ワニなつノート

トラウマとフルインクル(その93)



トラウマとフルインクル(その93)


《分離がトラウマになるとき》




【トラウマは、自分で自分を取り仕切っているという感覚を人から奪う。】
(333)

私がここに、何度も恨み言のように書き続けている「8才の子ども」の話がある。

「分けられること」は、確実に子どものトラウマになる。私がここに書いていることのすべてが証拠だ。

8才のあの日がなかったら、私はここにいない。

このブログの言葉はすべて、ない。

私は8才のあの日に、失くしかけた「自分で自分を取り仕切っている感覚」「自分自身のことば」を取り戻すために、今日まで、こうして闘いつづけている。

この本を読んでいると、そんな気持ちが湧いてくる。


    ◇


【トラウマを引き起こした出来事のあとに親から引き離された子供は、長期的で重大な悪影響を被りやすい。
…ロンドン大空襲のときにロンドンに住んでいて、ドイツ軍の爆撃を避けるために田舎に疎開させられた子供たちは、そのまま親元にとどまって防空壕で夜を過ごし、破壊された建物や人々の死骸の恐ろしい光景に耐えた子供よりも、はるかに悲惨な経過をたどったという。】
(344)


8才の私が、「3年4組」から「引き離された」とき。

夜中に両親が泣いているのを「見た、あるいは聞いた」とき。

私は確実に、すべての親しい人たちと、大好きな友だちと一生会えなくなると、あのとき感じた。

分けることへの私の怒りは、「8才の子ども」の殺意のつづきだろうか。


   ◇


【トラウマから回復するには、同じ人間である他者と(再び)結びつかなければならない。
人間関係の中で生じたトラウマが、交通事故や自然災害によるトラウマよりも一般的に治療が難しいのはそのためだ。】
(344)


社会に出ていくためには、同じ人間である他者と(再び)結びつかなければならない。

子ども時代に同じ子どもである他者と(再び)結びつかなければならない。

子ども時代を、長く分けられて過ごした人が、社会で障害のない人たちとうまくやっていくのが難しいのは、そのためだ。


障害のある子たちの、就職などがうまくいかないとき、その責任のすべてを「障害」のせいにされているけれど、本当にそうなんだろうかとおもう。

とくに特殊教育と特別支援教育の場では、「他者と結びつくため」にいちばん必要な、「仲間」「みんな」への信頼を育てることを、障害のある子たちから奪ってきたのではなかったか。

そして、障害のある子をどんどん分けていくことで、障害のない子どもたちもまた、


   ◇


【私たちの社会では、女性や子供でいちばん多くみられるトラウマは、両親や親しいパートナーがもたらす。
児童虐待や性的虐待、家庭内暴力はすべて、本来ならば愛してくれるはずの人によって引き起こされる。
このために、愛する人に守られているという、トラウマから守ってくれる最も重要な盾が取り払われてしまう。
養育や保護を求めて当然の相手に、おびえさせられたり拒絶されたりしたら…】
(344)


私たちの社会では、親しい仲間からの分離という子どものトラウマは、両親がもたらす。(社会の制度が両親に命ずる。)

本来ならば、引き裂かれることから守ってくれるはずの人によって、引き起こされる。(社会の制度は、子どもにはまだ見えない。)


このために、愛する人に守られているという、トラウマから守ってくれる最も重要な盾が取り払われてしまう。

保護を求めて当然の相手。

それは、親であり、担任の先生であり、地域の学校であり、ふつう学級なのだとおもう。

私が思うというより、子どもたちはみんな、はじめはそう信じて疑わない。


私たちは、それにどう応えるのか。



(92につづく)
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