ワニなつノート

この子がさびしくないように(その16)

この子がさびしくないように(その16)


繰り返しますが、私は「母としてのパールバック」を否定するために、書いているのではありません。ただ、この本を、「子どもの幸せを願う、親の思いはいつの時代も同じだ」と、ただそのままに受け取るだけでいいのかと思うのです。

1950年。『母よ嘆くなかれ』が書かれました。
パールバック58歳のときです。
1950年。この本を書く時、パールバックは、ドイツでのことをどれくらい知っていたのでしょう?

パールバックと同じように子どもを愛し、子どもを施設に預けていた母親の手紙があります。

    □    □    □


尊敬する所長殿    
             ダッハウ 1940年12月14日


時節柄ご多忙と存じます。
心重い母親として個人的にお便りを差し上げるのをお許し下さい。
12月2日に娘のアニー・ヴォルト(8号室)が移送されたとの通知を貴施設から受け取りました。部屋を明け渡す必要があったためで、受け入れ機関から知らせがあるとのことでした。ところが、今日現在に至るまで何の知らせもありません。

娘が今どこにいるのか一刻も早くご連絡を頂くようお願い申し上げます。また、この機会に、尊敬申し上げる所長様、またながわずらいの娘の面倒を見て下さった他の先生方に心より感謝いたします。

寝たきりになってまもなく一年ですが、この季節に動かなければならないと聞いた私どもの心配もご理解頂けるものと思います。休みに入ったら、娘に会いに行くのを本当に心待ちにしています。

至急ご連絡を頂けるようお願いいたします。

エリーゼ・シュトロマイアー 
ダッハウ ヘルマンシュトラーゼ10番地
なお、電話でしたら、ブルクマイアーのT364でつながります。


       


シュトロマイアー様

1940年12月14日付けのお便りですが、娘さんがどの受け入れ機関にいらっしゃるのかお伝えできないのを残念に思います。私どもにも連絡が来ておりません。しかしながら、娘さんの容態については受け入れ機関からまもなくそちらに行くのは間違いないと信じております。
……。


       

そして、子どもがいつどこに移されたのかを知らない家族に、やがて手紙が届きます。

《病院の便せんに担当医の署名付きである。悲しみをこめて患者の死を伝える。死因を説明し、哀悼の意を表し、患者の苦しみが終わりを告げたことを家族に気づかせる。遺品の適切な処分が取り上げられる。文面はどの手紙も同じである。》

月日と共に、「秘密」は「秘密」でなくなっていきます。

《…地元の施設から移送された知的障害の子供の両親たちが手紙を受け取る。手紙にはどこそこで、何日に、これこれの死因によりお子さんは亡くなりましたとある。同じ村の知的障害の子供の両親が比べてみると、受け取った手紙は同じである。
どの子供も同じ場所で、しばしば同じ日に死んでいる。はじめはとまどうが、次には怒りが襲ってくる。自分たちの子供は殺されたのだ。



   □    □    □

20万人とも25万人ともいわれる「障害者安楽死計画」は、ドイツの医師たちが行なったことでした。しかし、その元になる考え方を世界に広めたのは、パールバックの国、アメリカでした。『続あしながおじさん』にも紹介されているカリカク家の話は、かなり有名だったようです。

アメリカの大統領セオドア・ルーズベルトはこう言いました。
「間違った種類の市民が末代まで続くのを許すのは筋が通らない。」

アメリカでは1907年に、インディアナ州で知的障害者と遺伝的不適格者の断種を立法化しました。その後アメリカの各州が続きます。
「母よ嘆くなかれ」が書かれた1950年代まで続きます。

カナダ、デンマーク、フィンランド、スウエーデン、アイスランドが断種政策を採用しました。ドイツで法律化されたのは1933年です。

またアメリカの優生学者は、障害者の断種だけではなく、障害者自身と社会の安全のために強制収容を求めました。知的障害者が街をうろつくのを許すのは危険であるという論文が多く出されました。
「白痴、痴愚、てんかん、ろう、盲、ろうあ、色盲、アルコール癖、神経痛、神経病、小児性けいれん、吃音、斜視、関節リューマチ、糖尿病、結核、ガン…」は、遺伝に責任があり、「人間の不幸の根本原因である」と書かれました。

「この種の考え方により、障害者と家族は恥を感じ、当惑した。
障害は、遺伝的劣等のしるしとなった。中流家庭は知的障害の子供やマヒ者をブラインドを下ろした部屋に閉じ込め、人目につかないようにした。障害者は恥ずべき存在となった。科学者の言うことが本当ならば、障害者の家族すらも恥ずべき存在となった。」


         


こうした「主張」を、私たちは「昔のこと」と言い切れるでしょうか。いまは、そんなことはない、と言えるでしょうか。障害のあることは、恥ずかしいことではない、と子どもたちに伝えているでしょうか。

「母よ嘆くなかれ」を読み、ただ「母親の苦しみ」に共感することは、その時代に置き去りにされた無数の障害児と障害者たちの苦しみを、いまも置き去りにすることにつながってしまうと、私には思えるのです。
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