ワニなつノート

リハビリの夜(その3)

リハビリの夜(その3)


(152~)

《一人暮らしをするのだ!》

18歳になった私は大学進学を機に、一人暮らしをはじめた。

一人暮らしを始める前、両親はとても心配していた。

なにしろ十数年間のリハビリの成果は目に見えてあらわれず、
トイレに行くことも、
着替えをすることも、
風呂に入ることも、
車いすに乗ることも、
いまだ自力では行えない状態だったからだ。

そんな状態で一人暮らしをするなんて想像もできない。
そんなことをしたら、のたれ死んでしまうのではないか。

両親の危惧はもっともなことだった。

両親は一人暮らしを始める前に、
一年間休学をして関東近辺のリハビリ施設で
訓練をしたらどうかと提案した


しかし、私はその提案に乗れなかった。

もうすでに、何年間もリハビリをやってきたではないか。
あともう一年それを続けることに、
どれほどの意味があるというのだろう。


「いつか他の人と同じように社会の中で暮らすために、
今は社会から離れて普通の人に近づく訓練をしよう」

こういう発想は、社会に出る時期を先延ばしにする。

そして先延ばしによって隔離期間が長くなればなるほど、
「普通の人」「厳しい社会」というイメージが
密室内で妄想的に膨れ上がり、
ハードルは高くなっていく。

子どもを社会に出したい反面、
今の状態で出すのは恐ろしいという親心の葛藤が
密室内でどんどん高められて、リハビリの熱情へ転化し、
身動きがとれなくなっていくのだ。



     □     □     □


「いつか他の人と同じように社会の中で暮らすために、
今は社会から離れて普通の人に近づく訓練をしよう」
こういう発想は、社会に出る時期を先延ばしにする。


これって、「翻訳」する必要がまったくないなぁ(>_<)
でも、かっこがつかないから、むりむり書いちゃお。



「いつか他の子どもと同じように社会で暮らすために、
今は《普通学級》から離れて、
普通の人に近づく訓練をしよう。」
こういう発想は、社会に出る時期を先延ばしにする。


生まれてから18年間、社会から離れて生きてきた子どもが、
「社会」に出ていくのは、本当に大変だろうと思う。
「障害があるから大変」だと思うのではありません。

18年間、自分が「いなかった社会」に、
出ていくのは、誰でも大変だと思うのです。

Hideやこうちゃんにとっては、そこは「地続き」でした。
普通学級という子どもの社会から、
大人の社会に出てきただけだから。

たとえばHideは、もともとしゃべれないまま、
普通学級という子どもの社会でふつうに過ごしてきたから、
いまも、しゃべらないまま大人の社会で
ふつうに生きているのです。
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