ワニなつノート

名古屋のお母さんたちと話していて、気づいたこと。(その1)


名古屋のお母さんたちと話していて、気づいたこと。(その1)


《消えた言葉》



「分からない授業はかわいそう」
「ふつう学級はかわいそう」
「ふつう学級は子どもに無理を強いているんじゃないか」

そういった外の言葉に対して、言い返す言葉と気持ちが、私の中からなくなっていた。
その言葉を聞いても心がざわついたり、迷う余地がないのだ。
もちろん、うなずくこともないが、逆らう気持ちもない。


「あなたの人生の経験では、本心からそう考えるしかないのだろう。
私も、そっち側で暮らしていたことがあるからよく分かる。
私の中にもその言葉が染みついていた。」


でも教師として、介助者として、「会」の仲間として、生きてきた人生で、私はそういう子どもに一人も出会わなかった。

そんな子は、一人もいなかった。



5年前に癌になったとき、もしかしたら自分の人生はこのあたりで終わるのかもと思った。

そして考えた。
もし、これで人生が終わるとしたら、私は人生で一度も、「ふつう学級でかわいそうな子ども」に出会ったことがないことになる。


私は人生で一人も出会ったことのない、「かわいそうな子ども」を語る言葉に、怒ったり、むきになって反論したり、勝とうとしてきたことになる。

私は何と闘っていたのだろう。

何を怖れていたのだろう



いまは心の底からそういう言葉や気持ちが、消えしまった。
髪の先から、足の爪の先まで、どこを探しても、「ふつう学級でかわいそう」と思う気持ちが見つからないのだ。

いつのころからか、「分からない授業はかわいそう」という言葉は、私の人生から消えていた。

その代わりに、ふつう学級での子ども時代抜きにはあり得ないその子の人生を、長い映画のように見せてもらっている感覚だけが増えていく。

回し続けているビデオカメラには、子どもたちの成長していく姿と、そのおかげで成長できる自分の姿が増え続ける一方なのだ。

何を怖れて生きてきたのだろう。

怖れは、私の中にあった。

私の怖れが相手を大きくして、押しつぶされそうになっていたのかもしれない。

そんなことをおもう。


(つづく)


PS: 名古屋で一年ぶりに小夜さんに会った。

「さとうくんもよくがんばってるねえ」と誉められた。
うれしかった。

小さな子どもがおばあちゃんに誉められたみたいに、うれしかった。

私が見てきたものを、誰よりも深く知っている人から、
私が見てきた年月を、ずっと見守ってくれた人から、誉められた気持ちがした。

コメント一覧

nomi
(続き)それから、1,2ヶ月と長期に渡ってこのような
生活になると、私自身が疲れてくることも現状としては
あります。学校、仕事先、ヘルパーさんなどに連絡して
変更など調整を急遽図るということが、あったりなかっ
たりが1、2ヶ月。終わりはどこかわからない状態で毎
日対応、なにより、haruが安定して元気でない状態が長
いことが、少しずつ少しずつ私の気持ちに効いてきます
。だから、「学校休んだほうがいいかな」と思っても、
「行かせてしまう」こともあります。(学校に行けない)
焦りだったり、(学校に行ってほしい)願望だったり、予
定を済ませたかったりで。私の問題であることは一目瞭
然。haruではない。なのですが、私は、haruの学校生活
を私の生活の優先軸にしているので、体調の不安定が長
くなると、私自身が苦しくなってくるのは、気持ちの問
題ではなく、実際にあることで…。
この辺の絡んだ感じ(私には絡んでみえる)が、「無理を
させてしまうのではないか」の言葉になったのだと思い
ます。だけど、それと全日制がどうだということは別な
のかもしれません。そういう体調のharuが彼のペースで
学校に通うことと、私の苦しい原因を解消する手立てを
考えることは別ですから。仕事をやめるとか、変えると
か、ヘルパーさんに委ねられるところは委ねるとか、誰
かに助けてもらうとか(はっきりしない分、助けの予定
をつけにくく難しいのですが)。

整理できたのかできていないのかもよくわかりませんが
、そんなことを一人で考えたりしていました。
satoさんと話した後、考えたのは、「あと(高校の)3年
、付き合うことはできませんか」と、もし問われたら、
「付き合います」と答えるなぁと思ったこと。それに「
受けたいところを受ける」の気持ちも固まりました。

長くなりました。言い訳をしたかったのではなくて、ち
ゃんと伝えられなかったことをお伝えできればと、こち
らに書かせていただきました。satoさんのシンプルな言
葉にいつも考えさせられます。気づかされます。ありが
とうございます。
nomi
こんにちは。先日は名古屋にお越しくださり、ありがと
うございました。お話できてよかったです。うれしかっ
たです。
「てんかんがあって調子が悪いことが多く、毎日10時く
らいに登校している息子にとって、全日制は無理をさせ
てしまうのではないか」と言った私。
何が無理?…そう。私も何度も自分の中でした会話。佐
藤さんに言われて、私はどんなことを一人で会話してい
たのかもう一度整理してみることにしました。それで、
一人で会話しても出口が見えないときは、人にきいても
らうのがいいなと、改めて思った次第で、あのとき佐藤
さんにきいてもらえて本当によかったですし、人に話す
とういう点では、onoさんの才能を羨むばかりです(ホン
トに)。

「無理させてしまうのではないか」を私の中から一掃で
きなかった背景としては、haruの体調の不安定さがあり
ます。その体調の良し悪しはわかりにくく、昨日の夜は
元気だったのに、今朝は元気がない、しかも完全に元気
がないのではなく、「なんとか学校に行けそうな感じも
する、いや、学校に行ったら体調がもっと悪くなるかも
しれない」と判断が付きにくい様子。小学校に入ってか
ら、そんな様子を見ながら、これくらいならと学校に行
ってみたり(そのまま学校で過ごせるときもあれば、具
合が悪くなって早退することも)、3日くらい休んで体調
を整えてから学校に行ってみたり、その時その時でharu
にききながら様子をみながら判断してきました。しかし
、未だによくわからない…。その日その日で判断してい
くこと、自分の予定をその都度変更調整していくこと、
ヘルパーさんの依頼を急遽入れること、学校から早退の
連絡が入るかどうかを気にしていること、そして、この
ままずっと元気にならないのではないかという不安、こ
れが1ヶ月、2ヶ月続くことが年に2,3回あって、短
い期間のも入れれば毎日とまではいきませんが、ほぼ毎
日「今日は大丈夫かな、明日はどうかな」という状態で
す。体調がはっきり良くなくても「このくらいなら」と
学校に行って、早退になることもまあまああって、その
ことが私の中で一番ひっかかっているのだと思います。
「無理をさせてしまっているのではないか」と。(続く)
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