ワニなつノート

15歳 差別の生まれる地点(メモ02)


15歳 差別の生まれる地点(メモ02)



社会の中には差別が生まれる地点があります。
人種や性別など、多くの差別は文字通り人間が生まれた地点で生まれます。
生まれくる命には、どうにもならない地点で差別は生まれています。

障害者差別も、生まれた地点であれ、その後であれ、本人にはどうにもできない地点で生まれます。

今まで「障害児の高校進学」に関わって来て、私はそれが「障害者差別」だと思ってきました。
たとえば「点字受験」が認められないことは、障害者差別です。
たとえばヒアリング試験への配慮がないことや手話通訳等が認められないことは、障害宇者差別です。
車椅子を利用しているというだけで不合格の判定をした校長は、裁判で負けました。
それが障害者差別だからです。

でも、高校入試において、「知的障害」への配慮はありません。
音読介助や代筆介助といった配慮がある所もありますが、それは「試験を受ける配慮」であって、「知的障害のために点数が取れない」という障害への配慮ではありません。

時代とともに配慮の種類は増えて、「盲ろう」という重い障害を持った人も高校、大学に進学できるようになりました。

でも、「知的障害」のある人は、なかなか高校生にはなれません。
それは「知的障害」への差別、能力差別のためだと、思ってきました。

間違いではないと思います。
様々な「障害」のなかでも、「知的障害」だけが、「高校」という「教育現場」から疎外されているのは事実です。

でも、最近になって、障害のある子たちが高校に入れないのは、「障害者差別」だけでなく、そこには「15歳」への「差別の儀式」のようなものがあると感じるようになりました。

赤ちゃんが生まれる時に、この社会の一員として祝福されるか、この社会の差別の対象の部分を強いられるかが決まるように、15歳でもう一度その関門があるように思えるのです。

20歳の成人式は、ただ20歳という年齢で誰でも平等に参加できる儀式です。
(ただし、特殊学級や養護学校出身者だけ別という所もありますが…)

でも、15歳という地点で、社会が子どもたちに強いている負荷は、その儀式をちゃんと通過しなければ一人前の社会人として認めないかのような過酷な圧力をかけることになっています。

「昔」の15歳の試練とは、まったく違う次元の過酷さのなかに、いまの子どもたちがいるのだと思います。

《児童虐待》
1996年に虐待で死亡した子どもは86人、1997年は104人という数字が『見えなかった死』という本にあります。
でも、当時、「児童虐待」の問題に、いまのような関心は払われていませんでした。

《体罰》
明治時代、「教育令」(明治12年)で禁止されていた体罰の問題に、社会が本気で取り組み始めたのは、いまです。
百年以上、体罰の犠牲になる子どもは無視され続けてきました。
見えていたのに、見ないふりをし続けてきました。

《いじめ》
この社会が、いじめ防止対策推進法を作ったのは、今年です。
これまでに、毎年のように、いじめで自殺していった子どもがいたのを、私たちは知っています。

《障害》
そして、今年6月には「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(差別解消法9が制定されました。


こうして、今まで社会が目を反らしてきた問題、超少数の犠牲、見えない・いないことにされてきた少数者に、ようやく真剣に手が届きかけています。

ところが、15歳で高校生になれない子、定員が空いていても見捨てられる子どもたちは、年ごとに少数になり、そして見えない子、いない子のように扱われ続けています。
焦点はまったくといっていいほど当たっていません。

かろうじて、生活保護世帯の子どもたちへの「学習支援」がニュースになるくらいです。
それも、丁寧に教えてくれれば「できる」子どもたちへの支援ですが…。

前回も書きましたが、戦後30年で高校進学率90%を超えるほどに、15歳の子どもたちのために高校を作り、先生を育ててきたこの社会。
それが、その後の40年をかけて残りの10%ではなく、8~9%に教育の機会を保障することで終わりにしようとしているのです。

残された約1%の子どもたちは、どのような子どもたちなのか。
私たちの社会は、見ようとしません。

この1%の子どもだけに、強いられた「自己責任」は、過去の受験戦争などと言われた競争の過酷さとは、まったく違う質のものです。

ちなみに、養護施設で生活している子どもたちの、2005年度の高等学校等進学率は87.7%です。

さらには、「高校無償化」という言葉によって、ますますこの社会は、高校に行きたくても行けない子どもがいるということ、「定員」があるのに見捨てられる子どもがいるということ、高校に行きたいと言える環境にいない子どもたちのことを、見ようとはしません。

この社会の、15歳の子どもを脅迫している負荷は、高校に通えている子どもたちにも影響を与えていないはずがないと、私は思います。



☆ 少しは明るい話を…。
昨日、市民ネットワーク千葉県の「元気ファンド」の公開プレゼンに参加してきました。

そこで、「0点でも高校を目指して25年・109人合格記念集会事業」のための助成金が認められました。 43万5500円も(^^)v

  
私たちの運動の、「市民社会への貢献度」「先駆性」「地域ニーズ」を認めて下さる方がいるのは、本当に励みになります。


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