ワニなつノート

就学相談会のあとで(その2)




「相互性と応答性のある関係」にとって深い意味があるにもかかわらず、何の意味もないことのように扱われているのが、「いる」ということだ。


相互性も、応答性も、お互いに、「いる」ことが、大前提であり、それがないと始まらない。


ふつう学級に、「いるだけでいいのか」というセリフが、長年、全国的に言われ続ける。


ふつう学級にいる、障害児とその親に対して、最大の「攻撃」効果がある言葉のように使われてきた。


「いるだけでいいのか」と。


私も長いあいだ、その言葉にまともに反論し続けてきた。
意地になって勝とうとしてきた。

でも、いまは、その言葉を本気で口にできる人を、かわいそうに思うようになってきた。


「いるだけでいいのか」

それは、こういう意味だった。

「いるだけでいいのか」

「そこには、なんの相互行為もないんだぞ」

「そこには、なんの応答行為もないんだぞ」

「だれも、その子を見ない。
その子の声を聞かない。
誰もその子に応えない。
それでいいのか?」


それを6才の子どもに向けていうこと。

そんなこと、人として恥ずかしくて、ふつうは口にできないだろうとおもう。

小学校の先生がそんなことを言えるか?

子どもの教育相談にかかわる人がそんなことを言えるか?
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