乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

乱鳥徒然   心得: 今夜眠れば、朝が来る。日毎に輝かしい朝を迎えて、私は自分の時間を歩む。

2018年09月09日 | 乱鳥徒然 Rancho's room.
 鏡を見ると真実が見える。
 鏡を覗くと、真実に引き込まれると言う事実を
 あなたは受け入れることができますか?





 今日も朝から部屋の片付け。
 私にとっては占いや拝み屋といったものは信用しない世界だが、風水を兼ねた徹底的な断捨離である。

 風水とは何か?
 いっとき、高価なツボを売りつける輩が問題とされていた。
 だが、立ち読みする限り風水とは理にかなった部分が多々あると感じる。
 家中の整理をし、空気が淀むことなく流れを良くすることは、非常に気持ちが良い。
 気が十分に流れ流ように気をつけ、観葉植物などを置くと一層気持ちは落ち着きをます。
 気持ちを和やかにさせるといった家の配置や整理がいかに大切か…
 齢をかさねた今になってより感じ取る事ができる。 
 相当数の不要物を推しいえれ等から排除した今、肩の荷が少し降りた気さえする。
 整理が進むに従い、いつ自分がなくなったとしても、子供に迷惑をかけるような生き方はしたくない痛感する。

 ここのところ夫が連日片付けを手伝ってくれる。
 夫も不要物を整理し必要なものを置くといった作業に夢中。
 これまでよりも美しくなった書斎で、彼は昔のようにリュートなどの中世音楽を楽しみ始めた。
 このようにゆったりとした気分にさせる断捨離は、私にとって大変ありがたいまじないのような存在と言える。


 今日はスポーツジムに行き、みっちり二時間、マシーンとストレッチで遊んできた。
 先日からコーチには内緒で、マシーンの時間を長く取り入れている。
 有酸素運動やマシーンは禁止の週三のレッスンを受けている。
 しかし拘束されるのが苦手な私はコーチの目を盗み自由に楽しむ事が多い。
 拘束が嫌いで女性ばかりのスポーツジムを一ヶ月でさり、今のジムに所属した。
 コーチに勧められ納得し、今のコースを選んだ。

 結論から言うと今のコースに申し込んだ結果の収穫は大きい。
 授業料が主婦の私にとっては随分お高買った分、心構えも大きい。
 とっくに諦めていたジーンズが、余裕ではける。
 体重も減り、体が軽い。
 筋力がついた成果階段はバネで登れ、これまでの老化が嘘のようだ。
 もし今のように体力がついてなければ、断捨離などといった大それたことは考えられなかったであろう。

 今夜眠れば、朝が来る。
 日毎に輝かしい朝を迎えて、私は自分の時間を歩む。



 
 みなさま、お付き合いくださいましてありがとうございます。
コメント (2)
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乱鳥混乱  狂歌、そして、白居易

2018年09月09日 | ことのは
 だ〜るまさんがこ〜ろんだ
 又もや乱鳥はんがころんだ
 写真は京都の壬生寺


 今朝、友人から電話が鳴る。
 何事かと思いきや 『白居易』より「不眠」(眠らず) 新修中国詩人選集4をみた彼女
「狂歌は江戸時代に流行ったのではないのかしらん。」
 加えて
「白居易はもっと昔の人ではないかしらん。」
とのこと。
 そういえば狂歌においては、そのように何かしらんで読んだように記憶している。
 私の記憶では曖昧さが回避できず、狂歌が気になって、調べてみた。

 ウィキペディアによれば、狂歌(きょうか)とは、社会風刺や皮肉、滑稽を盛り込み、五・七・五・七・七の音で構成した諧謔形式の短歌(和歌)、とある。

 狂歌の起こりは古代・中世に遡り、狂歌という言葉自体は平安時代に用例があるという。
 落書(らくしょ)などもその系譜に含めて考えることができる。
 独自の分野として発達したのは江戸時代中期で、享保年間に上方で活躍した鯛屋貞柳などが知られる。

 特筆されるのは江戸の天明狂歌の時代で、狂歌がひとつの社会現象化した。そのきっかけとなったのが、明和4年(1767年)に当時19歳の大田南畝(蜀山人)が著した狂詩集『寝惚先生文集』で、そこには平賀源内が序文を寄せている。
 明和6年(1769年)には唐衣橘洲(からころもきっしゅう)の屋敷で初の狂歌会が催されている。
 これ以後、狂歌の愛好者らは狂歌連を作って創作に励んだ。朱楽菅江(あけらかんこう)、宿屋飯盛(やどやのめしもり、石川雅望)らの名もよく知られている。

 狂歌には、『古今和歌集』などの名作を諧謔化した作品が多く見られる。これは短歌の本歌取りの手法を用いたものといえる。
 現在でも愛好者の多い川柳と対照的に、狂歌は近代以降人気は衰えた。


 加えて白居易(はく きょい、772年2月28日(大暦7年1月20日) - 846年9月8日(会昌6年8月14日))はも調べてみた。
 ウィキペディアによれば白居易は中唐の詩人。
 字は楽天。
 号は酔吟先生・香山居士。弟に白行簡がいる。

 772年、鄭州新鄭県(現河南省新鄭市)に生まれた。
 子どもの頃から頭脳明晰で、5〜6歳で詩を作ることができ、9歳で声律を覚えたという。

 彼の家系は地方官として役人人生を終わる男子も多く、抜群の名家ではなかったが、安禄山の乱以後の政治改革により、比較的低い家系の出身者にも機会が開かれており、800年、29歳で科挙の進士科に合格した。
 35歳で盩厔県(ちゅうちつけん、陝西省周至県)の尉になり、その後は翰林学士、左拾遺を歴任する。このころ社会や政治批判を主題とする「新楽府」を多く制作する。
815年、武元衡暗殺をめぐる越権行為により左遷され、江州(現江西省九江市)の地方官、司馬となる。その後、中央に呼び戻されるが、まもなく自ら地方の官を願い出て、杭州・蘇州の刺史となり業績をあげる。
 838年に刑部侍郎、836年に太子少傅となり、最後は842年に刑部尚書の官をもって71歳で致仕。
 74歳のとき自らの詩文集『白氏文集』75巻を完成させ、翌846年、75歳で生涯を閉じる。

 
 ウィキペディアで安直に調べただけの私。
 ますますわからなくなってきた。
 
 上出以外の 知人曰く、江戸時代もそういった引用の仕方は多くみられる、と。
 当たり前のことだが、フィクションの場合はなおさらで、多用されていると言う。

 少しずれるが、『竹取物語』の講義のこと。
 万葉集の大先生に習われた万葉集研究家のK先生曰く、時代はバラバラで固有名詞を具体化される例は『竹取物語』にもみられる。と。

 
 乱鳥阿呆の上に混乱をきたし、歴史的に考えると、ますますわからなくなってきた…




 とりとめもない拙ブログにお付き合いくださいましてありがとうございます。
 



 
コメント (7)
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『白居易』より「不眠」(眠らず)   新修中国詩人選集4

2018年09月09日 | 漢文
 写真はトルコで見たセマー(旋回舞 神事 修行)
 私はトルコではセマーを見るのが目的の一つだったので、三箇所で四度楽しませていただいた。
 写真の会場はイスタンブールの駅構内。




 いつも伺わせて頂く某秀ブログでは、『百人一首一夕話』を読み込まれていらっしゃる。
『百人一首一夕話』巻之九では次のような言葉が書かれているらしい。


   白氏文集に狂歌
   あり。又本朝文粋
   にも狂哥有。倶に
   詩の一体なり。今
   いふ狂詩といふ         
   ものにあらず。
 
            (Kの部屋様 よりお借りしました。)





   白氏文集に狂歌
   あり。
 この部分が気になって『白居易』を開けてみたが、新修中国詩人選集では取り上げられてないことを確認した。
 新釈漢文大系では『白氏文集 』は十三巻まであるらしい。     (ネット検索)

 かなり長い『白氏文集 』を引いておられる『百人一首一夕話』の作者である尾崎雅嘉(おざき まさよし)という方は随分と知識人だったのだと漠然と思う。
 江戸時代の学者にせよ、物書きにせよ、半端なく博学の方が多くいらっしゃると改めて感じた。

 
『白居易』をせっかく開いたのだからと、紙面に目を泳がす。
 今まさに眠れぬわたくしにぴったりの詩があったので紹介したい。


  
  不眠       眠らず


   焔短寒紅盡    焔(ほのお)短くして寒紅(かんこう)尽き

   声長暁漏遅    声長くして暁漏(ぎょうろう)遅し

   年衰自無睡    年衰えては 自ずから眠ることなし

   不是守三戸    是れ三戸(さんし)を守るためならず

 



   暁漏(ぎょうろう) あかつきを守る水時計

   守三戸       中国では人の腹のなかには しちゅう と呼ばれる三びきの虫がいて、
  (さんしを守る)   庚申の日に人が昏睡して妻に腹の外に出て天帝に暴言すると言い伝えられていた。
             そこでこの日の晩は眠らずに番をするという言い習わしがあった。
             守三戸とはそのことをいう。


 




ご訪問いただき、ありがとうございます。


 




 
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