日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

惜高原

2015-07-31 12:25:02 | 日記
私は心を尽くして主に感謝します。あなたの奇しいわざを余すことなく語り告げます。(詩篇9篇1節)



6月30日はいよいよ帰る日。朝食までに近くの一沼を散歩しました。来た日にもここへ来ましたが、風が強かったのですが、この日は曇りで静かな水面です。1昨年秋、昨年秋、そしてこの夏ですから、もう3度。多分もう来れないでしょう。また健康が守られたら他所を旅行したいです。ジーサン、バーサンは飽きもせず。。。







ヒツジクサもこの日は花も上を向いています。高原の沼は清く、空気も爽快で、緑が若々しく、飽きる事がありません。こうして喜んでいても、秋は美しいですが、十月半ばから雪が降り、長い厳しい冬なのでしょう。我々は良い時ばかりキャッチさせてもらってます。





ヒツジクサの茎を見ておこうと。葉は今から紅葉しようとしてるのでしょうか。



こういった沼に生える草ですが、名前は?雰囲気のある草に思えます。



よく見かけたアヤメ。何処もこの植物は水辺に咲く様です。
朝食後、長らく遊ばせて頂いた素敵な高原、志賀高原を後にしました。まだまだ見所も多いでしょうが、切がありません。今では疲れたのも忘れてます。守られました。

上の言葉
(この旅もですが、様々な自分の道は紆余屈折がありましたが、何とか守られて生きて来れました。当然と思う人が多いでしょうが、決して偶然ではありません。何でも自分がやって来た様に思いますが、背後にいて下さる主に守られて来ました。
人は自分が全てやって自分は偉い、と思い勝ちですが、主を忘れてるのです。私は微々たる力ですが、隣人に少しでも主を伝えて行きたいものです。)

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長池

2015-07-29 07:58:46 | 日記
人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。(詩篇8篇4節)



ホームページと電話が一体となったものを今まで長く利用していましたが、これを廃止するとの通知があり、1昨日、新しいプロバイダーさんが工事に来て下さいました。新しくなる時はいつもですが、行き違いがあるものです。電話番号もHP、メールのアドレスはそのまま、という要望を出したのですが、元の会社に伝わらず、昨日HPもメールも繋がっていない。元の会社に電話して、HPは繋がったのですが、メールは3日は待って下さい、とのこと。だからプロバイダーは新会社、HPとメールは元のままにして頂きました。私の頭では誠にややこしい。電話で応答出来ますから、高くつきます。私の能力では仕方ないか。。。おまけに安心サポートてなものをつけてもらってます。



さて渋峠方面からホテルで朝食を取、近くにありますが、まだ未知の長池へ行きました。信州大学自然教育園になっていますが、誰でも入れます。





上のバイケイソウに初めて出会いました。変った花で1度見たい花でした。木道がありニッコウキスケが咲いていました。





奥には行けないですが、もう昼間の光。ピカ天で写真には不向きで、これも旅の事仕方ないです。







キンポウゲと思われます。




ワタスゲやレンゲツツジも案外咲いていて、やはり高原ですね。



オダマキです。



ここも朝には靄って美しいでしょう。



木が大きくて、この日は晴れて、大空に高くそびえています。

朝2時から起きて、渋峠へ行ったこの29日。よく活躍しましたが、疲れます。午後は部屋でお休み。
明日の帰郷に備えましょう。

上の言葉
(人とは何者なんでしょう。これは青春時代、よく自問しました。本当に解らない。動物なんですが、しかし随分違う。そしてこの世は悪に満ちている。その当時は私自身も悪があることは感じませんでした。自分だけは正しいと。高慢でした。悪口も言い方題。人は?自分は?と解ったのはやはり信仰に入ってからです。人の子として、神様から愛されてる事を知り、生きる意味や希望が与えられるものです。還り見て下さる存在があることは、またそれを解らせて頂いた事は本当に感謝です。)


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清い池

2015-07-26 08:12:30 | 日記
こうして、あなたに身を避ける者がみな喜び、とこしえまでも喜び歌いますように。(詩篇5篇11節)



6月29日にこの池にいたのが、嘘の様なこちらの暑さ!あの寒い位で清いこの木戸池を思い出しています。だいぶ霧の沸き立ちも少なくなって来ましたが、依然まだ霧はあります。





ここの鯉は7黒い大きな鯉でした。





倒木が池に沈み、気候の厳しさが想像されます。





残念ながらアヤメは見頃は過ぎていました。





靄や映り込みを見ながら、自然だけが醸し出す清さにうっとりです。





秋には白樺が美しいこの池。また訪れたい衝動にかられますが。。。





またと見れない風景を後に、ホテルへと朝食に向かいました。この朝は3時から寒かったですが、感動させて頂けました。

上の言葉
(これは我々の願です。皆信じた者は主に身を避けています。いつも喜んで生きていきたいものです。他に目を向けたら、堕落、災難等が待ち受けているのも、また事実です。怖いですね。でもたまにこうして、主に背いて行く人があるのも事実です。そうならない様に、常に心にキリストがありますように。)




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霧湧く池

2015-07-24 18:43:30 | 日記
なぜ国々は騒ぎ立ち、国民はむなしくつぶやくのか。地の王たちは立ち構え、治める者たちは相ともに集まり、主と主に油そそがれた者とに逆らう。(詩篇2篇1,2、節)



滴一杯の原から木戸池に降りて来ました。まぁ~~~凄い!!池が煙る様に霧が立ち込め、見た事も無い風景がそこにありました。



これが何度か通ったあの木戸池?時と気候により自然は思わぬ風景になるものですね。





昨年秋に渋峠へ早朝向かう時、車が何台か止まっていて、カメラマンでしょう。朝の池より渋峠へ行けばいいのになぁ、なんて思って通り過ぎたのでした。多分、早朝には渋峠と違った朝焼けがあったのでしょう。何度も通ってられる方々は、良さを良く御存知なんですね。知らぬは私だけ。





透明な水なんでしょう。この池は映り込みがとっても美しく思います。



ボートを漕いでいる人は見た事はないですが、ボートが何隻か置いてあって、朝の光を浴びて美しいです。





次々と湧き、太陽が後ろの山を照らして来ました。



何にも考えず夢中でパチパチ、シャッターを切ました。

上の言葉
(この詩篇を書いたのはダビデで、今から3000年前です。生活の進歩はあっても、人間の根本的な事は全く変わらなくて、驚くばかりです。国々は騒ぎ、国民は皆呟いています。残念ですが。。。政治家達は集まっています。また世界では宗教戦争あり、内戦あり、国境線で戦い、いつの時代でも納まる事がない。そして主に背いています。)

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滴の原っぱ

2015-07-22 08:12:50 | 日記
まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。しかし悪者の道は滅びうせる。(詩編1篇6節)



横手山ドライブインから少し帰りの下りに降りると、何と滴一杯の小さな原っぱがありました。スキー場の一角でしょうが、光に輝いています。ここで花写真に立ち返り、普通レンズとマクロを用いました。ほんの少しの時間でしたが、虹色の〇ボケには時間が遅いでしたが、久し振りにマクロの世界で楽しめました。





赤つめ草ですが、この花は低地でもこんな高原でも美しく咲くのですね。



何かクリスマスツリーの様で滴タップリの木も美しいものです。





柵の中へ入れないので、なかなか近寄れないですが、何とかパチリ。





早速切り上げ、次の地へ。

上の言葉
(今や不穏な空気がありますが、国民は余り気が着いてないのかも?昔から罪なる人間の世界ですから、どうしようも無いのかも。戦争は避けたい。でも避けられない、人は無力かも解りません。しかし主は見てられる。
悪が蔓延り、必ず終末が来て、主は滅ぼされます。この事ははっきり聖書に何回も記されています。滅ばない様に、主にたち返って欲しいですね。)


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