《一生懸命、育ててきたんです》
「問われる地点」から始めたくはない。
講演前に、自分のなかにあった違和感は、言葉にすればこれでした。
「どうしてこんな子が、普通学級なの?」
「しゃべれない子が、普通学級で何をしてたの?」
「大人になって字も書けないで、どんな授業を受けてきたの?」
「えー、小学校だけじゃなくて、中学も?」
「高校? ひらがなも読めず、書けず、言葉も話せず?」
「どうやって? 0点で?」
「そんな子が、普通高校の授業を受けて何か意味があるの?」
「どうして?」
「なんで?」
「養護学校でいいんじゃないの?」
そんな「地点」に、hideを立たせることに、私の中でものすごい違和感があるのでした。だって、私たちはいわゆる「健常者同士」では、お互いに「どうして小学校に行ったの?」「自分の意思だった?」とか、そんな会話はあり得えません。「どうして高校に行っの?」という質問もありません。むしろ、「高校に行ってない」と分かった時に、「え、どうして高校に行かなかったの?」(何か特別な事情があったの?)と問われるのです。それが、私たちの「日常感覚」です。そして、会の仲間のなかでは、hideもまなちゃんもあいちゃんも、みんな、その「日常感覚」の中にいます。
そう、私たちの会の仲間のなかでは、どんな障害のある子どもも、障害のない大人も、同じ日常感覚で話すことが、ふつうになっています。でも、そこから一歩離れたときに、「問われる」予感がするのは、私がふつうの大人を信用していないからでしょう。
27歳にもなったhideに、今さらそんなまなざしの前に立たせたくはありません。Hideの6歳から22歳の苦労のほとんどは、そのまなざしと「常識」のせいだったのですから。その全ての差別を闘い抜いて、一度もあきらめなかったから、いまここにいるのです。hideの当たり前の居場所から一歩も引かなかったから、hideはここにいるのです。
a「本当に本人が行きたかったの?」
b「親じゃないの?」
(aの話は別の機会に)
bへの、返事。
「そう、親だよ。」
その親がいたから、hideはふつうの子ども時代を生きられたんだよ。三人目の我が子を、兄たちと同じように育て、同じように保育園に通わせ、同じように小学校に入れ、同じように高校まで通わせた。当たり前のことでしょ。
hideが小学校に入ってから高校を卒業するまでの間に、その親の言葉で、私がいちばん驚き、親にはかなわないと感じ、そして心から尊敬しているのは、hideが定員内不合格になったときの言葉です。
同じ高校を二回不合格にされ、校長に抗議に行きました。
「定員が空いているのに、なぜ不合格にするのか」
「県民に約束した定員を確保するように県教委の通達も出てるじゃないか」
そうした抗議の言葉の間に、hideのお母さんの言葉が響きます。
「どうして落したんですか」
「落とされる理由は一つもない」
「hideは一生懸命がんばって受験したんです」
「どうして落したんですか」
その時の校長は、本当に態度が悪いというか、性格が悪いというか、私が出会ってきた100人以上の校長の中でもダントツに悪代官風の校長でした。私などは、完全にブチ切れて、ふざけるな!と自分の感情で怒鳴る中、hideのお母さんは言いました。
「どうして落したんですか?」
「席が空いているのに、どうしてうちの子を落としたんですか」
「…一生懸命、育ててきたんです」
私は、25年間、障害児の高校進学に関わってきて、この言葉よりも説得力のある言葉を聞いたことがありません。もちろん、ぜんぜん、理屈にはなっていません。入学試験の合否に、親が一生懸命育ててきたかどうかは、何の関係もありません。でも、その言葉が、私のなかでは、すべてだと感じるのです。
「…一生懸命、育ててきたんです」
どれだけ大事に育ててきたか。6歳の我が子を、邪魔者扱いされ、小学校の校長先生と闘い、担任と闘い、教育委員会と闘い、県の教育委員会と闘い、文部科学省と闘って、この国と闘って、守ったものは、ただのふつうの子どもの暮らしです。駅で電車を見ているだけで、警察に通報される息子を、定時制の帰りの電車で「なんでこんなやつを電車に乗せるんだ」と、酔っ払いにからまれ、ふつうの学校やふつうの社会にいるだけで、責められる我が子を守りとおして、ここまで育ててきたんだ。
「本当に本人が行きたかったの?」「親じゃないの?」
「そうだよ。親だよ。私の知っている親は、みんなそうやって、身体をはって子どもを守っている親だよ。親が子どもを学校に行かせるのは当たり前じゃないか」
◇
「0点でも高校へ」
それは、「0点でも平等へ」なのです。
「0点でも高校へ」
それが、ひとつも分からない、ということは、「0点でも平等へ」が一つも分からないということになるのだと、私は思います。
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