7月19日(日)は写真撮影のため、大三島の大山祇神社で開催された「鶴姫まつり」に行って
来ました。当日は朝から小雨がぱらつき心配していましたが、大三島インターを降りた9時30分
頃には雨が上がり昼過ぎには快晴に。
祭りを盛り上げるために大山祇神社には小松から7台のだんじりが登場。境内を練り歩きます。
その後、鶴姫行列の一行が神社を参拝し大勢が見守る中、宮浦港までの参道を歩きます。
今年はしまなみ海道15周年記念とあって坊っちゃん劇場で公演中の「鶴姫伝説」のミュー
ジカルの役者さんたちが特別参加して盛り上げてくれます。
宮浦港のイベント会場には今治焼豚卵飯、金魚すくいなどの屋台が並び、祭りのムードそのもの。
だんじりのかき比べがあった後、12時30分からは鶴姫伝説のミニミュージカルショーの開催。
餅まきや鶴姫トークショー、お楽しみ抽選会、ミニSL乗車体験などの催し。1時過ぎからは
櫂伝馬(かいでんま)と呼ばれる木造船による「鶴姫レース」が始まります。
木造船に乗った10人の漕ぎ手と太鼓、舵取り役の総勢12人がその速さを競う競技です。
宮浦港の沖合のブイを回る600メートルのコースだとか。今年は県外からの参加も
あり24チームが出場しました。
さて鶴姫といえば先ほど書いたように坊っちゃん劇場で公演中のミュージカル「鶴姫伝説」の
主人公としておなじみ。瀬戸内海の三島水軍を率いて乱世戦国の世を駆け抜けて行った伝説の
女性。とは言うものの愛媛に住みながら深く理解していない当方、せっかくの機会なので
ウィキペディなどの資料から再確認してみたいと思います。
鶴姫の生涯については『大祝(おおほうり)家記』が記録に残されていて、鶴姫は戦国時代の
1526年正月、今治の別名にあったという大祝家屋敷にて、大山祇神社第31代大祝職(大宮司)
の大祝安用(おおほうりやすもち)とその女中・妙林との間に生まれたとあります。彼女は
顔立ちが整った大きな女児で、生後百日足らずで声を上げて笑い、成長すると力量・体つきも
優れて男子も及ばぬほどの勇気を備えるに至り、人々から明神の化身ではないかと噂されたと
いわれていたようです。父・安用はそんな鶴姫を寵愛し、幼時より武術や兵法を習わせて
いたとのことです。
1541年6月に周防の国・大内水軍が侵攻すると、大祝職となった長兄・安舎(やすおく)に
代わって次兄の安房が陣代となって三島水軍を率いて出陣し、河野氏や来島氏と連合して大内軍を
迎撃をします。兄の戦死を聞いた鶴姫は三島明神に祈請し、明神を守護しようとして甲冑を着て
馬に乗り、大薙刀を振るって敵陣へ駆け込むと、「我は三島明神権化の者なり、我と思わん者は
出だせたまえ」と大音声を張り上げて味方を奮起させ、大内軍を撃退します。
同年10月にも瀬戸内海の覇権を目指す大内氏が侵攻すると、戦死した安房に代わって16歳の
鶴姫が出陣し、大内軍を撃退したと記録には残されているようです。この戦で鶴姫は甲冑の上に
赤地の衣を羽織って早舟に乗り込み、これを見て遊女が近づいてきたと誤認、油断した敵方に
攻撃を仕掛け、敵船に乗り移ると素早く敵将を捕えて討ち取り、焙烙(ほうろく)や火矢を
放って敵軍を追い払ったとか。
1543年(天文12年)6月、2度の敗北に業を煮やした大内水軍の頭首大内義隆は、配下の陶隆房を
大三島の河野氏の勢力域に派遣し戦いを挑みます。。河野氏とその一門は全力で迎え撃つが、
多勢の大内軍の前に多くの一族が討たれ、鶴姫の右腕で恋人とも言われた越智安成も討死します。
これを受けて大祝職の安舎は大内氏との講和を決断した。しかし鶴姫は残存兵力を集結させると
島の沖に停泊中の大内軍に夜襲を仕掛けてこれを壊走させ、大三島から追い出すことに
成功。しかし戦死した恋人の安成を想う鶴姫は、戦いの後に三島明神への参籠を済ませると、
沖合へ漕ぎ出し、そこで入水自殺して18歳の生涯を終えたと伝えられています。
鶴姫は辞世の句として「わが恋は 三島の浦の うつせ貝 むなしくなりて 名をぞわづらふ」と
詠んだといい、『大祝家記』は、彼女の伝記を「鶴姫入水したまう所、鈴音いまに鳴り渡ると
いう也」という一文で締め括っているとのことです。
鶴姫が実在したかどうかは様々な疑義があり疑わしいようではありますが、いずれにせよ
戦国時代、瀬戸内海の水軍が割拠する中「瀬戸内のジャンヌダルク」と呼ばれる若き女性、
鶴姫は史実とは別に、我々一人一人の心の中に夢とロマンの対象の「物語」として存在しても
問題ないと思われます。
以下は鶴姫まつりの様子を写真でご紹介します。

西条は小松からのだんじりの屋台が参加。祭りを盛り上げてくれました。

ちびっ子も気合いを入れてエイエイオー!!

冷たい飲み物に次から次へ手が伸びます。

優美華麗なだんじりの装飾。職人の技が光ります。

一番の見せ所。皆で力を合わせてだんじりをかき上げます。

大山祇神社の境内に勇壮なだんじり。

さらに男たちの威勢のいい掛け声が響きます。

参拝を済ませた鶴姫行列のお供に扮した地元の中学生でしょうか、弓矢を持って降りて来ました。

出発を前に船の上でスタンバイした鶴姫と母親役の方です。

今年の鶴姫役は坊っちゃん劇場のミュージカル「鶴姫伝説」の主役、塩月綾香さんです。

同じく行列の武者たち。

大勢の人たちに見守られながら、いよいよ神社を出発。

山門での写真。

健康的な明るい笑顔が印象的です。

表情豊かな鶴姫役の塩月さん。さすが元宝塚ジェンヌであります。

宮浦港に向けて行列が続きます。

ホラ貝を上手に吹く中学生。

普段は閑散とした町並みも今日はこんな感じ。

沿道には鶴姫さんを一目みようと大勢の見物客が。

宮浦港のイベント会場の唐揚げ屋さん。

餅まきが始まりました。

鶴姫さんの横では今治市長の菅さんの姿も。

いよいよミュージカルが上演されます。

透き通り張りのある歌声はさすがです。

鶴姫伝説の起承転結になる場面を歌で表現しています。

外連味のない晴れ晴れとした清涼感と情感一杯の鶴姫の歌声が会場を魅了します。

炎天下にも関わらず観客が舞台を堪能。本物、一流は人を寄せ付けるということですね。

最後は大山祇神社の宮司のお孫さんからの花束が鶴姫役の塩月さんにプレゼントされました。
来ました。当日は朝から小雨がぱらつき心配していましたが、大三島インターを降りた9時30分
頃には雨が上がり昼過ぎには快晴に。
祭りを盛り上げるために大山祇神社には小松から7台のだんじりが登場。境内を練り歩きます。
その後、鶴姫行列の一行が神社を参拝し大勢が見守る中、宮浦港までの参道を歩きます。
今年はしまなみ海道15周年記念とあって坊っちゃん劇場で公演中の「鶴姫伝説」のミュー
ジカルの役者さんたちが特別参加して盛り上げてくれます。
宮浦港のイベント会場には今治焼豚卵飯、金魚すくいなどの屋台が並び、祭りのムードそのもの。
だんじりのかき比べがあった後、12時30分からは鶴姫伝説のミニミュージカルショーの開催。
餅まきや鶴姫トークショー、お楽しみ抽選会、ミニSL乗車体験などの催し。1時過ぎからは
櫂伝馬(かいでんま)と呼ばれる木造船による「鶴姫レース」が始まります。
木造船に乗った10人の漕ぎ手と太鼓、舵取り役の総勢12人がその速さを競う競技です。
宮浦港の沖合のブイを回る600メートルのコースだとか。今年は県外からの参加も
あり24チームが出場しました。
さて鶴姫といえば先ほど書いたように坊っちゃん劇場で公演中のミュージカル「鶴姫伝説」の
主人公としておなじみ。瀬戸内海の三島水軍を率いて乱世戦国の世を駆け抜けて行った伝説の
女性。とは言うものの愛媛に住みながら深く理解していない当方、せっかくの機会なので
ウィキペディなどの資料から再確認してみたいと思います。
鶴姫の生涯については『大祝(おおほうり)家記』が記録に残されていて、鶴姫は戦国時代の
1526年正月、今治の別名にあったという大祝家屋敷にて、大山祇神社第31代大祝職(大宮司)
の大祝安用(おおほうりやすもち)とその女中・妙林との間に生まれたとあります。彼女は
顔立ちが整った大きな女児で、生後百日足らずで声を上げて笑い、成長すると力量・体つきも
優れて男子も及ばぬほどの勇気を備えるに至り、人々から明神の化身ではないかと噂されたと
いわれていたようです。父・安用はそんな鶴姫を寵愛し、幼時より武術や兵法を習わせて
いたとのことです。
1541年6月に周防の国・大内水軍が侵攻すると、大祝職となった長兄・安舎(やすおく)に
代わって次兄の安房が陣代となって三島水軍を率いて出陣し、河野氏や来島氏と連合して大内軍を
迎撃をします。兄の戦死を聞いた鶴姫は三島明神に祈請し、明神を守護しようとして甲冑を着て
馬に乗り、大薙刀を振るって敵陣へ駆け込むと、「我は三島明神権化の者なり、我と思わん者は
出だせたまえ」と大音声を張り上げて味方を奮起させ、大内軍を撃退します。
同年10月にも瀬戸内海の覇権を目指す大内氏が侵攻すると、戦死した安房に代わって16歳の
鶴姫が出陣し、大内軍を撃退したと記録には残されているようです。この戦で鶴姫は甲冑の上に
赤地の衣を羽織って早舟に乗り込み、これを見て遊女が近づいてきたと誤認、油断した敵方に
攻撃を仕掛け、敵船に乗り移ると素早く敵将を捕えて討ち取り、焙烙(ほうろく)や火矢を
放って敵軍を追い払ったとか。
1543年(天文12年)6月、2度の敗北に業を煮やした大内水軍の頭首大内義隆は、配下の陶隆房を
大三島の河野氏の勢力域に派遣し戦いを挑みます。。河野氏とその一門は全力で迎え撃つが、
多勢の大内軍の前に多くの一族が討たれ、鶴姫の右腕で恋人とも言われた越智安成も討死します。
これを受けて大祝職の安舎は大内氏との講和を決断した。しかし鶴姫は残存兵力を集結させると
島の沖に停泊中の大内軍に夜襲を仕掛けてこれを壊走させ、大三島から追い出すことに
成功。しかし戦死した恋人の安成を想う鶴姫は、戦いの後に三島明神への参籠を済ませると、
沖合へ漕ぎ出し、そこで入水自殺して18歳の生涯を終えたと伝えられています。
鶴姫は辞世の句として「わが恋は 三島の浦の うつせ貝 むなしくなりて 名をぞわづらふ」と
詠んだといい、『大祝家記』は、彼女の伝記を「鶴姫入水したまう所、鈴音いまに鳴り渡ると
いう也」という一文で締め括っているとのことです。
鶴姫が実在したかどうかは様々な疑義があり疑わしいようではありますが、いずれにせよ
戦国時代、瀬戸内海の水軍が割拠する中「瀬戸内のジャンヌダルク」と呼ばれる若き女性、
鶴姫は史実とは別に、我々一人一人の心の中に夢とロマンの対象の「物語」として存在しても
問題ないと思われます。
以下は鶴姫まつりの様子を写真でご紹介します。

西条は小松からのだんじりの屋台が参加。祭りを盛り上げてくれました。

ちびっ子も気合いを入れてエイエイオー!!

冷たい飲み物に次から次へ手が伸びます。

優美華麗なだんじりの装飾。職人の技が光ります。

一番の見せ所。皆で力を合わせてだんじりをかき上げます。

大山祇神社の境内に勇壮なだんじり。

さらに男たちの威勢のいい掛け声が響きます。

参拝を済ませた鶴姫行列のお供に扮した地元の中学生でしょうか、弓矢を持って降りて来ました。

出発を前に船の上でスタンバイした鶴姫と母親役の方です。

今年の鶴姫役は坊っちゃん劇場のミュージカル「鶴姫伝説」の主役、塩月綾香さんです。

同じく行列の武者たち。

大勢の人たちに見守られながら、いよいよ神社を出発。

山門での写真。

健康的な明るい笑顔が印象的です。

表情豊かな鶴姫役の塩月さん。さすが元宝塚ジェンヌであります。

宮浦港に向けて行列が続きます。

ホラ貝を上手に吹く中学生。

普段は閑散とした町並みも今日はこんな感じ。

沿道には鶴姫さんを一目みようと大勢の見物客が。

宮浦港のイベント会場の唐揚げ屋さん。

餅まきが始まりました。

鶴姫さんの横では今治市長の菅さんの姿も。

いよいよミュージカルが上演されます。

透き通り張りのある歌声はさすがです。

鶴姫伝説の起承転結になる場面を歌で表現しています。

外連味のない晴れ晴れとした清涼感と情感一杯の鶴姫の歌声が会場を魅了します。

炎天下にも関わらず観客が舞台を堪能。本物、一流は人を寄せ付けるということですね。

最後は大山祇神社の宮司のお孫さんからの花束が鶴姫役の塩月さんにプレゼントされました。
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