子どものころ、
わたしの寝顔をみて幸せになれた人のことを、
眠っていたわたしは
どうやって覚えていたんだろう?
わたしの眠っている間に、
そんなふうにわたしをおもっていてくれる、
感じていてくれる、
いつまでも見守っていてくれる。
その人のおもいを、
わたしはどうやって、感じ、
覚えていることができるだろう。
その人のおもいに、
いのちごと支えられて、
わたしは、こうして人を、
この世を、出会いを、
信じることができているんだろう。
子どものころは、
そんなまなざしと思いに包まれていたことなど、
なにも考えずにきました。
そんなことを考えるまでもなく、
わたしはひとりで歩くことができて、
聞くことができて、
走ることができて、
ことばを話すことができたから。
小学校の水泳大会のときも、
中学のスキー大会のときも、
わたしは自分の力でがんばった。
高校受験のときも、大学の受験も、
自分の力でがんばった。
つもりだった。
わたしはこの年までそう思って生きてきました。
ひとが「障害児」と呼ぶ子どもを、
「あさこ」とか「たくや」
「こうじ」「ひでかず」と愛する名前で呼び、
「障害児」ではなく、
ただのわたしのこどもとして、
親子でいること、家族でいること、
地域にいること、学校にいること、
友だちのなかにいること、
人と人とのつながりのなかにいることを、
ただあたりまえに求める親のおもいに出会うまで。
そのおもいとまなざしに包まれて、
自分も幼い子どもに戻って見えるものを
教えてもらってきました。
目の前の子どもが「できない」姿であること、
それは親にすれば、
通り過ぎていく日々のなかでは、
子どもの姿のほんの一部でしかないのだと。
この星に最初の命が生まれたときから、
いのちは「わたし」と「この子」が
同じであるということを、
教えてくれた人たちのことを、
わたしは忘れないでいたいと思います。
あさこの寝顔。
こうじの寝顔。
たくやの寝顔。
ひでかずの寝顔。
この子の寝顔の隣にいるときが
人生で一番の幸せな日々。
その幸せな夜を何百回、何千回と過ごした親の思い。
そうした思いがこの世にはあふれていることを、
私は忘れないでいようと思います。
子どもの寝顔や後ろ姿に、
いつまでも消えない声を残してあげたいと思いながら、
毎日の中ではそんなことを忘れて、
せかしたり、
ぼやいたりしながら、
子どもと暮らす親の日々を
忘れないでいようと思います。
そうした、ただの日々の繰り返しのなかで、
いつまでも消えない幸せをもらっているのは
子どもよりも親の方だったと、
子どもを亡くしたあとに
改めて教えてくれた人のことばを、
わたしは忘れないでいようと思います。
その幸せを心につめこんで、
一人の心には抱えきれないほどの思いを、
あたりいっぱいにあふれこぼして亡くなった人の思いを、
忘れないでいようと思います。
私もその思いに包まれて、
子どもたちのそばにいたいと、思います。
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