ワニなつノート

リハビリの夜(その4)

リハビリの夜(その4)



(153)
《自立生活運動に背中を押され》


当時の私を一人暮らしへと後押ししてくれたもう一つの要因は、
人々の介助を受けながら地域で長年暮らしている
先輩障害者の存在だった。

飲み食いや排泄などの基本的な活動まで
介護者の都合を優先して管理する家庭や施設。

そこから彼らは抜け出し、
人手を自ら調達しながら
地域で主体的に暮らすことを選んだ。

その流れは「自立生活運動」と呼ばれている。

施設や家族のパターナリズムへの抵抗、
という理念に私は強く共感し、励まされた。

しかし…同じ身体障害者といっても、千差万別である。

だから、私は彼らの暮らしぶりを参考にしつつも、
あくまで私固有の暮らしを一から作り上げていこうと心に決めた。

もちろん、私には生活のビジョンなんてまるでない。


ただ一つ強く感じていたのは、
いつかこれを始めなければ、
両親亡き後、
私は生きていかれないのではないかという不安だった。



      □    □    □


「親なき後」という言葉を、繰り返し読み、
繰り返し聞いてきました。
そのたび、文脈によって程度の差はありますが、
違和感を感じてきました。

その理由をいくつも考えてきたつもりでしたが、
この「使い方」は意識できてきませんでした。

「いつかこれを始めなければ、
両親亡き後、私は生きていかれないのではないかという不安」


昔、読んだ本の「障害者」は、
こういう言葉遣いではなかった気がします。
「親は敵だ」という私の印象が強すぎるせいかもしれません。

そのせいか、この言葉は新鮮でした。

いままで、「親」の立場や、
「教師」の立場から聞く「親亡き後」とは、
まったく違うものを感じます。

そしてふと、hideの顔を思い出し、
「ああ、hideも、こういう不安を感じたことがあるのだろうか」
と思いました。

そして、「いまのhideは、少なくともこういう不安を
感じなくてもいい、自分の生活を手にしているんだな」と、
そう思います。

コメント一覧

yo
mayumiさん

hideが一人暮らしを始めて、もう5年…?
立派に一人暮らしを続けてるよね~。
hideもK2も。

hideが文章を書けたら、絶対に
『リハビリの夜』より面白い本を
書いてくれると思うんだけどね~~(-。-)y-゜゜゜


yo
ありんこさん。

そうなんですよね。
「親なき後」って、
「親なき後の子どものこと」がメインじゃなくて、
「親なき後の、親の心残り」がメインに語られすぎてきたんだな~と思います。

だから、「子ども」の立場での、「親が死んでしまった後、自分は野垂れ死んでしまうのだろうか」という言葉が、新鮮に聞こえたのかなと思います。

新鮮?に聞こえること自体、そういう視点の話が、ふだんなさすぎるってことですよね。


mayumi
hideの誕生会に行ってきました。田舎から呼び寄せた母が、「hideに会いたい。」と言うので一緒に行ってきました。
急がしい介助者2人は、また、出かけてしまったようです。その介助者と「乾杯」を済ませて、出来上がっているhideは、上機嫌でした。
母は、「おばあちゃんだよ、覚えてる?」「おめでとう。」と言って手を伸ばしたら、hideは握手をしながら頷いていました。母は、「覚えていたね。覚えていたね。」と、何度も言っていました。家に戻っても、何度も嬉しそうに・・・。
アパートがすっかりhideの自宅になって、介助者の中に居るhideの顔は、落ち着いたいい顔をしていました。
落ち着かなくなったhideともちゃんと付き合える介助者に感謝です。ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
ありんこ
「親なき後」この言葉を聞くといやな言葉だなと思います。
子供を思う親心と言えば聞こえはいいのですが
いつも当事者の意思はどこかに置いてけぼりで
当事者の意思を無視して周囲ばかりが気を揉んでいる感が
私は違和感MAXでした。
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