ワニなつノート

こだわりの溶ける時間(2)



たとえば、幼稚園でみんなの中に入らず、
ひとりポツンと過ごす子どもを、かわいそうと見る人がいます。

でも、その同じ子どもを見て、
「後姿でみんなの息遣いを感じているんだろうな」と
受けとめる人もいます。

子どもたちの遊ぶ声や笑い声を、
塞いだ耳の隙間から確かめていることもあります。

子どもたちの声にあふれる楽しさや安心感、満足感のなかに、
仲間と交わる歓びがあふれています。
その歓びの気配を、少し離れた安全な場所から、
じっと耳を塞いで、でも耳をすましている姿が、
そこにあるような気がします。

サル山の真ん中で遊んでいるような子ども集団に、
すぐに溶け込むことはできなくても、
その楽しそうな声、うれしそうな声を、
毎日繰り返し聞いているうちに、
サル山の歓声が、安心できる日常になじんでいきます。

そうした日常のなかに、
自分ひとりの安全なこだわりの世界から、
友だちのなかの安全な世界への興味が引き出される瞬間が
あるような気がします。

そんなふうに、人と人とのつながりの方へ、
目を、耳を、心を、身体を向けようとするとき、
そこには、こだわりの溶ける時間がゆるやかに流れていきます。

もちろん、長い時間、慣れ親しんだやり方を、
一人ではうまくほどけない時もあるでしょう。
その時には、誰かの声かけや、行き違いを、繰り返すなかで、
自分ひとりではほどけないこだわりの結び目が
ほぐれることもあるでしょう。

ケンカしたり、泣きながら、
人との関係に折り合いをつけていくのもまた、
子どもの自然な姿です。

そのエピソードの一つ一つが、
こだわりの溶ける時間のものがたりとして、
子どもたちの人生を、限りなく豊かなものにしていくことでしょう。
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