エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

組織のトップに立つと言うことは

2008-06-26 | 「生き方」「在り方」みたいなもの

最近時事ネタが多いですが、今回も。

「丸明」吉田社長、飛騨牛偽装の指示認め謝罪(読売新聞)

このニュースで思ったことを。
それと、一応これも。

時事ネタをこのブログで取り扱うにあたっての前提事項

では本題に。

結局社長本人の指示によるものだったみたいですね。
『吉田社長は、偽装問題が発覚した直後の21日の記者会見で自らの関与を否定。農水省や県が23日から25日までに行った日本農林規格(JAS)法違反などの疑いによる立ち入り調査で、一転して偽装を認めた。』
とのことで「言い逃れが出来ない」状況になったから謝ったという事ですね。
最初のうちは
「私は知らない」「私は指示していない」「工場が独断で行った」「だから私には責任はない」
あの社長、息を巻いてこんな事を言ってましたよね。テレビで記者会見で言ってるのを俺も見ました。
まあ、「んなわけねーだろ」とは思って見てましたけどね。やっぱりでしたね。

さて、それよりも今回のこのニュースを見て思ったこと。
それは、例えば今回の件が本当に当初の社長の言うとおりに社長が全く知らないところで、現場の勝手な判断で行われていた・・・と仮定した場合の話なのですが、もしそうであったとしても「俺は知らない」「俺に責任はない」では通じないだろう?と言うことです。

ある組織のトップに立つと言うことは、その組織が行った活動の結果についての責任を負う立場にあるということです。それは、本人の望む望まざるなど個人の意志に関係なく組織が存在し、そのトップにいると言うことは、自動的にそうなります。
組織の活動に責任を持てないなら、そもそもそのトップに立つ資格はありません。当たり前の話です。
これは、別に経営者や社長等に限った事ではありませね。
部長であればその部の活動に対する責任が出てくるし、課長ならば課の、係長であれば係の活動の結果に対して責任を負わなければなりません。自分が直接に行った活動に限らず、部下の行った活動に関してもです。その為の長です。
その為に、上に立つ者には部下に対して指示・命令する権限があり、方針を決定する権限があり、そして高い給料をもらっているんです。ただ単に「俺は偉いんだ~!黙って俺の言うこと聞いてれば良いんだ!ガッハッハ~!!」ってやってれば良いんじゃありません。上に立つ者には上に立つ者としてのやらねばならないことがあって、責任を負うというのはその最も大きな部分でしょう。

これはなにも特別な事でも何でもなくて、今更こうして説明するようなことでもない当然の事なんですけど、だとすれば俺の言いたいこと分かりますよね。

今回のこの「丸明」の社長の、偽装発覚当時の答弁「私は知らない」「私に責任はない」・・・・いやいや。あんた社長だろ?と。
例え、本当に言うとおり社長が知らなかったとしても、どのみち「丸明」という組織が行った偽装という行為に関して、社長のあなたが責任持たなくてどうする。って話です。一番最初の容疑を否定している記者会見の段階から、ここの部分はずっと気になってはいたんですよね。
あのオッサンは、とてもじゃないけど「社長」なんて立場にあるべき人間じゃありませんよね。人として至らないというか、社長という器に無いというか。

肩書きの位が上がるということは、そう言うことです。
組織の上に立つと言うこと、人の上に立つと言うこと。単に「偉くなる」だけじゃありませんよ。あのオッサンは完全に誤解してるみたいでしたけど。
というか、結局本人の指示だったんですけどね。もうどうしようもない。