ワニなつノート

忘れたころの講演会報告(その2)

忘れたころの講演会報告(その2)

《主役》



「子どもの気持ちは?」

人には、それを一番に聞くのに、
自分がそれを見落としていたときはちょっと落ち込みます。
講演会の日もそうでした。
そのことに気づいたのは、講演会も終わり、
夜になってからでした。

□    □    □

「見落とし」は、最初から始まっていました。

その日、ツンツン頭のかいとくんを見た私は、
「あの頭はセットしてるの?それともただの寝癖?」
と失礼な挨拶から始まりました(゜.゜)

「寝癖じゃないわよ。
ちゃんとセットしてきたんだから。
3時から起きてずっと元気なの…」
かいとママさんの言葉を、私はさらっと流していました。
頭の中は、保育室の変更や会場の設定でいっぱいでした。
本当なら、そこで気づくべきでした。

でも私は、かいとくんとはるなちゃんが、
どんな「思い」と「イメージ」で
その日を迎えていたのか気づいていませんでした。


もともと、この講演会は、
「三つの市教委同時に看護師配置を実現させる
(無謀な)計画」の第一歩でした。

気管切開の子どもに看護師を配置することは、
それぞれの市でもちろん前例なし。
県内でもまったく前例なし。
全国の情報を調べても、数件でした。

「大丈夫の見込み」があっての「講演会」ではなく、
むしろ8月の時点での反応が悪いからこそ、
元気づけのために計画した講演会でした。

その後には、市長への要望、
市議会への要望・請願、
そして県知事への「看護師配置の助成」要望、
県議会への請願、
それぞれの市教委との交渉、
という計画でした。

今だから言えますが、私の中では最悪な場合は、
入学してからの一年が本当の勝負だという思いもありました。
2年前の学童保育の「移動介助」を求めたときは、
入学式の日に駅前と市役所前でビラ配りをして、
ようやく実現しました。
最後まであきらめない親の覚悟こそが、
何時の時も、何より大きな力でした。

ところが、今回は幸運にも10月に
看護師の配置が決まりました。
しかも、三市ともに。

だから、大人たちにとっては、
一安心という状況がすでにできていました。
でも、それを頭で理解し、これで一安心と思えるのは
大人であって、子どもたちにとって、この講演会は、
「自分が小学校に行けるための一大イベント」でした。
かいとくんとはるなちゃんにとっては、
この日に向けてのすべての動きが、
自分たちの「小学校入学」に向けての「闘い」であることを、
誰よりも感じていたはずでした。


それぞれの両親だけで市教委と話し合っていたときには、
ほとんど話は進みませんでした。
看護師がつくことは無理なのかと不安に揺れた日々。
子どもたちは、それも「自分」のこと、
「自分」のせいであることを、感じていたのだと思います。
小学校を楽しみにしていたはずのかいとくんも、
「学校には行かない」と言うようになっていました。

だから、私たちは一緒に教育委員会に行き、
講演会を企画してきたのでした。

子どもたちの不安をなくすため。
子どもたちが安心して入学式を迎えられるように。
そのとき、私は、子どもに「安心」を
あげようとすることにせいいっぱいで、
「一緒にたたかっている子ども」のことを、
どこか忘れていました。

たとえばこれが「高校入試」なら、
私たちはあくまで中3の子どもを応援する側で、
主役は子どもだということを忘れたりはしません。

でも、今回、かいとくん、はるなちゃんが、
まだ幼稚園・保育園の小さな子どもで、
しかも「気管切開」という大変な状況を抱えている
小さな子どもで、
この子たちにこれ以上よけいな心配をさせちゃいけないと、
どこかで思っていたのでした。

それは、私のまちがいでした。

(つづく)
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