乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

乱鳥混乱  狂歌、そして、白居易

2018-09-09 | ことのは
 だ〜るまさんがこ〜ろんだ
 又もや乱鳥はんがころんだ
 写真は京都の壬生寺


 今朝、友人から電話が鳴る。
 何事かと思いきや 『白居易』より「不眠」(眠らず) 新修中国詩人選集4をみた彼女
「狂歌は江戸時代に流行ったのではないのかしらん。」
 加えて
「白居易はもっと昔の人ではないかしらん。」
とのこと。
 そういえば狂歌においては、そのように何かしらんで読んだように記憶している。
 私の記憶では曖昧さが回避できず、狂歌が気になって、調べてみた。

 ウィキペディアによれば、狂歌(きょうか)とは、社会風刺や皮肉、滑稽を盛り込み、五・七・五・七・七の音で構成した諧謔形式の短歌(和歌)、とある。

 狂歌の起こりは古代・中世に遡り、狂歌という言葉自体は平安時代に用例があるという。
 落書(らくしょ)などもその系譜に含めて考えることができる。
 独自の分野として発達したのは江戸時代中期で、享保年間に上方で活躍した鯛屋貞柳などが知られる。

 特筆されるのは江戸の天明狂歌の時代で、狂歌がひとつの社会現象化した。そのきっかけとなったのが、明和4年(1767年)に当時19歳の大田南畝(蜀山人)が著した狂詩集『寝惚先生文集』で、そこには平賀源内が序文を寄せている。
 明和6年(1769年)には唐衣橘洲(からころもきっしゅう)の屋敷で初の狂歌会が催されている。
 これ以後、狂歌の愛好者らは狂歌連を作って創作に励んだ。朱楽菅江(あけらかんこう)、宿屋飯盛(やどやのめしもり、石川雅望)らの名もよく知られている。

 狂歌には、『古今和歌集』などの名作を諧謔化した作品が多く見られる。これは短歌の本歌取りの手法を用いたものといえる。
 現在でも愛好者の多い川柳と対照的に、狂歌は近代以降人気は衰えた。


 加えて白居易(はく きょい、772年2月28日(大暦7年1月20日) - 846年9月8日(会昌6年8月14日))はも調べてみた。
 ウィキペディアによれば白居易は中唐の詩人。
 字は楽天。
 号は酔吟先生・香山居士。弟に白行簡がいる。

 772年、鄭州新鄭県(現河南省新鄭市)に生まれた。
 子どもの頃から頭脳明晰で、5〜6歳で詩を作ることができ、9歳で声律を覚えたという。

 彼の家系は地方官として役人人生を終わる男子も多く、抜群の名家ではなかったが、安禄山の乱以後の政治改革により、比較的低い家系の出身者にも機会が開かれており、800年、29歳で科挙の進士科に合格した。
 35歳で盩厔県(ちゅうちつけん、陝西省周至県)の尉になり、その後は翰林学士、左拾遺を歴任する。このころ社会や政治批判を主題とする「新楽府」を多く制作する。
815年、武元衡暗殺をめぐる越権行為により左遷され、江州(現江西省九江市)の地方官、司馬となる。その後、中央に呼び戻されるが、まもなく自ら地方の官を願い出て、杭州・蘇州の刺史となり業績をあげる。
 838年に刑部侍郎、836年に太子少傅となり、最後は842年に刑部尚書の官をもって71歳で致仕。
 74歳のとき自らの詩文集『白氏文集』75巻を完成させ、翌846年、75歳で生涯を閉じる。

 
 ウィキペディアで安直に調べただけの私。
 ますますわからなくなってきた。
 
 上出以外の 知人曰く、江戸時代もそういった引用の仕方は多くみられる、と。
 当たり前のことだが、フィクションの場合はなおさらで、多用されていると言う。

 少しずれるが、『竹取物語』の講義のこと。
 万葉集の大先生に習われた万葉集研究家のK先生曰く、時代はバラバラで固有名詞を具体化される例は『竹取物語』にもみられる。と。

 
 乱鳥阿呆の上に混乱をきたし、歴史的に考えると、ますますわからなくなってきた…




 とりとめもない拙ブログにお付き合いくださいましてありがとうございます。
 



 
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7 コメント

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白居易 (やまとなでしこあん)
2018-09-11 07:30:56
お早うございます❤️

春の空海の映画で、原作は橘逸勢が当てられた空海の相棒役を白居易がしていましたね🐤ダンスが得意な素敵な中国人の俳優さんでした❤️
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こちらにもありがとうございます。 (やまとなでしこあん様 乱鳥です。)
2018-09-11 23:30:34
そうなのですか。
見て見たかったです。

急に書道がしたくなりました。

気を落ち着かせて、筆を取るのでしょうか?

何かアドバイスをいただけましたら、嬉しいです^^
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書を楽しみたい‼️ (やまとなでしこあん)
2018-09-12 06:35:42
乱鳥さん

色々食べ物の事をお教え頂き、ありがとうございます❤️

書は、私は今のところ、楽しむ事が目的なので、好きな方の書を真似て書かせていただく臨書というものと、私は自分ではたまにですが、思いを文字に込めて何か文字で書くというもので、前者は気分爽快、後者は苦悩に満ちています😱

幸い、浅学の私に求めをこわれる為書はありませんので、気持ちを整理したり、落ち着けたりして書くのは、お祝いとかの袋書きの時くらいですが、好きな書家が日本では一休、中国では、董其昌ですので、どちらも精神等落ち着かせていないのでは無いかと思われますので、考えた事がありませんでした。

明治時代の書道の教科書の書き手は、禊を行い、何日も清らかなbasyoniこもり書かれたと聞いたことがありますが、私は橘逸勢の文字の方に惹かれます❤️

乱鳥さん 筆の毛は、柔らかく腰があるのが私の好みです❤️いつも奈良の文林堂に行っていますよ😃
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おはようございます。 (やまとなでしこあん様 乱鳥です。)
2018-09-12 08:25:58
あん先生
詳しく教えていただきありがとうございます。

あん先生の教えを考えながら、楽しんでみたいと思います。

もっとも、楽しいだけで意味もなく、一生懸命模写^^するのみです。

あん先生のお話を読ませていただきまして、書という世界も深く広いなと感じました。

小学生の頃書道を習った私は、美しいお習字ができません><

近所の子でお習字を習った友人は、字の形が大変整っていました。

しかし私の場合は、筆法や勢いやそんなことを中心に教えていただき、バランスが悪いんです(笑)

ただし、書の心みたいなものや先生のオーラは感じました。


あん先生、筆は柔らかなものがおすきなのですか。

墨は青墨(?)や赤墨や薄墨など、文字や内容によって変えられるのでしょうね。


明治時代の書道の教科書の書き手は、禊を行い、何日も清らかなbasyoniこもり書かれたというお話、大変興味深いです。

中国では大筆で修行の一環みたいに書を書かれてる場合もありますでしょ。

書道って道がつくくらいに精神的な部分が大きいのでしょうね。

私は書道の話は全く知りませんので、また教えていただければ嬉しいです。

あん先生が植物のささやきや木漏れ日を感じ取りながら書を取り組んでおられる姿が目に浮かんできます。憧れる光景です^^


ま!!!浅学なんて!!!
何をおっしゃいます、やまとなでしこあんさん
ブログを始めた頃、あん様が「鉄」の文化や歴史について熱く語られていたのを覚えています。

歴史の苦手な私は、あん様に質問しましたことも覚えています^^

長い期間にわたり、色々と教えていただき、ありがとうございます^^
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書のバランス (やまとなでしこあん)
2018-09-14 04:40:03
お早うございます。過分な高いご評価をいただき、恐縮です。気ままに思いつくままに書かせていただき、楽しかったです。

墨は、色はたまに気にしますが、硯と墨の性能や濃度にこだわります。日本画同様、膠がキーとなります。ですから、墨の保存は乾燥が第一で、桐箱(私は主にそうめんの空き箱)に入れてあります。

筆の動きが出来なければ、書としての機能は活字に負けると思いますので、乱鳥さんの習われた方法は素晴らしいと思われます。

昨夜のテレビの歴史番組で福井藩主松平春嶽氏のお手紙が映されていましたが、素晴らしく美しい草書でした。

あのような物を習おうと思えば、明治以降の実用の為の活字代わりの楷書だけを書けるようにする書写教育では、無理だと思われます。明治の義務教育はしょせん富国強兵の為のパーツ作りの内容だと思われます。身分制度を廃止し、徴兵制を引いても、労働力や戦士にするための内容で、哲学を教える余裕があったでしょうか?哲学までも教えてもらえず、そのように扱えわれる怒りが軍国主義になり、他国民も自国民も平気で殺せる人を多く生み出したのではないかとこの頃思うのです。哲学があれば、全ての書体に興味が沸くと思うのです。また、全ての書体を学ぶことが哲学でもあるのではないかと思っているのですが・・・。

私も、子どもの頃の先生が若き日の安東聖空先生に習われた方でしたので、仮名がベースの先生で、升目に揃える意識が薄かったのではないかと思われます。
散らし書きはだいたいできますが、安東先生の書の実物を見る機会を持つようになり、ジャズのようなリズム感が素晴らしいと思うようになりました。それは、やはり中国の古典がベースにあると思われます。日本に文字が伝わって以来、文字を書く人の基本は中国の王羲之であったり、その前、後の様々な素晴らしい作品です。乱鳥さん!!十七帖をお勧めします。乱鳥さんのお好きな書の臨書に奥行きを与えてくれますよ!!そしてバランスには石鼓文がいいのではないかと思われます。また、色々おしゃべりが長くなりましたね。お許しください。
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知音 (やまとなでしこあん)
2018-09-14 04:54:50
孔子は音楽を非常に大切にされたそうです。実はイビョンホンの最近始まったドラマで、とてもひどい日本人の軍人が出て来るのですが、イビョンホンの演じるユジンのオルゴールを手にし、腹黒い行いを行ないます。

その日本人の設定が古くからの家柄で元々身分が高いということです。そこで、謎を感じました。日本の貴族ならば、冷泉家のように和歌などをたしなまれ、古典文学の素養などに通じ、調べのあるものをおろそかにする行いの愚かさを知っていたのではないかと思われるのです。もしかして、本妻さんの子どもでなく、憎しみを根底に持っていた?としても、当時の有力貴族の子弟ならばそれなりの援助があり、教育は受けていたと思われるのです。不思議な設定が多いのですが、この時代の韓国ドラマは初めて観ますので、興味を持ち見ています。
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教えていただきありがとうございます。 (やまとなでしこあん様 乱鳥です。)
2018-09-16 01:38:41
やはり書道とお習字とは違うのですね。

私は田中雲龍先生という方に習いました。

風格と品格のある先生で、今でも習ってよかったと思います。

小学生ながらに、大人の世界に踏み込んだようなきがいたしました。


書道がまとまらず、俳画もやめました^^

俳画は模写ばかりで俳句も作ることなく、面白みがないのでやめました。

しかし、空間の使い方は好きです。

書道が上手ければ、もっと世界が広がっただろうと思います^^

やまとなでしこあんさんが羨ましいです。

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