ワニなつノート

hiroさんへ



上の娘たちが通う、隣の市のダンスクラブに行ってきました。

小学校の体育館で2時間のレッスンにお付き合い。
小1~6年生の女の子たちに混じって踊ろうとするちひろと、
チョロチョロする四女。
『頼むから端で踊ってくれぇ…』の連れ戻し
&四女の捕獲を繰り返し滝の汗。

短い休憩時間、6名くらいの2年生の子たちが、
ちひろの近くに来ました。
ちひろが笑顔で「だぁー♪」と手を伸ばすと、
女の子たちは「キャー」と逃げていきます。
そしてまた戻ってきては同じことの繰り返し。
「キャー」の後に、「怖ーい」「気持ち悪ーい」
の声が聞こえてきました。初めての経験。

笑顔で見守っていたはずがだんだん怪しい雲行き…。
こんなアプローチ、はじめの一歩もあるよね!?って、
冷静になれば思えたのに。
気がつくと、女の子たちの所へ行きたがるちひろを、
『いかないで…』と膝の上でガッチリ抱きしめていました。

「覚悟」覚悟。
『なんだよぉ、全然ダメじゃん』
まだまだ覚悟以前です。



     □    □    □


《hiroさんへ》

覚悟?
私はどんな覚悟を求めてきたのだろう?

覚悟?
私はどんな覚悟を持たなきゃと迫ってきたのだろう?

覚悟?

コメントだけでは見えない状況もあるけれど、
でも、やっぱり「ちょっと違うかな」と思います。
短いコメントなので、もしかしたら的外れかもしれませんが、
「そんな覚悟、できるもんか」と、
私は思うのです。

まだ保育園の小さな娘が、年上の小学生の子どもたちに、
からかわれ「怖い」「気持ち悪い」と言われ、
そこで持てるどんな「覚悟」があるでしょう。
そんな覚悟、できるもんか。
そう思います。

「ちょっと待って。
あなたたち、いま、なんて言ったの?
この子のこと怖いって言った?
この子のどこが怖いの?
この子のどこが気持ち悪いの?
私の大事なかわいい娘なんだから、
そんな悲しいこと言わないで」

とっさに、その子どもたちを追いかけて、
そう言えなかった「覚悟」?
コメントの「覚悟」は、それじゃないかな、
と感じるのですが…。

「こんなアプローチ、はじめの一歩」は、現実にあるのでしょう。
でも、今回のような場面での、「次の一歩」は、
そこにいたhiroさんがこれから踏み出す一歩ですよね。

「いかないで…」と抱きしめてしまう思い。
それも「はじめの一歩」として、
あたりまえの反応だと思います。

その場で、反射的に、その子どもたちをつかまえて、
「あんたたち、この子のどこが、怖いの。
わたしのかわいい娘に、失礼なこと、悲しいこと、
言ってんじゃないわよ~」と言える人もいるでしょう。

でも、多くの人は、「反射的」には動けないでしょう。
でもね、その「瞬間」はまだ終わってないですよね。

hiroさんが、その凍り付いた瞬間を、
自分で溶かして、次に何をするのか。
ちーちゃんを「いかないで…」と抱きしめてしまったことを、
「後悔」している時間が終わったら、
その後のことを教えてくださいな。

私や、このコメントを読んだ人たちが、
悔しい思い、悲しい思いをして、
パソコンを閉じた後も、ずっと、その場面が浮かんでしまい
涙がこぼれるほど悲しい思いをするだろう、そうしたことを、
「悪気なく」してしまう「子どもたち」に、
誰が、この「悲しみ」を伝えるのだろう。
それは、ちーちゃんが侮辱された、悲しみだけではありません。
その2年生の子どもたちが、
そのふるまいと言葉の意味を知らないまま、
誰からも教えてもらえないまま大人になっていく不幸をも、
私は悲しみます。

ちーちゃんと、その子どもたちを、助けてあげられるのは、
そこにはhiroさんしかいないんじゃないのかな。
次のダンスクラブにいくときに、2年生の子どもたち6人分の
「てがみ」を持っていくこともできますよね。
ダンスクラブの先生に、話をしてもらうこともできますよね。
hiroさんのことだから、もう先生には話したでしょうか。

覚悟?
傷つかない覚悟なんて、できないですよね。

目の前で子どもを侮辱されて、
揺れない覚悟なんてできないですよね。

その場で、何も言い返せず、
子どもを抱きしめるしかできないこと。
本当の自分の覚悟が、問われ始めるのは、
その瞬間からではないのでしょうか。

反射的に子どもを抱きしめて守りたい思い。
いまは、ちいさな体をすっぽり包んで
抱きしめてあげられるけれど、
いつかこの子も大きくなって、私の手を離れていく。
ずっとこのまま、抱きしめ続けていることはできない。
それでも、わたしがいつも抱きしめている思いを、
子どもに伝えるために、その手を離した後に、
hiroさんが思いとことばを届ける相手は、
その2年生の子どもたちですよね。

子どもが傷つくことに揺れない覚悟なんて、できません。
日々のささいな出来事であれ、
子どもが悲しい思い、さびしい思いをすることに、
揺れない覚悟なんてできません。

私が思っている「覚悟」は、
その瞬間、後悔するような反応しかできず、
ちゃんと言い返せないこと、
ちゃんと自分の思いを言えないこと、
そうした「揺れる自分」、「弱い自分」を受けとめて、
その自分を自分でやりなおす「覚悟」のことのようです。

だから、私の覚悟は、「揺れる覚悟」といえばいいでしょうか。
「子どもが傷ついて帰ってくること、
泣いて帰ってくることに、うろたえ、
揺れる自分を受けとめる覚悟」。
「親になったのに、弱いままの自分」を受けとめる覚悟。
「親になったのに、子ども一人守りきれない
自分に落ち込み、揺れる」覚悟。
そして、何より、その「弱い自分」を見せても、
大丈夫な仲間がいることを信じる覚悟、でしょ(o|o)
揺れながら、泣きながらでも、
子どものために闘う仲間の一人でい続けようと願う
自分の覚悟だと思いますよ。


「揺るがない」ものはすでにあります。
わたしにも、hiroさんにも。

それは、「何があっても、どんなことがあっても、
この子は、私の一番大切な私の子ども」だということです。
姉妹はみんな同じ、私のかけがえのない
大切なふつうの子どもだということ。
だから、どの子も私が歩んできた人生と同じように、
この家で家族といっしょに暮らし、地域の学校に通い、
大人になり、シャバで自分の人生を生きていくこと。
だって、それは揺るぎようがないじゃないですか。


こころはささいなことにも揺れるものですよ。
だって、揺れるのは、生きているってことだから。
揺れるのは、心の自然のうちなんですよね。

コメント一覧

hiro
一人だけ逃げなくなった子がいたのです。
「かわいそうだよ。かわいいよ。」
と小さな声が聞こえました。

悲しい言葉を笑いながら発する子ども達と、
逃げなかった子、
どちらにもかけられる言葉があったはず。

けれど、もう子ども達に視線を向けることができず、
心の中で耳をふさぎ、うつむいてしまいました。
この時の「覚悟」の使い方、間違えているかも。

ただ…子どもを守るというよりも
私自身がこれ以上傷つきたくなくて、
自分を守ってしまったように思えたんです。

ちひろは、あの子達のもとへ行きたがっていた。
なのに、私が傷つかないために、
私の中に一瞬ちひろを閉じ込めてしまった。

手を離していたら?
もしかしたら違う展開があったかもしれない、
少なくとも、逃げなくなった一人の子との間に
何か生まれていたかもしれないって、
思ったりして。

今日は二女の授業参観でした。
汗だくで廊下から見ていると、
幼稚園で同じクラスのKくんが
ニコニコとちひろのそばに。
彼のお姉ちゃんが二女と同級生。
2人で手遊び♪が始まりました。

歌の最後のジャンケンで、パーしか出さず、
常に「やったぁー♪」と喜ぶちひろ。
たまたまグーを出して何度か負けが続いた
Kくんが、笑顔で
「ちーちゃん、ジャンケン強いんだよね」
越してきて3年目。
毎年のクラス替え、Kくんとは3年間同じクラス。
一緒っていいな…参観そっちのけで、
当たり前にある小さな光景に感激していました。

あっちこっちで生まれる
小さな小さな子ども達との物語、
yoさんの言葉、
当たり前を守り続けているみなさんがいるから、
何度でも前を向いて、気づくことができます。

また、大汗かきながら、ダンスにつきあってきます。
地元じゃないクラブで、知り合いは一人だけ。
新しい物語を、きっと子ども達が
つくってくれますね。
ふぁいと、おぉ☆


やすハハ
私も思い出しました!小学校1年生のヤスが下校途中に6年生の男子に、大声を出して向かっていったので、止めながら、「ごめんね。ほら、お世話になってる6年生でしょ!」って私が言ったたら、「別にこんな奴、友達じゃないから」と言われたので、ブチ切れました(>_<)「あなた、名前は!」と聞き出し、学校にすぐ電話して、校長、その子の担任にみっちり、話をしました。その子に、私の思いを伝えていただきました。その後、登下校でよく顔を合わせていたので、ちょっと、大人げなかったなと、反省していたら、しばらくたって、その子が、よくヤスの面倒をみてくれるようになっていたようです。ある日、砂場でヤスとその子が遊んでいたときに、その子から、あの時は、ごめんなさいと、言われ、すごく恥ずかしかったことを思い出しました。その子も6年生の割には体が小さくて、周りの子から、バカにされている感じがありました。そんな類のことは、たくさんありますね~。でも相手がいる場合は、いいのですが・・。自分の中の差別や偏見と向き合う作業は大変ですね。ヤスが外で暴れたり、人に迷惑をかける行動をしたときに、自分の子どもに暴力をふるったことがありました。頻繁になって、ヘトヘトになって、これではまずい、と。暴力でなくても、あなたに障害がなければ・・と思いつめて、とても苦しみました。そんな時は、会の人に、泣きながら電話していました。
今でも、なんか問題がおきると、殴りたくなりますが、私がけがをするので、ほどほどに。(>_<)
昨日も定例会がありましたが、私には主治医が、たくさんいるんだ~と、とても幸せですぅ<(_ _)>
Dーhaha
Dが一年生の時、挨拶をしないDに「お友達に
さよならは?
」と言ったら、同じクラスの女の子達が『友
だちじゃないよね‥』と囁き声が聞こえてきま
した。聞きたくなかった、辛すぎる、そう思
う私の中に、なにもわかっていない息子を哀
れんでしまった私がいました。DはDのままで
良いはずなのに、ものすごーい自己嫌悪。
あれから5年、私は少しは成長できたのか?
相変わらず私は私のままだけど、仲間がいてくれたおかげであの頃より強くなりました。

Dは、学校にいるたくさんの仲間のおかげで、成長し続けています(⌒▽⌒)
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