日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

庭の花

2016-08-31 17:59:40 | 日記
あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身につけなさい。(コロサイ日への手紙3章12節)



明日は急に医者通い。どんな病気でも行きたくないですね。久し振りに庭の花を撮ってあったのでお出ましです。



愛、謙遜、柔和、寛容。素晴らしい事であり、皆完全にできたらと憧れます。なかなか人間には課題ですが、最も必要な事でもあります。この中の一つでもできれば全部出来そうな氣もします。



息子の家族は今や子育て中。一人の人間を育てるのは如何に難しいか、と私も側でそっと見ていますが、今さらながら大変ン!と思います。私も若かったからできたのだ。皆罪人で完全でないですから、子供に完全を期待しても仕方ない。4つの言葉で、自分が想像したように育つわけにはいかないので、その子の賜物を生かせるように育つのがいいかな、と。
愛、謙遜、柔和、寛容の少しでも、そして忍耐でしょうか。あ~難しい!子育てには寛容さかな?厳しさも必要だし、そうそう、いつか聞きました。子供が回り道をするのを見守ってやりなさいと。

昨夜、夫と話してましたが、我々の子は一応しっかりして来たから、もういつこの世を去ってもいいなぁと。その子なりです。世間とは比べてないです。そう思えるようになったのは最近ですから。息子はこれからが大変だ!

参道を行く

2016-08-31 08:18:35 | 日記
私 はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。(詩篇16篇8,9節)



台風も去り、秋の風情です。でも被害にあった方々には、、、東北に上陸は初めてのこと。台風は名古屋以西と思いこんでいますから、近頃の気候はやはり異常です。
大好きな大原なんですが、年ですね、ぼちぼちと歩みます。やはり遠方へ出てレンタカーで狭い場所を隈なくが1番!自宅からは運転しなくても、自分も足でブレーキを押してる気持ちでいます。運転出来ない人はまた違って快適かも?



素敵な料亭も多いです。






こういう所で食事したいものですねぇ。



お土産物屋さんでしょうか。



人気店のようです。

上の言葉  
(信仰に入る前は毎日が楽しい時もありますが、むなしい日々でした。何が真実なのか解らない。解らない事が多すぎる。なかなか平安がない。キリストに出会って、主を心の中心においた時、私は平安をまず頂き、そこから真実が見えて来ました。また信仰による愛や安らぎを得ました。幸いです。勿論試練が来ても余り揺るぎません。)


大原へ

2016-08-30 08:25:28 | 日記
名声は多くの富よりも望ましい。(箴言22章1節)



朽木から大原への道は、山を走ってる様でした。琵琶湖は標高は随分低いはず。そこから朽木は少しばかり高台と思えていましたが、高い所だったのです。大原へ下って行くと、途中にそれこそ「途中」というトンネルがあります。前から変わった名だな、といつも思います。そこから更に下って行きます。またグンと下がる所があり、京都はなんて低いのだろう!と驚嘆です。そういえば、宇治田原から宇治市の短い距離でも宇治市は低いのを実感しますから。大原は京都市でも高い場所とは思いますが、滋賀県は高いのですね。

大原へは久し振りで、三千院の参道も大好きな場所です。和傘のお店に着き嬉しいです。でも~2日間大きなカメラを持っていれば、疲れて来て、ここからはフジのX20のコンデジにしました。この日は晴れてコントラストが強いので、白飛びする箇所もありますが、なかなか優れもののカメラです。



おいしそうな京漬物のお店です。私は三千院よりもこの参道が好きなんです。だって美味しいものが多いし、京情緒溢れていますから。それに歴史を感じます。京都市内で最も好きな場所が大原なんです。山郷でもあり、観光地でもありますが、静かです。





百日紅も木々も美しいです。流石観光地。





念仏寺という小さな寺がありました。



大原にも茅葺があります。これは観光の為に保存と思います。低地は畑や田んぼで、柴漬の発症の地でもあります。田んぼも風致地区でむやみに建てられない事でしょう。

上の言葉
(名声とは富や権力者を指すのでなく、善良な人をいいます。人生を如何に生きて来たかが、老いると共に現れるのではないでしょうか。心の中心にイエスをしっかりとおき、喜んで生きたいものです。)

朽木渓谷

2016-08-29 07:46:17 | 日記
互いに励まし合い、互いに得を高め合いなさい。(第一テサロニケへの手紙5章11節)





渓谷の掲載を忘れてました。

田園を抜けると朽木渓谷と書いた看板があるではないですか。今まで数回来てますが、渓谷があるとは!そのまま進むと初めて見る風景でした。でも~です。水が極少なく残念です。秋は紅葉でいいでしょうね。







こんな所に岩盤が多いとは考えられない事でした。自然は解らないものです。



晴れていればどんな風景でしょう。



水かさが多ければ?想像しかありません。







少し戻ると映り込みの箇所があってパチリ。

上の言葉
(パウロがテサロニケの教会に向けての手紙です。コリントとは違って、神に忠実な教会だった様ですが、更にお互いを高める為に忠告を出しています。お互いに助け合う事により、得も高めると。私が初めて教会の門をこぐった時は皆若い人が多かった事もありますが、よく助け合ってられました。信仰に入り、私も自然と人を助けなきゃ!と励んだものです。そしてこの教会は心配ない、と思ったものです。教会に来るまでは実に見苦しい世界を見て来ました。また苦難もなめて来たので、助けよう、という気持ちは強かった氣がします。お互いに助け合う、それが愛の形態でしょうか。今や高齢化して出来なくなりましたが。)

散策色々

2016-08-28 08:08:22 | 日記
いのちに至る門は小さく、その道は狭く、
それを見いだす者はまれです。




この2日ようやく熱帯夜から解放され、よく眠れる様になりましたが、また週末から暑くなるとか。
朽木を散策してますと、朽木と言えば山林に少しばかりの田んぼのイメージですが、大きな田園地帯もありました。





こんな広い所もあるのですね。心も広々します。



ようやく向こうが晴れて来たので、カメラを立てにしましたら、青空が撮れました。





宿に帰り、ふと見れば、道に民家が。



朽木を後に大原に向かいましたが、この風景は川の側に集落があって、私の好きな風景です。

上の言葉
(名作に狭き門、という小説がありますが、キリストへの信仰の門も狭くて、広い偶像の門は大勢が入って行かれますが、キリストは狭い門から少しの人が入って行きます。しかし聖書では狭い門から入りなさいと言ってられます。偶像の門は御利益で多くの人が好みます。しかし滅びの門でもあります。狭き門は永遠の命の門です。)