ワニなつノート

伊部さんに会って話したいこと

伊部さんに会って話したいこと


《理想》

障害のある子も一緒に育ちあうこと。
ただ、地域の保育園、学校で、同年齢の子どもたちが一緒に生活し、遊び、学び、育ちあうこと。
その基本となる学校という居場所。地域という居場所。家庭という居場所。
それを子どもにとっての基本として保障すること。

ただそれだけのことを、「理想」だという人がいます。

「この子が、この社会で普通に関係を作って生きることは、現実には無理なことだから、別の場所で守られて生きる方がいい」と考える人がいます。

それは、何百年も前からのやり方であり、今も変わらずに繁栄している文化の中心です。
今世紀に入り、その勢いは増しています。

子どもを「分ける」ことを、「痛み」とは感じない感性の大人が、たくさんいます。
「分ける」ことを、「ちょっと歯医者に行ってくる」のと同じようなもの、誰でも必要に応じて必要な動きをすればいいのだと、考えるようです。
「分ける」ことを、「個人を大切に扱う」ことと、素朴に信じて育ってきた人たちがたくさんいます。

その人と、私の、感じ方の違いは、どこからきているのだろう?

子どものころ、「放っておかれた経験」のない人はいません。
「自分だけを見てほしい。自分だけを大切にしてほしい」と願わなかった人は、いません。
それは、素朴な願いです。
それが満たされなかった記憶が、邪魔をしているのかなと思ってみたりもします。
子どもの思いとか希望よりも、無条件にただ守られてあることが、幸せだと思えること。
子どもを「個別で教育」してもらうことを「願いがかなう」こと。
それが、どこか「すり替えられている」ことに、うすうす気づいていても、それを認めることができません。

何より、それは、子どものため、ではなく、自分の感情のことだと、思いつくことをさせません。
自分が満たされなかった思い、と自分で向き合うことができない、からです。

30年以上、そのことを考えてきて、「分けられること」にうなずく人と、「分けられることに」うなずかない人と、出会い続けてきて、30年以上、6歳の子どもの親に、出会い続けてきて、わかったことは、そのことでした。

それは、理想なんかの話じゃなくて、いつも目の前にある生活のことでした。


《教育の話じゃなく》

30年前に出会った「子ども」の親たちは、いまは60代、70代になっています。
いま、出会う「子ども」の親は、20代、30代です。
親たちが育った時代は、まったく違います。
でも、子どもが生まれて「障害児の親」とよばれ、初めて「障害」に向き合う人がほとんどだという事情はほとんど変わっていません。

30年前も、10年前も、今も、子どもが生まれて初めて「障害と生活と教育」について、考える、という条件は同じです。

それなのに、「普通学級」を、どうしても手放せない「感情」を抱く「親」がいます。
毎年、毎年、その「感情」に、気づいてしまい、でもその感情を疑い、あきらめようとしつつも、どうしても手放せない人がいます。
それは、理屈ではないようです。知識や考えではないようです。
私が「なかま」と感じるもの、「一味」だと感じるもの。
それは、「親の感情」のようです。
「子どもを思う、親の気持ち」の思い入れが似ているのです。

だから、時代を超えて、教育のカタチを超えて、同じものを探しているのです。
自分の思いを大事にする道。
子どもの思いを大事にする親としての自分の歩き方。

それは、歴史や教育の話ではありませんでした。
差別や法律の話ではありませんでした。
医療やリハビリの話ではありませんでした。
まして親亡き後の話なんかではありません。

そんな話や知識のことだったら、こんなふうに、「理屈」ではなく、「あきらめきれない思い」にしがみついて、「あたりまえに普通学級に行こうよ」という言葉を探し続ける人と、毎年のように、私が出会い続けることはできなかったはずです。

子どものことを思う親がいて、
それは、すべての親がそうかもしれないけれど、
その思いのなかでも、「一番大切にしたいもの」が、「無条件」であるかどうか、なのだと思います。

だから、普通か養護かの問題なんか、ではなかったのです。
その答えを、教育に探しても、たいした意味はなかったのだと思います。
一番大切にしたい子どもとの関係、子どもへの思いを、「阻む」ものとして、「養護学校」や「特別支援教育」が立ちはだかっているだけのことなのでした。


《篤さんへ》

特殊教育や特別支援教育について、膨大な書物が書かれています。
私が理屈や言葉で、それらに立ち向かえるとは思いません。

ただ、私の中にある「確信」は、朝子と篤さんが、そこにいたこと。

康司と律子さんがそこにいたこと。
たっくんとお母さんがそこいいたこと。
知ちゃん、ゆうりちゃん、けいちゃんと、お母さんがそこにいたこと。
子どもと親と出会ってきたこと。

そこで、法や制度の差別と暴力のなかで苦しみながらも、親子や仲間との関係のなかでは幸せにつつまれていたこと。
「障害」のあることが、特別な不幸や苦労ではないことを教えてもらってきました。
母親や父親、兄弟姉妹やおじいちゃんおばあちゃん、近所の人、クラスメート。そうした当たり前の関係のなかで「生きる」こと。
いま生きていること。
いま生きていること、そのことに「障害」の種類や重さは、とりあえず別のことであること。
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