ワニなつノート

「彼」の中学卒業まで


「彼」の中学卒業まで


「彼」は1983年8月に生まれた。
生きていれば、26歳だった。


《小学校のころ》

「彼」には、小さいころ、
夕方に何時間もぼうっとアパートの階段に座って
一人で過ごしていたという記憶がある。

「彼」は、小学生のころの日記に、
父に足を持って引きずられたことや、
父や祖母の酒を買いに行かされたことを書いていた。

父親は、週に一度は、酒を飲んで大暴れした。
ガラスを割り、ドアやふすまを壊した。
壁を殴って穴をあけ、模造刀を振り回して天井を突き刺す。
近所にはドンドと大きな音が響いた。

彼は父が暴れると祖母の家に逃げ込んだが、
その祖母も酔うと彼を殴ることがあった。

でも、彼は父のことを思い出すとき、こういう。
「器用で、木工を教わった」
「一緒にハゼ釣りに行った」
「よく遊んでくれた」
「ものすごくおいしい豚汁を作ってくれた」

母については、こういう。
「母は僕に何も打ち明けてくれなかった。
信用してくれなかった」
「子どものころ、遊んでくれなかった」

「彼」は小学校に入ったころから、
落ち着きのない子とみられていた。

1年生では泣きだすことが多く、
2年生になると、よく友だちとけんかし、
3年生でもすぐカッとなったという。

3年生の担任がいう。
放課後の掃除時間、同級生がホースの水で
ビショビショにして放って帰ったあと、
彼は一つ一つ丁寧に拭いていた。
「いいところ、あったんですよ。
そんなときは褒めてあげた」

「自分の気持ちを口では説明しにくところがありましたね。
自分で抱え込んで、じっと黙っている。
何か気に入らないことがあると、避けて我慢する」

小学校の頃、週五日、剣道場に通った。
母が送迎していた。

担任は「きちんとした母親」という印象だった。
「参観日や運動会にもきちんと来てらっしゃったし」
ハンカチにはいつもアイロンがかかっていたという。

小学校4年生のころの「彼」は、
教室で一人、本を読んでいた。
江戸川乱歩の「怪人二十面相」など
子ども向けの推理小説をいつも好んで読んだ。

ドッジボールは嫌いで参加しなかった。
仲のいい友だちはいなかった。



《父の死》

その頃、酒浸りの父が肝臓を壊し倒れた。
父親が働けなくなり、生活は一層苦しくなる。

ある朝、父が血を吐いた。
「彼」が、仕事にでかけていた母に電話すると、
「いいから、放っておきなさい」と言われる。

学校から帰ると、父は動かなくなっていた。
慌てて母の職場に電話する。
母は、「吐いた血を掃除して」と答えたという。

「死んだらええ」とも。
「彼」はずっとその言葉を覚えている。

その夜、父は救急車で病院に運ばれ、息を引き取る。
明け方、父の遺体が帰宅。彼は泣き続けた。

通夜で母は「死んでせいせいした」と言った。
「彼」はずっとその言葉を覚えている。

「母が殺した」
小学校5年生の「彼」はそう思う。

父の葬式はアパートでひっそりと営まれた。
訪れた同級生の母親は、
「本当に、見たこともないような貧しい暮らしぶりでした」
と当時の驚きを口にする。

仏壇はなく、位牌は箱の上に置かれていた。

葬式が終わると、精進落としで酒を酌み交わす大人に、
彼は憤った。
「お父さんが死んだのに、みんなは喜んでるのか」
食ってかかる激しさに、親類たちはあぜんとした。

親族によると、彼は、小さいころ、
腹を立てるといつも手を握り締め、
体を震わせて耐えているのが常だった。

彼は、「神妙にしてほしかった。
みんなを殺してやろうと思った」と考えたという。

その頃のことを覚えている同級生の女の子がいう。
ある日、家は逆方向だったが、なぜか「彼」がついてきた。
「お父さん、死んだんだってね」
「うん…」
無表情でぽつりと答え、あとは何を話すでもなかった。

(中学生のころ、母に再婚について聞かれた彼は、
「勝手にすればいい。
でも、おれはそいつのことをお父さんとは呼ばない。
おれのお父さんは一人だけだ」と答えた。)


父の死後、彼はクラスで次第にいじめられるようになる。
靴を隠され、名前をもじって「切れ痔」「しゃもじ」
「いま、何時」とからかわれ、
しょっちゅうかんしゃくを起こし、
相手を追いかけたり殴ったりした。

孤立し、居場所は図書室になった。

母に相談したが、「あっ、そう」と言うだけだった。

5、6年の担任はハキハキした感じの女性だった。
家庭科の調理実習で、
彼が材料費を持ってこなかったことがある。

「お金持って来てないんだって」
友達がこそこそ話す。焼き上がったマドレーヌを
食べようようとしない彼に、
担任は、「食べるの、食べないの」と迫ったという。

マドレーヌは袋に入ったまま、数日間、机の上にあった。
「食べないなら捨てなさい、って先生に言われて、
彼が捨てたんだよ」
クラスの子どもから、母は聞いた。

この頃から、母は次第に食事を作らなくなり、
一晩中、帰ってもこないこともあった。



《中学校のころ》

小学校から中学校には、
「すぐカーッとなり、落ち着きがないところがある」と、
引き継があった。

担任は先入観を持たないようにしていたが、
会ってみてやはり配慮が必要だと考えた。

「あまりプレッシャーをかけないようにしてたんですよ。
彼は社会科は好きだったな。
授業中も積極的に発言することがあって、褒めてあげた。

僕の授業では自分を出している感じがあった。
休み時間もいろんな問題を聞いてきたし、
自分の方を向いてほしいという思いがあったのかな」

「彼」が中学校の教師と話すときの言葉遣いは丁寧で、
担任は「同級生が自分の方を向いてくれないから
大人に向かうのかな」と感じていた。

入学後は、時にイスを投げて逃げ回り、
教師が学校中を捜すこともあったが、
次第に教室を抜け出すこともなくなり、
落ち着いて授業を受けるようになった。

勉強はついていけず、特に理科や数学は分からなかった。
試験はほとんど白紙で出した。

彼は中学でテニス部に入ったが、うまくいかず、
イライラしてはラケットを地面にたたきつけて
4、5回も折った。

「高いんだからやめなさい。お母さん、大変なんだぞ」
担任が注意したこともある。

男子の友達は一人だけ。
女子には、丁寧な話し方をしたが、相手にされなかった。

担任はその様子を見て、
「一生懸命、話そうとしてるんだから、
おまえら分かってやれよ」と心の中でつぶやいた。

「兄弟もいないし、話し相手はいなかったんじゃないかなあ」


彼は、事件の取り調べの時、
「一番よかった先生」として、中1の担任の名前をあげた。

「私の扱いをよく知っていた。
居られる場所をつくってくれた」と感謝した。

担任の母親への印象は「いいお母さん」だった。
彼の服装にも問題はなく、
洗濯もきちんとしてもらっているようだった。



《いじめ・不登校・高校受験》

中学2年の2学期が始まって間もなくの朝。
彼が教室に入ろうとし、ドアを引いても動かなかった。
何度やってもびくともしない。
鍵がかかっていたが、中から人の気配がした。

「開けてよ」
しばらくして、鍵が開く音がし、やっと入れた。
しかし、同級生は誰も口をきいてくれず、無視された。

翌朝も、その次の朝も、同じことが続いた。

彼は学校に行かないことにきめた。

たまに学校に顔を出しても、教室には入らない。
修学旅行も行かなかった。


中3の担任はいう。
「彼は授業にはでなかったけど、
夕方とか午後にちょこちょこ学校には姿を見せたんですよ。
ほかの生徒や教員と話すこともあった。
どこにでもいるような生徒っていう印象でした。

大人には礼儀正しくて、気持ちのいい受け答えをする子でね。
言葉遣いや挨拶はちゃんとしていた。」

「できれば高校に行きたいと言うから、
それじゃ、がんばろうや、と
自宅に課題のプリントを持って行った」

アパートの玄関先、
担任は彼に自宅学習のプリントを届ける。

「行くなら学力をつけんといかんぞ。
働くにしてもいろんなものを文書にするんだから、
最低限の読み書き、計算はできないと」

担任の言葉を、彼はじっと聞いていた。


担任は、週に二,三度、アパートに行き、
そのうち半分以上は彼にも会って励ました。

母も三者面談で高校進学を強く希望した。

彼は、担任が顧問を務める卓球部にも入っていた。
担任は、学校で夜、社会人も参加して開かれる
卓球教室も勧めた。
顔を出した彼は、卓球をしている間は
柔和ないい表情を浮かべていた。
そこでは新しい友だちもできて、
話をするようになっていた。


就職試験の面接はうまくいかなかった。
付き添った担任に、
「やっぱり…、でも、大丈夫。何とか仕事は探します」
と彼はつぶやいた。

また、担任には
「中卒ではやっていけない。将来はない。
輪廻転生の考え方もある」
「高校に行かなくてもバイトで生きていける」
「マグロ漁船に乗ればいい」
とも話し、揺れていた。

母は、会社で働きながら、
定時制高校に通えることに望みを託したが、
結果は不合格。

「彼」は、学年で一人だけ、
進学をあきらめることになった。

中卒での仕事は見つからず、
「彼」は、進学も就職もせず卒業式を迎える。

「彼」は、学年で一人だけ、
居場所の見つからないまま、卒業する。


  □     □     □


今回、紹介した部分は、
ある本のはじめの40ページほどです。

ただ、私は、この記者の「視点」と
「言葉遣い」にどうしても耐えられません。

記者の差別的な視点を、できるだけ外して、
子どもの生活だけをたどってみました。

ここにいる子どもは、
私たちが出会ってきた多くの子どもたちと同じだと、
私は思います。

そのことを、まず伝えたくて、
「書名」はここには書きません。

この後に彼が起こす事件も、
ここには書きません。

ここに書かれた子どものことを、
子どもの思いにそって、読んでみてください。

元の「本」では、これとは「違う」印象になると、
私には思えて仕方がありません。

もちろん、ここに書いたことは、
この記者が取材して書いてくれなければ、
私も知らないでいたことです。
その点だけは感謝します。


私は「彼」のことを一生忘れないと思います。
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