ワニなつノート

自分の声をきく

自分の声をきく


子どものころのことに、ずっとこだわり続けてきました。
若いころは、もっと大人になれば、それがただの思い出話になるのかと思っていました。
三十になれば、四十になれば、まして五十年も生きていれば、大人の言葉でしゃべれるようになるのだと思っていました。

でも、そうではなかったようです。

鶴見俊輔さんが八十歳を過ぎても、九十歳になっても、子どもの時の自分から離れない言葉を読むたび、私も死ぬまでそこから離れないのだろうと思います。

『……自分を支えたのは、小学生のころ、悪人として校庭にひとり立っていたときの記憶である。
子どもの悪人はたったひとりで、家庭と学校と社会からの正義の攻撃にさらされる。
世界には悪人が多く、悪人の連帯が可能だなどということを子どもは思いつかない。』


この言葉で、保育園の時にひとり廊下に立っていた私が、ほっとしているのを感じます。
「いい人になれるかな…」「まだ間に合うかな…」と、私に聞いた子どもと私の間には、「悪人の連帯」があったのだと、教えられます。


『自分の傷ついた部分に根ざす能力が、追いつめられた状況で力をあらわす。
自覚された自分の弱みにうらうちされた力が、自分にとってたよりにできるものである。
正しさの上に正しさをつみあげるという仕方で、ひとはどのように成長できるだろうか。
生まれてから育ってくるあいだに、自分のうけた傷、自分のおかしたまちがいが、私にとってはこれまで自分の道をきりひらく力になってきた。…』



こうした言葉に出会い続けてきたおかげで、五十を過ぎて、子ども時代の自分に話しかける距離が縮まったようにも感じます。
あのころ、誰にも聞いてもらえなかった自分の声を、いまなら聞いてあげられるかもしれない。

そんなことを思い始めています。


        ◇



『 教育は、連続する過程であり、相互にのりいれをする作業である。
教える-教えられる、そだつ-そだてられるは、同時におこり、そして一回でおわるのでなく、その相互作用はつづいていく。

小学校一年生の最初の一時間におこったことを、ある人が晩年まで考えつづけた。
算術の時間のはじまりに先生が黒板に白墨でまるを書いた。紙がくばられて、みんながおなじものを書くように言われた。
「できた人」ときくと四〇人のほとんどが手をあげたが、ひとり手をあげない子がいた。
先生はその子のそばに行ってだまって見ていて、感心していた。

その子の仕事が終わるまで待って、「○○君はこういうまるを書きました」と言って彼の書いた紙をみんなに見せた。そこには黒のべたぬりの上に白いまるがぬいてあった。

じっと感心していたとき、先生は何を考えていたのだろうと、老人になった昔の一年生は考えた。
抽象にはいろいろあるのだな、と数学的に考えたのではないか。ただまるを写せといっても、いろいろな方法があるのだ。
自分の中に、自分の出した問題がいくつもの問題にわかれてあらわれ、それらにたいするいくつもの答がこのとき浮かんだのだろう。

もしもこのとき、「早く早く」「まだできないの」「こんなまるを書いて」「これはまちがい」と先生が言ったらどうだったろうと。』

(「教育再定義への試み」鶴見俊輔 岩波書店)
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