ワニなつノート

『リハビリの夜』(その2)


【自らすすんで私に従え】

(59~)
毎日のセッションンは1時間半程度で、
一日にそれが3~4回行なわれる。

…私の体にトレーナーが介入し、
「健常」な姿勢や動きを与えようとする。

「これがあるべき動きである」という
強固な命令とまなざしをひりひりと感じながら、
焦れば焦るほど、その命令から脱線する
私の身体の運動がますます露わになっていく。


キャンプ中のトレイナーは、
その後も私のつたない動きを許してくれなかった。

どこをどのように動かしたらいいのか
まったくわからずに動けなくなっている私に、
トレイナーは徐々に苛立ちを募らせてくる。


【自らすすんで私に従え】

課題訓練のときにしばしばトレイナーは、
「ほら、頼らずにもっと主体的に動かして!」
というような声かけをしたが、私はそこに違和感があった。


「自発的に」体を動かせという指示である。
それを聞いて、私はおそるおそる
体を動かしてみるのだが、そうするとすぐさま、
「違う!」
と言われるのである。


…「自発的に」という言葉は、
自らの自由意思に基づいてという含みをもっているのだが、
同時に「私の指示に従え」という命令も込められている。

つまり、トレイナーは
「自らすすんで私に従え」と言っていることになる。

「主体」というのは、
トレイナーの命令への「従属」とセットになっている。


このような関係では、私の体だけではなく、
私の努力の仕方や注意の向け方などの内側までもが
トレイナーによって監視されている。
これは、体だけではなくて
心に介入されているような事態である。


…私はもはや、切り離された腕や足といった
体のパーツから発せられる痛みを、
我がことのように感じにくくなっている。

…そして最終的には、体のほとんどをトレイナーに奪われて、
「私」は体を持たずに宙に浮いた存在のようになる。

身体を奪われたことによって
宙に浮かぶ「私」というのは、
私の身体からの情報も、
トレイナーの身体からの情報も、
ほとんどはいってこない状態になっている。

このように、宙に浮いて事態を俯瞰して
眺めている「私」というのは、
「退屈な映画を見ている観客」のような立ち位置にいる。


   □    □    □


ここで第2章が終わりですが、
この最後の「宙に浮いて、眺めている私」の表現を、
私は何度も読んだことがあります。
それは子どもが性虐待にあったときに、
「現実」を「感じない」ためにとる手段でした。

そのページのイラストを見た時、ふと見上げた本棚に
『いつもの空を飛びまわり』がありました。
これは「フィクション」ですが、
こんなふうに書かれています。


「誰にも言っちゃいけない。
こんなことが知れたら、おかあさんは死んでしまうからね」
父親のそんな言葉に縛られ、
エマはなすすべもなく怯え、苦しむ。

…やがてエマはそんな状況から逃げ出す方法を手に入れる。
肉体から精神だけを解き放ち、空を飛ぶことを覚えたのだ。
そうして心だけになってベッドルームの天井を漂っていた…」


リハビリとは、なんだろう。
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