ワニなつノート

伊織くんの「どうして?」が開く未来(その7)



伊織くんの「どうして?」が開く未来(その7)



昨日届いた会報に、カズキ君の記事が紹介されていた。

《クラスで「カズキは障害をもっているというだけで、高校入学への壁は厚い。カズキは人からなかなか理解もしてもらえず、大変なんだぞ」といったことを話したとき、カズキは顔を上げ、数回「むかしから」という言葉を口にしたという。》
(あさひかわ新聞1月7日)



「むかしから」。その一言を読んだ瞬間、「どうして」という声が重なった。
カズキ君の「むかしから」と伊織くんの「どうして」は、まっすぐにつながっている。

彼らを「重度知的障害」とか「コミュニケーションができない」という人がいる。

「何もわかっていない」とみなし、分けようとする人がいる。

《言葉がないと15歳の心がない》かのように扱う人がいる。

《点数が取れないと15年の人生がない》かのように扱う人がいる。

           ◇

この子たちは、幼い時からそういう世界を生きてきた。それでも安心と安全を感じながら、信頼と自由を手放さず、希望をもって生きてこれたのは、仲間がいたから。

彼らが見据えているのは、自分が人生をかけて学んできた、自分のいるべき場所。

「むかしから」、自分を「変な奴」とみる視線と気配は知っている。親の悲しみを通して、子どもはそれを知る。自分を守ってくれる人の気持ちを通して、意味を知る。自分に近づかない人を、知っている。むかしから。


そして、それとは別の安全な場所がこの世界にあることも知っている。

「同じ」仲間がいる場所。「みんながいる場所。」みんなと同じ子どもであるぼくがいる世界がある。

みんなの安心が、ぼくの安心と重なる場所。
「みんなのいる場所」。自分のいたい所。行きたい所。生きたい所。

            ◇

「どうして」と「むかしから」。
二つの言葉が、高校の場面で生まれるのは偶然ではない。

二つの言葉は、彼らが「すべて」を了解していることを伝えてくれる。

伊織くんの「どうして」に、矛盾なく答えられる人はいない。
カズキくんの「むかしから」を、否定できる人はいない。


高校に行くには壁がある。伊織君も知っている。「むかしから」。
はじめの入試は何の配慮もなく、不合格にされた。だから一年待った。
2年目の受検は配慮が認められ、せいいっぱいがんばった。
なのに不合格。「どうして?」

伊織君の「どうして」と、カズキ君の「むかしから」は、私が出会ったすべての子どもの体験を言い当てる。

          ◇


高校進学率99%、地域によっては100%で語られる時代。それに無償化。中学3年生のまなざしで未来を見るとき、社会に出る前の最後の「子どものしゃば」の学び場として高校はある。

義務教育でないという言葉が通じるのは20世紀の話。今の時代、すべての中学生に向かって、「高校」以外の選択肢を示せる大人がどれだけいるか?


みんなが待っている所に、いきたい。

自分がいなければならない所。みんながそこにいる――所。

もちろんそこに、中学と「同じ仲間」がいないことは、知っている。

でも、そこには「出会い」があることを知っている。

「みんながお互いを待っている場所」が、そこにあることを知っている。

なにより、みんながそこで待っている。自分もいていいと、信じて待っていてくれる仲間がいる。だから、「いきたい」。「絶対にいきたい」。
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