「向かい合うもの」 (その9)
☆このブログは、思いついたことを忘れないようにと、
自分のために書いています。
ところが、「忘れないように」したいことが多すぎて、
読み返すひまがありません。
で、結局、三日前に何を書いたのか、すっかり忘れています(@_@;)
ちょっと昔のメモの書き残しです。
(H)
《人間は「向かい合うもの」に応じて、
「自分」を意識する仕方が変わる。》
普通学級の意味(つづき)
6歳の子どもが向かい合うべきものは、
「将来」や「自立」ではありません。
6歳の子どもがいま向かい合うべきものは、
今の自分であり、今の自分と向かい合う大人たちの
自分へのまなざしと態度そのものです。
家の周りで見かける同じ年頃の子どもたちと
一緒の生活をしながら、共に自分たちの社会を作りながら
育ち合うことです。
母親と夕飯の買い物に出かけ、
そこで同じように親と買い物にきている友だちに出会うこと。
赤ちゃんのころから遊んだ公園で顔なじみになった子どもと、
小学校で出会い、向かい合うこと。
「子どもは家の中では、世界一の有名人」だということ。
子どもにとっても、家族は、世界一なじみのある
「ともに生活するもの」であり、
その延長に、近所の公園や、お店、保育園、幼稚園、
小学校があります。
子どもが自分の生活する日常で、それまでと同じように、
自分の目で見る世界の体験の繰り返し。
自分の耳で聞く世界の体験の繰り返し。
自分の身体で感じる世界の体験の繰り返し。
その中で、自分自身で「向かい合うもの」に応じて、
自分を意識する仕方が「変わっていく」のです。
それを、子どもの生活の外側から観察して、
比較した数値を「発達」といいます
そんなものは、子どもの向かい合うものに応じて
生きたことの結果でしかありません。
大事なのは、発達の数字ではなく、
その子が、何に出会い、何と向かい合うなかで、
その「自分」を選びとっているのかということ。
「向かい合う」ものを、間違えていたら、
どんどん「間違った自分」を自分で作り上げてしまいます。
子どもが自分の目で耳で身体で向かい合うものが、
成長とともに少しづつ広がっていくこと。
その中で、自分が安心していられる居場所を、
自分の納得できる形で、誰もが探して手に入れていけるように。
そこには「障害」があるかないか、が重要というより、
その子が向かい合う人たちが、
どのように「障害」とむかいあってきたか、
それによって、その子にどのような態度をとるか、
その子は、そうした相手と向かい合うなかで、
自分を(障害のある自分を)意識する仕方を変えていくのだから。
《「向かい合うもの」のメモ・終わり》
さて、わたしは何を言いたいんだろ(o|o)
最初から読み返さなきゃ…。
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