ワニなつノート

『やっちゃんがいく!』と『こだわりの溶ける時間』(2)




たとえば、やっちゃんが、お菓子を作る会で、やりたい放題いたずらをする。
まずは、Nちゃんと妹にちょっかいを出して泣かせてしまう。
部屋の電気を消したり、妹のエプロンを自分で着てしまい、
妹が泣いても、もちろん返さない。

しばらくして、Nちゃんと妹が、二人でやっちゃんに抗議にいく。
「どうして押したの?」
「もうしないでね」「もうしないでね」「もうしないでね」
「もうしないでね」「もうしないでね」とNちゃんに迫られて、
ちょっと困ってはいるが嬉しそうに笑いながらごまかしている。
Nちゃんは、追及の手を緩めず、
「どうしてお返事しないの?」
「どうしてお返事しないの?」
「ちゃんとこっち向いて!」
「ちゃんと目をみてね」と迫る。
やっちゃんは困ってしまって、逃げ出してしまう。
一人ではお兄ちゃんにかなわない妹は、
そのバカ兄貴を撃退したNちゃんを尊敬のまなざしでみつめ、
ずっと後をついて遊んでいた。

Nちゃんも学校では「ショウガイジ」と呼ばれる子どもだが、
やっちゃんの妹には誰よりも頼りになるお姉ちゃんとして体験し、
そしてかっこいいヒーローとしてNちゃんに出会ったのだった。

こだわりの溶ける時間。
たとえば、「やっちゃんとNちゃん」が「障害児」と分類されることも、
妹の目を通すと、ただの「イジワル兄貴」と「助けてくれたお姉さん」
という物語が見える。
そのとき、私のなかでその「分類のこだわり」は溶けてなくなっている。

その後、やっちゃんは、枝豆を天井まで放り投げて遊び、
受け止めそこねて床にばらまいていた。

自分が「いけないこと」をしているのは、十分に分かっているが、
その「いけないこと」は、どんな具合に、いけないのか。
「いけないこと」を実際にしてしまうと、どういうことが起こるのか。
そうしたことは、実際に体験してみないと分からない。
同じ「いけないこと」をした場合でも、
相手によって、反応は様々なのだから。

怒られることが嬉しいときや相手もいる。
それが大好きな女の子ならなおさらのこと。
だから、そこでは「人間関係」を学んでいるとも言える。
「いけないこと」をした場合でも、人によって対応は違う。

それから2ヵ月後、やっちゃんが、
その時の枝豆を飛ばしている写真を見て、
嬉しそうに「いけないねー」と笑う。

「誰がやったの!?」と突っ込むと、
ちょっと真面目な口調になって、
「いけないことだねーー」と何度もうなずいていた。

ああ、そうか。あのときも、やっちゃんは、
本当は「いけないこと」だと思いつつ、
どうしても、やってみたい気持ちを抑えられなかったのかーと、
ふつうに思う。

わたしの中で、そういうふうに「考えるやっちゃん」ではなく、
「いつも、とにかく、余計なことをするのがやっちゃん」と、
思ってしまっている自分にきづく。

どうして、そうせざるを得ないのか。
なぜ、わかっていてもそうしてみたいのか、
そうしてしまうのか、せずにいられないのか。
ただ、何も考えずに悪さをしているのではないのだ。

大人の私が「やらない方がいいとわかっているのに、やってしまう」のと、
子どもが、「やってしまうこと」は、ちょっと違うのだ。

「イケナイコト」だとは分かるし、
「オコラレルコト」も「チュウイされる」ことも分かっている。
だけど、それは本当にそうなるのか、やってみなくてはわからない。

今回も、本当にやってしまったこの場の、この関係ではどうなるのか、
どういうことになるのか、
どういう事態が起こり、
どういう展開になり、
その先にどんな「運命」が待ち受けているのか。

それは、やはり「やってみないと」分からないのだ。

そういう、子どもが何かを確かめようとして、
また試そうとして、また不思議に思って、
「よけないこと」をしてしまうのかもしれない、
という「子ども」へのまなざしがないままに、
怒ったり、注意したり、教えよう、分からせようとしても、
「こちらのやり方」は、どこか子どもとすれ違うことになる。

いつだって、本人の課題と、こちらが解決してあげようと思うこととは、
どこかすれ違うのだ。
だから、子どもの後からついていくしかないところがあるのだと思う。

「やってはいけないことなんだろうな…」と思うことを、
自分の理性をふりきってやってしまう自分がいて、
そうしてはじめて、
「ちょっと怒られたけど……でも楽しかった。
でも、ホントはいけないこと」とか、
「イケナイことはやっぱりしちゃいけない。
もうやめよう。…と思うけど、またちょっとやりたくなっちゃうかも」
そんなふうに思っているのかもしれない。

そう、相手はまだこの世の新入りなのだ。

「もう小学生なんだから」と思うか、
「何千年の歴史の人間社会に、たった数年前にやってきた新入り」だと思うか、
そんな目線の違いを、子どもは感じるのだろう。

「障害」とか、「自閉症」とかじゃなくって、
ただの新入りの子ども。
ただのクソガキ、だもんね。やっちゃん。
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