ワニなつノート

hideの講演会報告 (その2)

hideの講演会報告 (その2)

《違和感について》

hideの講演会のずっと前から感じていたことで、当日も「やっぱり」と感じたこと、終わった今も、そのことが喉に刺さった魚の骨のように引っかかったままの違和感があります。

その「違和感」を一度言葉にしないと、自分が本当に言葉にしたいことが見えてこないようです。なので、自分の頭の整理のために、「違和感」を先に並べてみます。


『共に学ぶことと、知的障害者の自立生活のつながり』
「障害者の自立生活」について話す言葉を、私はほとんど持ち合わせてはいません。それは、やはり「障害」の当事者が語ることでしょう。だから、今回の依頼が、私にきたものなら迷わず断りました。ところが、今回はhideへの依頼でした。また、依頼者が岩橋さんでなければ、やはり断っていたでしょう。

岩橋さんと初めて出会ったのは、23年前だったと思います。そう、岩橋さんがたこの木を作るときです。でも、一緒に活動してきたわけでもないし、一年に一回会うか会わないかというつき合いでした。でも、この20年あまり、自分と同じようなこだわりを持って生きてきた同世代の人を、私は他に知りません。20代の頃、「会」や運動で出会った同年代の仲間や、介助者仲間で、いまも私と同じところにいるのは、岩橋さんだけです。

だから、hideが生きてきた子ども時代、小学校、中学校、浪人、高校、そして、いまの生活について、なんの「前置き」も「説明」もなく、ただ「共に生きる教育とhideの自立生活」について話してみたい気持ちになるのは、岩橋さんしか思い浮かびません。


…そうか、こう考えてみると、やっぱり私はhideのことより、自分を振り返るいい機会だと感じたのでした。問題は、岩橋さんとはhideのことを話す気持ちになるけれど、それ以外の人たちはどんな人なんだろうという不安というか私自身の不信感でした。

そもそも、このテーマの話を本気で聞きたいと思う人が、子どもを「普通学級」に通わせている親以外に、どれだけいるんだろう?という、私の不信感というか違和感が強くありました。特に、自立生活や大人の障害者の介助、支援をしている人たちは、「0点でも高校へ」など、ぜんぜん興味も関心もあったことがないんじゃないの?くらいに、私は思っているのでした。それが、そもそもの「違和感」のもとでした。

昨日、私がhideの隣で話したことが、言葉ではなく、hideの姿を通してその子ども時代の中身を具体的に感じられたのは、同じように普通学級に子どもを通わせてきた「親」だけだったんじゃないかと思うのです。

実際、講演会のあとの交流会で、「どうして0点でも高校なのか、ぜんぜん分からない」という言葉を聞いたときには、「やっぱり…」と思いました。「どうして3年も浪人してまで、高校にこだわるのか、ぜんぜん分からない」
そう話したのは、車椅子を利用している大人の人でした。その人は普通高校だったそうです。でも、「自立生活するのは、養護学校でも同じなんだから。どうして普通学級にこだわるのかぜんぜん分からない」と。

むかし、まったく同じ言葉を聞きました。
それはまた、「ワニなつカルタ」にもなっているくらい、よくある「疑問形」の形をした「差別」だと思うのです。だから、それに対する答えもまったく同じです。


【な】
《なぜと問わなくてすむように》

http://sun.ap.teacup.com/applet/waninatu/20091012/archive
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