去年、『「0点でも高校」を目指して25年」という本を作りました。
ずっと作りたかったイメージの本がようやくできたと感じています。
ただ残念なことに、わたしがどうしても載せたいと思った「アンケート」2編が、本人の承諾がとれず掲載できませんでした。
ひとつは、高校で一番よかったことは?という質問への回答で、《(高校は)大人あつかいをしてくれる》ということを書いてくれたものでした。
ただし、言葉は、誰が口にしても同じという訳ではありません。
どういう人が、どういう思いで、その言葉を、選び取ったのか、ということ抜きには、肝心なことが伝わりません。
もう一枚のアンケートも同様で、わたしがことばを抜書きしてもあまり意味がありません。
それがずっと心残りでした。
でも、最近になってようやく、掲載できなかった2枚のアンケートと、掲載できたすべてのアンケートを通じて、わたしが受け取ったものを言葉にできそうな気がしてきました。
とりあえず、そのためのメモを。
◇
《自尊心(自尊感情)は、愛されている・という感覚だけでなく、愛されるに十分な資格がある・という感情とも結びついている》ということば。
自分をまるごと受けとめられる体験を繰り返し、得ているうちに、
つまり何度も何度も、同じ子ども・同じ仲間として・受け入れられている感覚を経験すると、自分は「仲間であるに足る十分な資格がある」という、消えることのない安定的な感情を、獲得することができる。
とくにそれが「高校」という壁をこえるとき、
自分が同じ子ども・同じ仲間・同じ生徒として受け入れられているのは、自分が「できる子」だからではなく、
テストが苦手な「まるごとの自分」が認められ、受けとめられている、という小学校・中学校と同じ「ただの子ども」を取り戻すことができる。
小学校、中学校のときとは違い、そのことを十分に「自覚」することができている。
それが、このときの子どもたちの一番の「成長」だとおもう。
だから、99%の子どもたちが、小学校よりも、中学校よりも、高校が一番楽しかったと答えるのだと思う。
小学校は当たり前だった、それはそれで受けとめられる体験だった。
中学校も当たり前だった、それもそれで受けとめられる体験だった。
でも、高校は、それとは違う。
自分の存在、自分の15年の人生をかけての受けとめられるための挑戦だった。
「0点でも高校」という課題は、ただ中学の次に通う「学校」があればいいというのとは、まったく別次元の「自尊感情」の課題としてあったのだと分かる。
「0点」でも受けとめられること。
「オール1」でも受けとめられること。
そのことの大きさを、あらためておもう。
わたしが気づかなかったその課題を、子どもたちはみんな分かっていたのだと、アンケートを読み返すたびにおもう。
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