ワニなつノート

ミラーおばさんのことば(2016-Ⅰ)


ミラーおばさんのことば(2016-Ⅰ)


ミラーおばさんからの宿題のように感じてきた言葉がある。

「子どもの屈辱をわかってやる感覚が、私たちにはまだ備わっていません。」


子どもの屈辱をわかってあげられる人になりたかった。
子どもに屈辱を感じさせないために、必要なことだとおもった。


なにより、自分が分かってもらえなかった屈辱を、
分かってあげられる大人になりたかった。

自分の屈辱を分かってあげられないまま、
子どもたちと向き合うのは怖かった。

だけど、ミラーおばさんはこういう。

「子どもを尊重しその傷ついた心を知るというのは、
知的な行為ではありません。」


じゃあ、どうすればいいのか…。
二〇代、三〇代、四〇代、五〇代とずっと探していた。


それを見つけないと、自分の中の子どもが
いつまでたっても生き苦しいと感じていた。
わたしは あのとき、あそこに、いてはいけない子どもだったのか。
あのクラスに、あの家に、あの町に生きていてはいけなかったのか。
ずっと確かめたかった。


答えが見つからないまま時がたちすぎて…。
答えを探すより、せめてこのことばを忘れないように 
生きてきた。


「日常の暮らしの中の相互性と応答性を守ること」
このことばに出会って、探していたものが近くにある気がする。
探してきたものが、みつかるかもしれない。

そんな予感がする。


(つづく)
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