日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

聖書学び会

2018-01-10 10:51:06 | 日記
「イエスは彼に言われた、『もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる』。」マルコ9:23



昨日は学び会に行きたいけど、お腸がまだ完全に癒されてないな、、、どうしようとおもっていましたが昼前には元気になって午後にある会に行けました。



小さな教会ですからいつも7名位ですが、なんと11名。嬉しいですね。人が増えるのは。聖霊について牧師を通し、ねんごろに語って下さいました。イエスを信じると不思議に心に聖霊が入って来るのです。聖書のイエスの言葉に「私は間もなく父(創造者)の元に行きます。あなたがたは私の助けてとして聖霊を授けます。」と言われた通りです。こればかりは信じないと全くわからなくて、信じてこそやっと解るのです。キリスト教が難しいと感じる人が案外多いのはこういった事からでしょう。信じてこそ、聖霊により聖書の御言葉や。イエスの愛が解るのですから。



信じるのも、この世の確かな真理を知りたい。私を助けてほしい。いづれ死が待っている、コワイ。そこからの救いが欲しいという気持ちがあれば、求めて行くのです。そうすれば聖霊が導いて下さり、救いに至り、大きな喜びとなって自分の心が変わるのです。そうすれば聖書の言葉が解り、イエスの御心がどんどん解るのです。



本当は大した事でなく、素直に信じるだけです。罪とは、自己中心や怒り、殺し等をいいますが、まず神と遮断し信じない事を指します。義とはイエスとの正しい繋がりがある事を言います。



カルト宗教と言われるものは、ものすごい恐怖心を与え、お金を出したら救われるといったたぐいで悪魔です。またこの世の偶像は御利益をいいます。人は眼の前の欲に捕らわれますから、そういったよろずの神々に惹かれます。お正月に莫大な賽銭が神社等に転がり込みます。それが人間の姿でしょう。

充実したまたみなさんと楽しい交わりの会でした。

上の言葉
日本人の私たちにはどこかに謙譲の美徳が潜んでいて、信仰の足を引っ張ってしまいます。あからさまに気持を表現できないで、回りくどい言い方になります。神様に求める時、そのような気遣いは無用です。できる、できないに囚われず、率直に、飾らず、神様に心をぶつけましょう。信ずる以外に救われる道はないのですから。信仰は追い詰められ逃げ場のない時、真価が明らかになります。(KE)

撮影  1月4日  宇治田原

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