昨日行ってきました。K発酵の研究者説明会。
企業研究者のイメージをつかめれば、と思い、研究者志望の友人と突撃してきたわけですが……うん、修士以上ばっかりの説明会だったので、参加した学生がやたらめったら場慣れしてて驚いた。
初々しさとかたどたどしさがねぇぞ、お前ら。
まだ就活開始一発目くらいでしょ、この説明会。
しかしこの説明会、研究者生活やその会社の説明の意味も十分ありましたが、それと同時に実質の選考開始というか、候補者抽出の意味合いがあったっぽいです。
なんてったって、説明会参加申請=仮エントリで、中でも説明会に参加した人に来週にも本エントリの案内メール、再来週には本エントリ受付ってんだからアレです。十月頭にグランドオープンする各種就職ナビより二週間は早く選考が始まるわけで。その選考開始のための候補者集めとしての意味がかなり強かったのではないか、というのが私の予測ですねえ。
で。
まあ、わざわざ本州の西の端から大阪くんだりまで新幹線に乗って行ってきたわけですが。
個人的な収穫としてナニがあったか、と言うと……これがまた難しくて。
ここで研究者目指してる(憧れてる)なら「イメージがつかめてよかった!」となるでしょうし、本気で目指すなら会社のスタンス自体は魅力的でした。
私はすっかり理学部かぶれしていて、どちらかというと応用よりも基礎の方が好きというか……なんでしょうね、「なんだか分からないけどもしかしたら将来役に立つかもしれない面白そうなこと」をいじるのが好きで、『世界からアルツハイマーを根絶するために今、脳細胞の膜蛋白について研究・解明して人類に貢献したい』とは思わないわけですよ。
だから、もし「自分の生きる価値・ライフワークとして」の職業を「研究者」として選ぶのであれば、出来るだけ基礎研究の方が良い。
その意味で、その会社さんは面白そうでした。と言うのも、製薬をやってる企業のうちではかなり「研究」に力を入れているところで(他社は「開発」重点型に変わってるみたい)、その「開発できるかもしれない可能性の種探し」をやっている研究所はとても興味深かったわけです。
開発系の研究は……まあ、研究職を「仕事=お金をいただくための手段」として望むのであればアリだけど……それなら別にやることが研究でなくても私は別にいいので。どっちかってぇと、ナシかなあ。どんな形でも「研究」をしたい、という人種ではないらしいです。
そういえば昔(生物学を志した当初)は私も製薬に憧れてて、夢の新薬を開発できる可能性として、生命の神秘の解明に魅力を感じてたはずなんですけどね……。いつの間にか「~のため」なんてのは驕りだぜ、と思うようになってしまったよ。理学部かぶれだなあ。
でも実質、自分は自分の生きる価値=仕事として出来るタイプの人種じゃないんですよね。飽きっぽいし、好きなことは無駄なこととしてやってるのが好き、というタイプなので。だって、それを仕事(義務)にすると重たいというか、好き嫌いに関わらずやならきゃならなくなるでしょ。お金をもうけるのが仕事の(究極では無いにしても実質的な)目的なわけですし。
それに好きなこと、やりたいことがたった一つなワケでもない。
それを自分の「存在価値」にしなければ生きていけないような人種でもない。
となると、仕事は仕事として、企業人・社会人としての義務を果たしつつお金をもらって、趣味は趣味としてのんびりやりたいなあ。と思うわけです。
で、そうなってくると仕事を選ぶ上での判断の材料としてナニが一番効いてくるか、といえば「地元」あるいは「家」なんですな。
私の大前提は「いつかは地元に帰って実家の家と土地を守ること」ですので。それが可能なところに就職=地元で家から通える場所が一番……かな。
などと、なんだか行った先と関係あるんだか無いんだか……みたいな結論が出まして(笑)まあ、その基礎研究系の研究所が東京にあると聞いて「そらナシだわ」と思ったことではっきり自覚した結論でもあるんだけど。
「憧れ」はね、そら色々あるわけですよ。
研究職も、昔は憧れだった。今でも決して、嫌いになったわけじゃない。
あとはライターとか出版関係。細分化された科学の先端で新しいことを切り拓くんじゃなくて、そうやって切り拓かれた興味深い事実を、まとめる科学系のライターとか。実験するより調べる方が好きなんですね、私。
それからまあ、小説家。憧れと言えばこれが一番なわけですが。
それとか無茶を言えばアニメーター(笑)来世があればなります、きっと(笑)
でも、一番大切なのは地元に帰って、家を、土地を、故郷を守ることなのかな~、とか思います。なんでこんなに愛郷心強いんだろ、この人。不思議だ。
そのためにナニが出来るか……といえば謎ですけど。
ただ、大人になるって言うのは多かれ少なかれ、「他のものにはなれない存在になる」こと、「こういう役割の人」として社会に組み込まれることだろうと思ってます。
そして就職活動をする、というのはまあ、「どんな社会人として社会の構成員になるかを決める」という意味で、「大人になる」大きなステップだと思っています。
そう考えた時に、それなりに誇りとか、矜持をもてる道を選びたいなあ、とも思うわけですよ。それはつまりまあ、就活風にいえば価値観に合致する道を選ぶ、ということなのだろうと解釈しているわけですが。
多分私は、決して世間のヒーローでもヒロインでもない、ただの一般人で、今後世界から脚光を浴びることも英雄になることも、歴史に残ることもない。まあ、そんなこと今更改めて言うようなことでもないですけどね。それでもそれなりに、自分にとって価値のある道を選びたいなあ。とか、青臭いこと考えてます、はい。
そんで、その価値のある道というのは私にとって、「何か憧れの職種についてバリバリ活躍し、その道の第一人者として認められる」とかそういうことではないようです。憧れはするんだけどね。でも多分、私にはそれより大事なものがあるよ。
……多分、ね。また考えが変わる可能性は大きいけど。
余談ですが、高校生の時に考えた「大人」の定義と、今の自分が考える「大人」の定義は結構違う気がします。詳しくは高校の頃に語った文章を読み直す勇気がないのでアレなんですが(笑)
まあ、その今の「大人」の……ってえか、カッコいい大人、の定義を体現したようなキャラクターは書いてみたいなあ、とかふと考えたりします。
そして。
都会に一言。
「朝遅いよ!!」
うわーん、田舎は午前十時には(早ければ九時半には)店開くっつーの!
なんだよ、平均開店時刻十一時って! 遅ければ十二時って!!
どれだけ時差があるのか。ホント。
午前中その辺を回って遊ぼうと思ったカッペが二人、マックでショボーンとしてたよ!(笑)
更に防○を「田舎です」と連呼する研究所の人。(○府に研究所が一つあるんですな。宇○にもあるらしいけど。)
そして、その田舎で「ちゃんと暮らせますか?」と心配する都会人の学生!
う る さ い 。 防○も○部も、今まで私が暮らしてきたどの場所(現住所含む)より都会だ!!!
ったく、失礼この上ないぜ。暮らせるよ! ナニ心配してるんだよ! ぎゃうぎゃう(笑)
いや、文章上は叫んでますが、実際にはもう笑いしか出ませんでした。友人と二人、「立場ねぇ~」と爆笑。
田舎で暮らせない人は一体、街で日ごろナニをやっているのだろう。その想像すらつかない田舎人のたこやきでした。
企業研究者のイメージをつかめれば、と思い、研究者志望の友人と突撃してきたわけですが……うん、修士以上ばっかりの説明会だったので、参加した学生がやたらめったら場慣れしてて驚いた。
初々しさとかたどたどしさがねぇぞ、お前ら。
まだ就活開始一発目くらいでしょ、この説明会。
しかしこの説明会、研究者生活やその会社の説明の意味も十分ありましたが、それと同時に実質の選考開始というか、候補者抽出の意味合いがあったっぽいです。
なんてったって、説明会参加申請=仮エントリで、中でも説明会に参加した人に来週にも本エントリの案内メール、再来週には本エントリ受付ってんだからアレです。十月頭にグランドオープンする各種就職ナビより二週間は早く選考が始まるわけで。その選考開始のための候補者集めとしての意味がかなり強かったのではないか、というのが私の予測ですねえ。
で。
まあ、わざわざ本州の西の端から大阪くんだりまで新幹線に乗って行ってきたわけですが。
個人的な収穫としてナニがあったか、と言うと……これがまた難しくて。
ここで研究者目指してる(憧れてる)なら「イメージがつかめてよかった!」となるでしょうし、本気で目指すなら会社のスタンス自体は魅力的でした。
私はすっかり理学部かぶれしていて、どちらかというと応用よりも基礎の方が好きというか……なんでしょうね、「なんだか分からないけどもしかしたら将来役に立つかもしれない面白そうなこと」をいじるのが好きで、『世界からアルツハイマーを根絶するために今、脳細胞の膜蛋白について研究・解明して人類に貢献したい』とは思わないわけですよ。
だから、もし「自分の生きる価値・ライフワークとして」の職業を「研究者」として選ぶのであれば、出来るだけ基礎研究の方が良い。
その意味で、その会社さんは面白そうでした。と言うのも、製薬をやってる企業のうちではかなり「研究」に力を入れているところで(他社は「開発」重点型に変わってるみたい)、その「開発できるかもしれない可能性の種探し」をやっている研究所はとても興味深かったわけです。
開発系の研究は……まあ、研究職を「仕事=お金をいただくための手段」として望むのであればアリだけど……それなら別にやることが研究でなくても私は別にいいので。どっちかってぇと、ナシかなあ。どんな形でも「研究」をしたい、という人種ではないらしいです。
そういえば昔(生物学を志した当初)は私も製薬に憧れてて、夢の新薬を開発できる可能性として、生命の神秘の解明に魅力を感じてたはずなんですけどね……。いつの間にか「~のため」なんてのは驕りだぜ、と思うようになってしまったよ。理学部かぶれだなあ。
でも実質、自分は自分の生きる価値=仕事として出来るタイプの人種じゃないんですよね。飽きっぽいし、好きなことは無駄なこととしてやってるのが好き、というタイプなので。だって、それを仕事(義務)にすると重たいというか、好き嫌いに関わらずやならきゃならなくなるでしょ。お金をもうけるのが仕事の(究極では無いにしても実質的な)目的なわけですし。
それに好きなこと、やりたいことがたった一つなワケでもない。
それを自分の「存在価値」にしなければ生きていけないような人種でもない。
となると、仕事は仕事として、企業人・社会人としての義務を果たしつつお金をもらって、趣味は趣味としてのんびりやりたいなあ。と思うわけです。
で、そうなってくると仕事を選ぶ上での判断の材料としてナニが一番効いてくるか、といえば「地元」あるいは「家」なんですな。
私の大前提は「いつかは地元に帰って実家の家と土地を守ること」ですので。それが可能なところに就職=地元で家から通える場所が一番……かな。
などと、なんだか行った先と関係あるんだか無いんだか……みたいな結論が出まして(笑)まあ、その基礎研究系の研究所が東京にあると聞いて「そらナシだわ」と思ったことではっきり自覚した結論でもあるんだけど。
「憧れ」はね、そら色々あるわけですよ。
研究職も、昔は憧れだった。今でも決して、嫌いになったわけじゃない。
あとはライターとか出版関係。細分化された科学の先端で新しいことを切り拓くんじゃなくて、そうやって切り拓かれた興味深い事実を、まとめる科学系のライターとか。実験するより調べる方が好きなんですね、私。
それからまあ、小説家。憧れと言えばこれが一番なわけですが。
それとか無茶を言えばアニメーター(笑)来世があればなります、きっと(笑)
でも、一番大切なのは地元に帰って、家を、土地を、故郷を守ることなのかな~、とか思います。なんでこんなに愛郷心強いんだろ、この人。不思議だ。
そのためにナニが出来るか……といえば謎ですけど。
ただ、大人になるって言うのは多かれ少なかれ、「他のものにはなれない存在になる」こと、「こういう役割の人」として社会に組み込まれることだろうと思ってます。
そして就職活動をする、というのはまあ、「どんな社会人として社会の構成員になるかを決める」という意味で、「大人になる」大きなステップだと思っています。
そう考えた時に、それなりに誇りとか、矜持をもてる道を選びたいなあ、とも思うわけですよ。それはつまりまあ、就活風にいえば価値観に合致する道を選ぶ、ということなのだろうと解釈しているわけですが。
多分私は、決して世間のヒーローでもヒロインでもない、ただの一般人で、今後世界から脚光を浴びることも英雄になることも、歴史に残ることもない。まあ、そんなこと今更改めて言うようなことでもないですけどね。それでもそれなりに、自分にとって価値のある道を選びたいなあ。とか、青臭いこと考えてます、はい。
そんで、その価値のある道というのは私にとって、「何か憧れの職種についてバリバリ活躍し、その道の第一人者として認められる」とかそういうことではないようです。憧れはするんだけどね。でも多分、私にはそれより大事なものがあるよ。
……多分、ね。また考えが変わる可能性は大きいけど。
余談ですが、高校生の時に考えた「大人」の定義と、今の自分が考える「大人」の定義は結構違う気がします。詳しくは高校の頃に語った文章を読み直す勇気がないのでアレなんですが(笑)
まあ、その今の「大人」の……ってえか、カッコいい大人、の定義を体現したようなキャラクターは書いてみたいなあ、とかふと考えたりします。
そして。
都会に一言。
「朝遅いよ!!」
うわーん、田舎は午前十時には(早ければ九時半には)店開くっつーの!
なんだよ、平均開店時刻十一時って! 遅ければ十二時って!!
どれだけ時差があるのか。ホント。
午前中その辺を回って遊ぼうと思ったカッペが二人、マックでショボーンとしてたよ!(笑)
更に防○を「田舎です」と連呼する研究所の人。(○府に研究所が一つあるんですな。宇○にもあるらしいけど。)
そして、その田舎で「ちゃんと暮らせますか?」と心配する都会人の学生!
う る さ い 。 防○も○部も、今まで私が暮らしてきたどの場所(現住所含む)より都会だ!!!
ったく、失礼この上ないぜ。暮らせるよ! ナニ心配してるんだよ! ぎゃうぎゃう(笑)
いや、文章上は叫んでますが、実際にはもう笑いしか出ませんでした。友人と二人、「立場ねぇ~」と爆笑。
田舎で暮らせない人は一体、街で日ごろナニをやっているのだろう。その想像すらつかない田舎人のたこやきでした。