重低音のBlue Canary

♪ 思いつくままを、つたない文と photo で …

再び「日本一!」。

2008-02-02 | つれずれ
いきなりの出題です。

下の写真を5秒間ご覧になってください。

普段はあまり目にしない「何か」が写っています。

それが何かを、当ててください。
準備はよろしいですか?

では、
5………、4………、3………、



2………、1………。はい、そこまで。

お分かりになりましたか?

電車?
ブブーッ!!
よくお気付きになりましたが、違います。

でも私は今日、ちょっと機嫌がいいので、もう一度だけチャンスを差し上げますね。
目を真ン丸くして、よーく、ご覧になってください。

では、5………、4………、3………、2………、1………。はい、そこまで。

いかがでした?

ズームアップすると、
これです。



「えっ? 民家の屋根の上に乗っているのは、もしかすると……大仏さんの……頭?」
ピンポ~ン! 

その「もしか」です。
ただし、屋根の上に乗っているのではなく、
民家の向こうにあります。

場所を移動して見てみると――



       





自宅の北名古屋市からほぼ10km北の愛知県江南市にある「御嶽薬師尊」
通称「布袋(ほてい)大仏」です。
「布袋」は旧地名で、ただし地元の人は「ほての大仏」と呼びます。

コンクリート製で、高さは18m。
個人所有の大仏としては「日本一」の大きさだそうです。


はい、「個人所有」と書きました。
「名古屋市で鍼灸師を営んでいた前田秀信氏が、43歳となった昭和24年(1949年)に夢のお告げを受けて大仏を建立することを決断し、29年(1954年)に完成した。」(フリー百科事典「ウィキペディア」)のだそうです。

現在はそのご子息が、
大仏の背中に隣接して建っている、



その名も「大佛治療院」で跡を継いでいらっしゃいます。


それにしても、大きな大仏さんですよねえ。
しかも、場所は住宅地のど真ん中。

いくら仏様とはいえ、これだけ大きいと、いわゆる「景観論争」とやらで周辺の住民から文句が出ないかと、他人事ながら気になりません?


でも、
その心配は
無用です。
文句を言う周辺住民など、
一人もいません。

なぜなら――



この大仏さんを建てたとき、
周囲には、一人の住民さえ住んでいなかったんですから。
そう、後から来たのは住民のほう。ですから、文句の言いようもありません。
激しく納得です。


上の資料を見せてくださったのは



先代の跡を継いでいらっしゃるご子息です(といっても、私よりかなり先輩ですが)。

私が大仏さんの写真を撮っている時、たまたまお客を見送り外に出ていらしたのを見て声を掛けると、
ご親切にいくつかの資料を見せてくださったのです。


で、
上の写真が載っていた本は、



なんと「文藝春秋」の昭和29年8月号です。

右側の新聞には、建設中の写真も載っているのが分かるでしょうか。


大仏さんの内部は空洞で、
上にも登れる構造になっていますが、
「支柱が脆くてなっていて危いから、最近は入らないようにしている」そうです。
大地震が来たら、大丈夫なんでしょうかね。



大仏さんにまつわる「秘密」を、
もう1つ教えてもらっちゃいました。

この大仏さん、
図体に比べると、頭が少し大き過ぎるように思いません?

ただ、
遠くから見るとちょっと変だけど、
近づいて下から見上げると、ちょうどいいバランスにも見えます。

「先代はそれを計算して、わざと頭を大きく造られたんですよね?、きっと」と水を向けてお聞きすると、

「うーん、それもあるけど、実は……首から下を、頭に合わせて大きく造ると、コンクリートなどの材料費が掛かり過ぎてしまう――というような事情もあったみたいだよ」と。

これまた納得です。


愛知県内には、今日の「布袋大仏」や、
1月14日付けの拙ブログ「日本一(?)」に載せた名古屋市千種区「泉龍山桃厳寺」のほか、
東海市にも高さ18m級の「聚楽園大仏」という大仏さんがあるそうです。


「愛知県人って、なぜそんなに大仏さんが好きなの?」ですって?

三重県の片田舎に生まれ、小学校へ上がるまでそちらで育った「なんちゃって愛知県人」の私も、同じように首を傾げています。


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