ワニなつノート

『やっちゃんがいく!』と『こだわりの溶ける時間』(3)




自分の納得のカタチを、自分で見つけること。
子どもの時しか味わえない「子どもの時間」をたっぷりかけて、
自分でゆっくり確かめること。

家族のなかで、
自然のなかで、
みんなの暮らす社会のなかで、
つながりあっているすべてのものに、なじんでいくこと。
世界と自分との折り合える感触を、ひとつひとつ手に入れること。

そのための長い時間を、「こだわりの溶ける時間」といいます。

その時間は、子どもが「子どもの時間」を生きる時間のことで、
誰もが通り過ぎてきた日々の別名にすぎません。

その時間の過ごし方が、人からはわがままに見えたり、
何も分かっていないように見えたりすることがあります。
かわいそうなたたずまい、無駄な時間と見る人もいます。

でも、「赤ちゃんの時間」や「胎児の時間」の意味を、
大人は、みんな忘れています。
他人には「わからない」ことでも、
その子どもにとってはどれほど「大切な時間」であるか。
それを忘れてしまったら、
子どもへの本当の思いやりをもつことはできません。

他人には「わからない」ことこそが、他の誰とも違う個性をもった、
たった一人の子どもであることの証なのですから。

だから、「障害の理解」という言葉も、
本当の思いやりを持ちたいと願う人には、なじめない言葉です。
必要なのは、「障害の理解」ではありません。
いつだって、「その子」を理解することです。
いえ、理解の前に、ただ「受けとめる」ことです。
そこから、その子との出会いが始まるのですから。

「理解」とはお互いのこと。
「関係」とはお互いのこと。
子どもと出会い、お互いになじみあうこと。
そのためにかかる時間を、
お互いに「こだわりの溶ける時間」といいます。
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