるというのもなんだが、
話はJob Guarantee Program の続きなので。

以前のブログで、Job Guarantee Program について
大雑把な説明をしたが、
MMTに関心のある人でも、これを読んで
やや意外な印象を受けた人も少なくないことであろう。
と、いうのは、日本では(たぶんにアメリカでも、という気が
するが)MMTというと、いくら赤字財政を増やしても
財政が破たんすることはありえないし、インフレにもならない、
だから、不況期にはジャンジャン政府が公共投資をしましょう、
という理論だ、という思い込みで語っている人が
多い様子だからである。

もちろん、MMTなどという得体のしれない連中――ところが、
その実像は、”異端派”であることは事実でも、H.ミンスキーの
直弟子にあたるL.Randall Wray だったり、Pケインジアンでは
大御所的存在のPアレスティスだったり、Economi et Societe の
編集者でありパリ派の中心人物であるアラン・パルゲであったり、
とても日本のブロガーごときが「まともではない経済学者」などと
いえるような存在ではないのだが、――の論文やブログに
目を通していられない、というのは理解できるし、
学者ではない人が、自分の興味関心にしたがって手繰り寄せた
断片的な情報に基づいて、わからない部分は
自分の想像や常識で穴を埋めながら、ブログなりなんなりを
発表してゆく、ということは、
悪いことではないと思う(それどころか、そうした行為こそ、知的活動の
第一歩だと思うし、おいらもそうやってブログを書いている)。
ただ、中には、自称・元経済学者なる人物(業績は不明)が、
クルグマンあたりのブログをもとに、
適当なことを書いているようなものもあったりして、
それはちょっと読んでて、恥ずかしいですよ、
という、これは脱線。

さてさて、
実は、「いくら財政赤字が膨らんでも、インフレにはならない」というような主張は
これまで、MMTからは、全く行われていない。
ただ、Moslerあたりが、インフレを懸念する人たちに対し、
やや挑発的な表現を使うことがあり
(たとえば、「日本はあれだけ国債残高が膨らんでいるのに、
インフレにならないのは、なぜだい?」というような物言い)、
こうしたことが、特にジャーナリスティックな立場の人たちからは、
「MMTは、財政赤字がいくら膨らんでも
インフレにならない、と主張している」などと、ときにはやや誇張して
伝えられている側面はあるようだ。実は、
Moslerが書いたものを読む限り、彼が繰り返し論争してきたのは、
「国債残高が膨らむと、本当に財政破たん――返済不能――になるのかどうか」と、
いう点である。この点で、きちんと反論できた人は、今のところ
(Mosler 自身の言によるなら)いない。多くは、
「なるほど、あなたの言うとおり返済不能はありえないことは認めるが、
だがその結果、高インフレをもたらすではないか」という点に行きつく。そして
Mosler は答える「そうでしょ、インフレでしょ? インフレ対策と
財政破たん対策とは、同じですか、違いますか? 明らかに、全然別ですよね?
インフレ対策を考えなきゃならない問題なのに、
財政破たん対策を講じるとは、どういうことですか? そして、今、
アメリカに、高インフレが起こりそうな兆候は、
わずかでもあるのですか?」
と、いうわけである。つまり、①国債増発に関して、
財政破たんを心配しそのために備えることは、全くナンセンスであり、
考慮すべきは、高インフレの可能性である、
と、いう原理的問題と、 ②今のアメリカの経済事情を前提とするなら
インフレを心配することは、ナンセンスである、と、いう短期的・
時事的問題があるのだが、批判する側にとっては、この二つが
同じものに見えてしまったようだ。

尚、一応追記しておくが、実はMMTは、主権通貨を発行している国であっても
その国債がデフォルトする現実的可能性がない、と主張しているわけですらない。
一つは、アメリカのケースで、政治的に、予算あるいはその他の政府支出または
国債の新規発行が認められないような場合。これは政治的事情であり、
経済的必然性(あるいはoperational reason)ではない。
今一つは、為替レートを、無理な水準に維持しようと
外貨売りを行うケース、あるいは貨幣の価格を金や貴金属にスペックしようとする
ケース。カレンシー・ボード制を採用しているケース。共通通貨を採用するケース。
ロシアでは実際、政治的理由で自国通貨建ての国債を
デフォルトさせ(この時、Moslerは大損失を被ったという)、
イギリスもデフォルトの瀬戸際まで
追い込まれることとなった。他にも、こうした政治的社会的事情を考慮に入れれば
国債がデフォルトを起こさない可能性が全くないなどといえない。
だから、国債の過剰発行には、常に政治的リスクが付きまとう。
時には、「財政ヒステリー」対策は、インフレ対策以上に重要になりうる。
その意味では、政府部門の有利子負債は、国債という形よりは
「超過準備に対する付利制度」やtime deposit facility というような形態のほうが
好ましいのかもしれない。あくまでも、うわべの違いにすぎないが。

閑話休題。

いずれにせよ、こうしたジャーナリスティックな解説などから、
MMTは財政支出万歳主義だ、公共投資イケイケどんどん説だ、
という印象が広まってしまったものと思う。
アメリカでも日本でも、主張している当人の話に耳を貸すよりは、
適当な有名人の書いたものでも読んで、理解したつもりになっている人の方が
よっぽど多いのである。
(「MMTはリフレ派だ」という説明、これはまったくもってよくわからない。
クルグマンあたりの説明を読んでも、どこをどう取っても、
おいらが知っている「リフレ派」には当てはまらない。もっとも、
おいらの「リフレ派」に関する知識のほうもかなり怪しいので、
もしかしたら、もしかしたら、そうなのかしら♪)
だが、実情は「公共投資イケイケどんどん説」とは、まったく違う。
(ただし、Tcherneva によれば、「MMTの第二世代?」なる存在もあるらしく、
そういう人たちが、どのような主張をしているのかは、
よくわからない。なお、第二世代、という表現を
Tcherneva自身が使っているわけではないのだけれど、
自分たちのことを「第一世代」としたうえで、それ以外の人たち、
といっているのだから、まあ、いいんじゃないかな、と。
まさか「第0世代」じゃあるまい。)

では、原理的な意味で、MMTのインフレ対策とは何か、
と、言えば、「本位制」である。「金本位制」ならぬ「労働本位制」である。
と、いうわけで、Job Guarantee Program が出てくるわけだ。
ただまあ、「本位standard=標準」といっても、金標準とはだいぶ違うよね。
なんといっても、金本位制は、国際間の決済の最終的手段として
金の延べ棒、金地金が想定されている。Job Guarantee Program では、
まさか国際間の収支の帳尻を決済するのに、労働を輸出するわけにはいかない。
つまり、本位standardは最終的決済手段として位置づけられているのではなく、
あくまでも、文字通り、通貨価値のstandard=標準なのである。

金本位制の下では、金生産者が金を銀行に持ち込む際、
受け取った銀行は、持ち込んだ人の口座に預金を振り込む。
この時の買い取り価格は、市価ではなく、法定価格である。
そして、その金が中央銀行に預けられるときに
それと同額の準備が振り込まれる。これによって、準備と預金が同額
増加することになる。
もし金の市場価格のほうが法定価格より高ければ、
金の所有者は、金を銀行に持ち込むことはなく、市場で売却するであろう。
インフレが進み、金の市場価格が上昇しているときには
兌換性の下で払い戻しが可能であるなら、
銀行に払い戻しを要求する人も出てくるであろう――通常、
兌換性の下でも、実際には紙幣と小口の金の交換に銀行が
応じていたわけではないようだが。
いずれにせよ、銀行が保有する金の残高の変動に従って
(厳密に兌換性が管理されているのであれば)、紙幣の流通量も
変動することになる。インフレになれば、貨幣の流通残高には減少圧力がかかり、
逆に、デフレになって金価格が低下すれば、自動的に貨幣の流通残高に
増加圧力がかかる。
Neo Chartalism + Job Guarantee Program は、金本位制と同様の
市場メカニズムによって金本位制と同様の物価安定機能を実現しながら
それに伴う経済危機を回避しようという戦略だ、というわけである。
景気が改善して、労働市場で賃金が高くなれば、
労務者は、Job Guarantee Program から企業への就業へと移るであろう。
こうした人が増えれば、政府による貨幣発行は減少してゆくことになる。
他方で、政府の税収が増えれば(税収とは、政府にとって支出を
ファイナンスするものではなく、単に過去に発行した負債である貨幣を回収・破棄する
プロセスにすぎない)、貨幣の流通残高の増加には歯止めがかかり、
あるいは減少し始める。もちろん、実際にそうなるかならないかを判断するには、
金融市場の動向が重要である。政府発行のベースマネーの伸び率に歯止めがかかり、あるいは
減少すると、預金準備率(まあ、信用乗数だっていいけれど)を通じて
その何倍もの貨幣流通残高減少圧力が発生する。そうして金利が上昇し始めたとき、
もしもInterest Rate Maintenance Account の金利が元のままなら、
IRMAが取り崩されることを通じてベースマネーが供給され、貨幣流通残高は
維持されるであろう。ただし、その場合でも、銀行による貸出金利は
上昇することになり(さもなければ、IRMAを取り崩してまで融資を維持するあるいは
増やす意味は、銀行側にはない)、景気が過熱するにしたがって、
金利と労賃の上昇によって、民間投資が減少し、
物価上昇には、自動的に歯止めがかかる。
IRMAの金利(コリドー・システムの基準金利)が上昇すれば、
なおその効果は高まるであろう。


さて、Job Guarantee Program では、旧弊なケインズ主義的公共投資政策とは
全く違う形で、雇用を創出する。
Job Guarantee Program は、資本制経済の不完全性より必然的に発生する民間部門での
失業者を経済的資源として地方政府あるいはNPOによる直接短期雇用として
吸収する。これは、公共投資による「呼び水」政策によって、民間部門の投資を
活発化させ、それによって雇用を増やそう、という考え方とは根本的に異なる。
前にも書いたことの繰り返しになってしまうが、
周知の45度線モデルでは
Y = C + I + G + (IX-IM)
と、表現されるが、このGにJob Guarantee Program の支出は含まれない。
Job Guarantee Program の総需要への効果は、
民間部門で就業先を見つけることができなかった
人々の消費支出を通じて実現される。消費の下支えになる分、総需要への追加にはなるが
これが直接それに等しい総需要の追加になるわけではない。(Wray & Tcherneva では
Job Guarantee Program の消費支出乗数効果をモデルで示しているが、
おいら個人的には、あんまり感心しない。)
むしろ、供給側では、民間部門の営利活動によっては供給されることのない、
あるいはどうしても供給不足になりがちな活動を支えることとなる。
(こうした、「営利企業によって供給されないサービスを
JGPで穴埋めする、という発想そのものが、しばしば批判の対象とされている。)
いずれにせよ、Job Guarantee Program では、
地方政府及びNPOによって民間部門失業者が雇用され、それによって
たとえば消費支出の下支えが行われ、債務ヒエラルキーの崩壊が回避されることで
大規模な経済後退に歯止めがかかりやすい、ということは言えるとしても、
それを「呼び水」にして企業の投資を増やし、景気を回復させようということではない。
ましてや、企業や高所得層の「期待」に働きかけ、資産価格を引き上げ、
それによる「トリクルダウン効果」を期待する、というものとは正反対である。
(それどころか、期待先行の景気回復は、結局のところ、金融不安定性を加速するものとして
忌避される。あるMMTへの批判者は、「パーティーが盛り上がった時には、
パンチボールを引っ込めること」がMMTの主張だとしているが、
MMT側からこれに対する反論らしいものは、おいらは見ていない。むしろ、
肯定的に受け止めている、と思う。)
なお、Tchernevaによれば、当のケインズ自身は、本来
「総需要政策」ではなくて「有効需要政策」を論じていた。
一般に「総需要(管理)政策」と「有効需要政策」は同じものとみなされているが、
ケインズが言っているのは、企業を刺激することで投資水準を引き上げ
総需要を引き上げることではなくて、投資水準が低すぎ、
総需要が低すぎているときに、政府が、直接雇用によって
有効需要を引き上げることを考えていた、という。
(Aggregate Demand Control ではなく、Target demand controlなんだそうである。)
民間需要で決まるAggregate Demand を補完するような有効需要を
政府が創り出す、というようなイメージなんだろうか。。


と、いうわけで、
MMTにとっては、景気回復(総需要の回復)など、ある意味どうでもいいのである。
(むしろ、加熱しすぎないことのほうが大事だ。)
ただ、資本制経済の発展のためには、貨幣価値は安定しているべきである。
貨幣価値を安定させるために、政府は、貨幣の購買力を維持しなければならない。
そのために、民間部門では雇用されることなかった経済的資源を利用しよう、というわけである。
MMTがJGPによって、民間部門で雇用されなかった人々を一定の時間単価のもので
無制限に雇用する、というのは、貨幣価値を安定させるためであって、
それによって需要を生み出し、景気を刺激しようということではない。
しかし、産業界に対する支援を、全く考えていないわけではない。
それが、労働市場の「バッファー」である。

MMTは、Job Guarantee Program によって、労働市場に「バッファー・ストック・プール
(Buffer Stock Pool)」を作るべきだ、とする。彼らによれば、これこそ、
政府による民間企業部門に対する最大の支援なのである。(金融部門に対する
実質的な金利援助は別としてね。)
バッファー・ストック制度とは、穀物や原油など、国民生活に重要な経済的資源を
政府が一定量、常に確保することで、何事かが起こって、
そうした資源の入手が一時的に難しくなった時、政府が保管していた当該資源を
市場に開放することを通じて市場価格の変動を抑制しようとする政策である。
Job Guarantee Program には、このバッファー・ストック政策と同じような意味があるという。
少なからぬ数の失業者が、失業ののち、就業活動がうまくいかないと
徐々に働く意欲を失い、アルコールや薬物に依存することが増え、最悪の場合は犯罪者となり、
たとえ景気が回復しても労働力としてもはや使い物にならなくなってしまう。不況が
長期化すればするほど、こうした傾向ははなはだしくなる。MMTによれば、これは、
政府赤字などとは比べ物にならないほどの、国家にとっての一大損失だという。
(そんなこと言ったって、財政赤字はもともと損失でも何でもないって言ってんだから、
当たり前といえば当たり前だが。。)
MMTによって、就業機会を与えられた人々は、
それぞれの能力に応じて(といったって、直接、それまで民間で使われていた
技能を使うことができる、という意味ではない)労働を提供する。
こうして労働を継続することによって、
民間部門で失業した人でも、働く意欲を継続し続けることができる。
民間企業で人事を担当したことのある人ならだれでも知っていることだが、
採用する側の立場でいえば、応募者の職歴で一番気になるのが
頻繁な転職と、空白期間だ。頻繁な転職というのはJGPでカバーできるものではないが、
職歴の空白は埋めることができる。
民間部門は、最低賃金(JGP)水準よりほんの少し高い賃金を提供することで
いつでも現役の、職歴に空白期間の少ない労働者を「バッファ・ストック」から
獲得することができる。
さらに、労働力のバッファ・ストックを形成するうえで欠かせないのが
労働者の再教育・再訓練である。
不幸にして、現在のアメリカでは、景気変動の影響を最も受けやすいのは
マイノリティーの低所得層の若い女性(しばしばシングル・マザー)とのことであるが、
彼ら彼女らは多くの場合、様々な事情できちんとした教育を受ける機会を逸し、
社会に出た後で後悔しても、後悔先に立たず、おちんぽ後ろに立たず、という状態におかれている。
彼ら・彼女らを有給で雇用しながら、必要な教育と職業のための再訓練を施すこと、
そして、民間企業が、きちんと教育訓練された労務者を、(不況期には)必要なときには
いつでもバッファー・ストックから獲得できること、(これは同時に、
日本やヨーロッパであれば、様々な労働法規による労働者の解雇しにくさを
緩和する口実にもなりうるし、実際、MMTの議論の中では、しばしば
それを意図しているのかなあ、と感じさせる記述も見かける)
これは、資本制経済にとって、
カレツキーの言う「労働予備軍効果」を上回る利益を与える可能性につながる。
バッファー・ストック効果が労働予備軍効果を上回りうるなら
「資本家階級」にとっても決して悪い話ではないはずだ、と、いうわけだ。
なお、MMTの基本文献には、しばしばクナップやケインズ、ラーナー、ミンスキーと並んで
カレツキーの「完全雇用の政治的側面」が挙げられている。

と、まあ、JGPを中心に(でもないか)、まとまりないことをつらつら書き流してしまったが、
最終的に、やっぱり理解できないのが、
どうしてJGPによって、貨幣価値(賃金ではなく)が維持されるのか、という点である。
政府が「この価格で労働力を、いくらでも買います」と言うのはいいとして
その値段で労働力を売る労務者が、本当にいるのだろうか。
もちろん、景気がよくなり、民間部門の最低給与水準が引き上げられた結果として
民間部門で失業する人がいなくなった、というのなら、とりあえず問題ない。
しかし、物価水準が引きあがり、もはやJGP水準の賃金では生計を維持できない、
となった時、たとえ民間部門で職を失った労務者であっても、
もう、JGPで就業しようとは思わないかもしれない。
そうなれば、JGPには、通貨価値を安定させる機能など、果たすことができない。
結局のところ、そうならないためには、
IRMAに大量に堆積した有利子負債の金利を引き上げることで
貨幣流通残高をコントロールするしかない。しかし、長期的にそんなことが
可能なのだろうか。と、いうより、極端な不況期を除き、
常にインターバンクレートを高めに維持し、貨幣の流通残高を控えめにコントロールすることによってしか、
貨幣価値を安定させることはできない、
ということになってしまうのではないだろうか。その、分配に対する効果は
如何なものなのになるのだろう。。。




まあ、いずれにせよ、今のアメリカでは、インフレの心配をするのはナンセンスなのかもしれないが。

(まだしばらく、この、思ったことをつらつら、何のまとまりもなく書き流し続けるシリーズは、
断続的に続きます。。。)


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