ワニなつノート

普通高校に絶対に入れない子を作り出すための計画(その4)


普通高校に絶対に入れない子を作り出すための計画(その4)


『御巣鷹山と生きる』に、
「遺族もまた、相手を責め続けることのむなしさを知っている」
という言葉があります。
その言葉を自分にかみしめながら、
私は高校のことを書きたいと思います。


1985年8月12日、
18時56分頃に群馬県上野村近くの山中に墜落。
520名が死亡。

「遺族となったのは、401世帯。
そのうち22世帯は、一家全員が亡くなった。
一度に8人の家族を亡くした方もいた。
母子家庭になったのは189世帯で、およそ半分を占めた。

……一瞬のうちに明日を失った人の中に、
50人を超える10歳以下の子供や幼児がいた。
そのひとりである私の息子・健の話をしたい。」


この本は、健ちゃんのことから始まります。
そして、事故から4カ月後の1985年12月に
「8・12連絡会」を結成し、
人をつなぐ仕事をされてきたことが丁寧に書かれています。

『私たちの思いは、
「亡くなった人のためにがんばろうね」で貫かれた。
二度とこのような事故を起こして欲しくない。
私達のような人を増やしてはいけない。』


    □    □    □


国際民間航空機関(ICAO)の事故防止マニュアル
(安全管理マニュアル)

「いかなる組織体においても安全と事故防止の責任は
最終的には経営者にある。」

「なんとなれば、経営者だけが人的物的資材の配分を
コントロールするからである」

「経営者の関与の度合いと彼が配分する人員機材によって
組織の事故防止プログラムの質は著しい影響を受ける」



このことが書かれたページで、
ふと高校のことを思い出しました。


「後期中等教育の保障と、子どもの人権尊重の責任は
最終的には教育委員会にある。」

「なんとなれば、教育委員会だけが人的物的資材の配分を
コントロールするからである」

「教育委員会の関与の度合いと彼が配分する人員機材によって
組織の「教育を受ける権利の保障」プログラムの質は
著しい影響を受ける」


全国中学校長会や、中央教育審議会が、
「高校全入」の提言や提案をしてから、
すでに10年以上が経っています。
それでも、教育委員会は、
「絶対に普通高校に進学できない生徒の数」を
「計画」する仕事をやめようとはしません。


一方で、「義務教育」の中学校と高校をつなげた
「中高一貫校」を作りました。
その理由は、「12歳から18歳の
心身の重要な発達段階における教育が、
地獄とも言われる受験競争から解放」するためであり、
「子供の発達にとって極めて不安定な思春期に、
15の春を泣かせる高校入試」をなくすためでした。

その上、今年から「高校授業料の無償化」が始まりました。

「障害児」にも教育を保障するため、
「高等部」には定員もなく希望者を全員受け入れているのです。
行き場のない子どもを一人も作らないために、です。

しかも、この高校授業料無償化は「外国の高校」も含みます。
外国の高校生を差別しないのは立派なことです。

それなのに、なぜ自分の国の子どもを見捨てるのでしょう。
その「存在」を見えなくし、見放し、
切り捨てるのは、なぜでしょう。


「高校は義務教育ではないから」
教育委員会は、そう言います。

でも、その子どもは、中学3年まで、
義務教育の学校で、大事に育ててきた子どもではないのですか。

義務教育が終われば、あとはどうなっても関係ないという
「教育委員会と学校」でいいのですか。

それが、この国の義務教育の集大成なのですか。

義務教育の終わりに、
1000人に一人の子どもを見捨てるために、
9年間、学校で子どもたちは教育されているのだろうか。


『御巣鷹山と生きる』に、健ちゃんのクラスメイトの
ことが書かれた一節があります。

    □    □    □

《事故から10年目、
御巣鷹山に健の小学校のクラスメイト8人と先生が登った。

毎年、命日には、先生と一緒に自宅に来てくれていたが、
御巣鷹に登ったのは初めてだった。

事故当時、小学3年生だった子供たちも、もう19歳。
大学生になっていた。

将来の夢をそれぞれが語ってくれた。
背が高くなって、「えっ」と驚くほど
大人っぽくなっている子もいれば、
10年前のおもかげが残る子もいる。

健のおじぞうさまのある墓標の前に、
小石にメッセージをペイントしたものを置いてくれた。

8歳、9歳という年齢で
級友を亡くした衝撃は大きかったはず。
「友の死」というものを、
どんなふうに受けとめてくれていたのだろう。

担任の先生は、その時は新任で、
ずっと涙を流されていた姿が今でも目にうかぶ。

私も小学校のとき、毎日遊んでいたクラスの子が
病で亡くなった。
棺にお花を入れてお別れをした日のことを
大人になるまでずっと心の中にしまっていた。

「おばちゃんのことが心配だった」
「健のことはいつも心のすみっこにあるよ」
「この事故を風化させたくないな」
クラスメイトたちにいわれて、
すっかり皆のお母さんになっていた。



    □    □    □


高校の運動を続けてきて、
ずっと言われ続けた言葉があります。

「高校は義務教育じゃないから」

小学校3年生で亡くなった同級生と、
大人になってからも一生つづく関係を育てるところが、
学校というところです。

その一緒に育ち合う子どもたちの中から、
義務教育が終わったとたん、
1000人に一人だけ座れない椅子取りゲームをさせることに、
どんな意味があるのか。

「義務教育じゃないから」、
16人募集にたった一人受験したダウン症の女の子を、
不合格にする。
それが、当然のことのように行なわれているのはどうしてなのか。

高校は義務教育じゃない。
けれど、99%の子どもたちが、高校生になっている。

この状況で、障害のある子や、生活保護家庭の子といった、
不利な条件を抱えた子どもを見捨てることが
義務教育の終点ではないはずだ。
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