《被害者を見捨てる社会》
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私が、「定員内不合格死」を怖れるのは、まさに定員内不合格者の数が減っているからだ。
もともと少数者であるが、いまや「同じ」を探すのが不可能なほど少数の「社会から忘れられ、捨てられた子ども」が、「定員内不合格」にされた子だ。
しかも、その子が「助け」を求める場がどこにもない。
「助け」を求めていいという情報も、ない。
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昭和は「足切り」という差別的な言い方が常識だった。
私の高校の担任は、入学したその日に「高校は義務教育じゃない。勉強する気がない奴はさっさと辞めろ」と話した。
その担任は後に県教委の指導課長になり、障害児の高校進学も、定員内不合格を出さないことも、頑として拒否した。
いま、定員内不合格を出す校長も、50年前の私の担任と同じ考えだ。
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昭和の時代に、「忘れられた」まま「高校生になれなかった」のは、「生活保護家庭」の子、「養護施設」の子、「障害」のある子、そして当時は「その名称」はなかったが「ヤングケアラー」と呼ばれた若者は昭和にも確かにいた。
それでも、昭和の時代は、高校に行かない子が1割もいた。「高校は義務教育じゃない」を、みんながふつうに信じていた。
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平成の30年で、多くの「忘れられた子」が助けられるようになったのを見てきた。
不登校の子の「自己申告書」が認められるようになったのも平成だ。昭和は不登校というだけで受検の不利益が多くあった。
「子どもの貧困防止法」ができ、生活保護家庭の子の高校進学率が語られるようになった。
養護施設だけでなく、自立援助ホームでも全日制高校進学が認められ、令和の今、大学進学の支援も充実している。
「特別支援学校高等部」は希望者全入になり、どんなに障害の重いと言われる子にも18歳までの教育が保障される時代になった。
学力があれば、普通高校にも「医療的ケアユーザー」には看護師配置がされる。そして今、「ヤングケアラー」の支援が広がりつつある。
こうして、昭和の時代に「忘れられ」「見捨てられてきた」少数の子どもたちの「教育の機会確保」の動きは広がる一方だ。
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そんな中で、「新たな予算」も「制度」も必要なく、ただ「定員」を守るだけで「助ける」ことができる子どもを、「この子たちは助ける価値がない」という宣言が、令和の「定員内不合格」だ。
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定員内不合格は、もともと少数であるが、いまや超少数になりつつある。
「高校は義務教育じゃないんだから、定員内不合格にされる奴が悪い。自業自得。どんなに席が空いていても、教室がいくつ空いてても、お前に与える教育はない、という「公教育」に宣言される15歳の子ども。
「高校は無償で学べるところではなかったか」
15歳の子が、一緒に育ってきた同年代のコミュニティから疎外される感覚。「孤立感」「見捨てられ感」。
そして、「定員内不合格」の被害者を助ける場が、この社会のどこにもない、という現実。
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15歳で進路未決定のまま、中学を離れれば、相談する場もない。
15歳まで積み上げてきたすべてのつながり、コミュニティから切り離されることになるのに、支援するところが、この社会には皆無、なのだ。
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15歳の子を、ここまで追い込んで、自分には生きる価値がないと間違える子どもはいない、と言えるか。若者の死因の一位が「自殺」であるこの国で。