ワニなつノート

ワニなついろはカルタ(2)



≪ゆ≫ 「猶予」が必要なのは、子どもよりも親の方

「就学猶予」については、子どもの問題よりも、
親の思い切りの問題なんだろうと思う。
もし、普通学級で仲間と一緒に生活するのがいいと、
望むのであれば、
「6才のいま」のありのままで、
小学校に入っていくのが自然だと思う。
それが、障害があっても、
「あなたはありのままでいい」と伝えることになるのだと思うから。

たとえば「6才の一年間」を病院から出られない場合には、
迷うかもしれない。
でも、6才の一年間に、
幼稚園・保育園に通って成長をまつというのであれば、
「猶予」が必要なのは、
子どもではなく、親の方ではないのかな。



≪め≫  免許がなくても専門家

教育委員会の相談員は、
「障害児には専門的な教育が必要です」と、
特別支援学校を勧める。
でも、そこには、障害児教育の免許を持ってる人が
半分もいないという不思議。

たとえば、平成7年度の「学校教員統計調査」では、
それぞれの学校で免許を有している者の割合は、
養護学校=51.4%。
盲学校=20.2%。
聾学校=30.5%。

さらに、特殊学級の担任の免許所有率を加えれば割合は下がるだろう。
免許があれば、専門的な教育ができるとも限らないが、
一応免許制度があり、普通の中学や高校なら、
先生が免許のない教科を教えることなどないのに、
障害児に対してだけ免許が軽んじられているのはどうしてなんだろう。

ちなみに、私は養護学校1級の教員免許を持っているが、
大学で学んだことで役にたったことは、一つもない。
大事なことは、子どもたちから学んだ。



≪つ≫  通級で一石二鳥は勘違い

「通級」の制度ができてから、
「通級」に通う子どもたちは増え続けている。

その理由としてよく言われるのは、
普通学級でみんなと一緒も経験できて、
通級で子どもに合った個別指導も受けられる。
両方のいいところが足し算できると思われている。

でも、放課後だけの通級だけならまだしも、
普通学級での日常から、一人だけ抜き出される時間は、
足し算ではなく引き算になっているということ。

そして、いつしか引かれる数と、元の数が一緒になると、
もともとのこの子の居場所がどこにもなくなってしまうことが、
よくあるということ。



≪と≫ 特別な教育には特別な生き方がついてくる

普通学級に通うのは、そこが子どもの社会であり、
ほとんどの子どもが選ばずに通う場所だから。

そして大人になれば、普通の社会で生きていくのだから。
そこで出会う仲間と、楽しいことも、イヤなことも、
丸ごと体験しながら、この子らしい人生を自分で歩んでいくことを望んでいる。

私たちは本当に、心の底から、
この子たちを「特別」だとは思っていないのだ。
ひらがなが書けなくても、歩けなくても、
うまくしゃべれなくても、一人で食べられなくても、
それでも、私たちは心の底から、
この子がここにいること、
同世代の子どもたちと一緒の教室で生活することを
特別だとは思っていないのだ。

強がりでもなんでもない。
親や兄妹と同じただの子ども。
見えない人にとって、見えない暮らしが日常でふつうなように。
人工呼吸器をつけて暮らしている人にとっては、
それが日常でふつうなように。

「障害」があることが特別な生き方を作るのではない。
「特別な教育」に「特別な生活」がついてくるのだ。
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