8才の子ども 50年後 (Z・5)
《エピソード記憶》
『エピソード記憶は、意識的に思い出すというよりも、人生のある一場面が、スケッチのように自然に湧き上がってくるようなもの』
(「トラウマと記憶」ピーター・A・ラヴィーン 春秋社)
「8才のあの日」と、「妹のおみやげ」は、いつもふいに湧き上がってくるものだった。
妹のおみやげのエピソード記憶は、私の人生の転換点だったらしい。
その記憶を通して、私は「分けられる」ことの意味を理解してきた。
「分けられること」を、子どもはどのように「理解」するか。
「分けられる」怖れを体験した私は、「分けられた子」を遠ざけ、差別して生きた。
でも、妹は違った。
怖れに囚われないことを知り、そのことが、本来、怖れなくてよかったことを教えてくれた。
だから、それを人に伝える道を選んできたのだった。
私にとっては、それが就学相談会だった。
はじめはわからなかったが、妹のおみやげの記憶は、私が特殊学級と障害児を遠ざけ、差別し、憎み、自分には関係ないと思い込もうとした、自分の生き方から離れる旋回軸だったのだ。
その時の体験により、「分けられた子」も「自分」も、「怖れることなど何もない」ただの子どもなのだと、理解できたのだ。
それが、知ちゃんとの出会いから、康治への出会い、たっくんへの出会いにつながった。
子どもたち、そして「極上の逆らう親」たちとの出会いを求めるきっかけは、「妹のおみやげ」だった。
また、そのことが、私の子どもとのつきあい方、教育、生き方の根幹を支えているのだと分かる。
(つづく)
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