gooブログはじめました!古代からのウソの歴史の訂正と真実を

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ歴史の隠れ話に本物の光を、誠を伝える勇気を子孫のために、

楠木正成の挙兵 元弘元年・元徳3年(1331)

2011-06-25 00:48:23 | 歴史隠れ話

歴史かくれ話と今日は何の日


2006年09月14日


楠木正成の挙兵 元弘元年・元徳3年(1331)


鎌倉幕府の悪政に心を痛めていた後醍醐天皇は、ついに笠置山で挙兵した。これに呼応して赤坂城で挙兵したのが、悪党としても名高かった楠木正成である。正成は、これ以降、後醍醐天皇に味方して、鎌倉幕府の滅亡に一役買い、さらに後に反旗を翻すことになる足利尊氏とも戦うことになる。

赤坂城は、特にこれといった防御施設のない小さい城だったが、正成はゲリラ戦術を展開して、幕府軍を散々翻弄した。その上で、一週間くらいしてから兵糧が尽きると、さっさと城に火を放って退却した。風雨の激しい夜の撤退劇だったという。

⇒赤坂城跡周辺の地図(livedoor地図情報)


--------------------------------------------------------------------------------

(その他の9月14日の出来事)

●熊谷直実没 承元2年(1208)
⇒熊谷直実は、源頼朝の御家人だったが、一ノ谷の合戦で平敦盛を討った話は平家物語などでも有名。のち出家して蓮性と名乗った。

●春日局没 寛永20年(1643)
⇒3代将軍徳川家光の乳母。実は明智光秀の家来・斉藤利三の娘である。

●山崎闇斎没 天和2年(1682)
⇒江戸前期の儒学者・神道家。垂加神道の提唱者である。

●ムシ歯の原因判明 1683年
⇒ムシ歯は、口腔内の微生物による酸化作用のためと考えられているが、これを発見したのがオランダの博物学者・レーウエンフクという人物だったという。


--------------------------------------------------------------------------------

楠木正成といえば、すごい戦術に長けていたというイメージですが、要は掟破りの実用的な作戦を立てて戦ったということなんですよね。あまりにも型にはまらない戦いぶりだったために、まったく予想もできずに敵は倒れていくという…。

事によっては、ルールどおりにやっていればいいというもんでもないですなあ

織田信長が比叡山を焼き討ちする 元亀2年(1571

2011-06-25 00:44:12 | 歴史隠れ話

歴史かくれ話と今日は何の日


2006年09月12日


織田信長が比叡山を焼き討ちする 元亀2年(1571)

ブログ村 歴史ブログ

当時ですら700年以上もの歴史を持つ鎮護国家の大道場・比叡山延暦寺を焼き討ちするとは、部下も思っていなかった。だから、信長から比叡山を焼くように命せられた時は、驚愕であったであろう。明智光秀や佐久間信盛などは、必死になってのぶながを諫めたが、一切聞き入れられなかった。

織田信長が比叡山を攻めたのは、近年激しく対立していた浅井・朝倉両家に比叡山も味方していたからであるという。
根本中堂、社寺堂塔500以上が消失、寺域内にいた3千名以上が、老若男女を問わず一人ずつ斬殺された。

明智光秀が本能寺の変を起こすきっかけになったのではないかとも言われる、信長の狂気の行動である。

⇒比叡山延暦寺周辺の地図(livedoor地図情報)


--------------------------------------------------------------------------------

(その他の9月12日の出来事)

●嘉吉の徳政令 嘉吉元年(1441)
⇒嘉吉の乱に伴って、出された徳政令。

●石山合戦開戦 元亀元年(1570)
⇒天下統一を推し進める信長に、決して屈しようとしない石山本願寺が抵抗。10年に及ぶ長期戦に。

●加藤嘉明没す 寛永8年(1631)
⇒ちょっと影が薄いけど、賤ヶ岳の七本槍の一人ですよ。

●塙保己一没す 文政4年(1821)
⇒目が見えないから手に書いてもらって字を覚え、膨大な巻数に及ぶ「群書類従」を編纂した超人。


--------------------------------------------------------------------------------

比叡山焼き討ちについて、光秀が諫めたところ、信長にブチギレされてひどい仕打ちを受けたから、この頃から謀反を考え始めたとかいう話も聞いたことがあります。

しかし、信長公も容赦ないねぇ。奈良の大仏殿焼き討ちしちゃうヤツもいるけど…。


恵美押勝の乱起こる 天平宝字8年(764)

2011-06-25 00:40:02 | 歴史隠れ話
フレパ


歴史かくれ話と今日は何の日

2006年09月11日




恵美押勝の乱起こる 天平宝字8年(764)

ブログ村 歴史ブログ

恵美押勝の乱は、一応高校日本史の教科書にも太字で記載されている事件なのであるが、あまり有名ではないので、覚えている人はいないかもしれない。

恵美押勝は、本名を藤原仲麻呂という。父は藤原武智麻呂といって、大化の改新の立役者・藤原鎌足の孫にあたる人物であった。恵美押勝の名前は、淳仁天皇から賜った名前である。

当時は、朝廷内で権力争いが相次いでいた。天平元年(729)には長屋王の変が起こり、藤原氏が権力を一時手中にしたが、藤原家で隆盛を誇った4兄弟が没すると、今度は橘諸兄(たちばなのもろえ)という人物が権力を握る。しかし、必ずしも政情が安定したとは言えず、天平12年(740)には藤原広嗣が九州で乱を起こしている。

のち、藤原仲麻呂が聖武天皇の妻である光明皇太后のもとで権力を握るようになるのだが、やがて孝謙上皇は、僧道鏡を信任するようになる。道鏡は、一時時期天皇の位を約束されるほどに上皇の信任を受けて、大きな権力を握ったため、仲麻呂がこれに反発して兵を挙げたのである。これが恵美押勝の乱。

ちなみに結局、乱は失敗し、仲麻呂は妻子共に斬殺された。


--------------------------------------------------------------------------------

(この他の9月11日の出来事)

●空也没 天禄3年(972)
⇒口から仏像の像で有名。

●平田篤胤没 天保14年(1843)
⇒江戸後期の国学者。国学といえば、本居宣長なども有名。

●公衆電話第一号機が、新橋・上野駅に設置される。 明治33年(1900)
⇒今や個人で持つ時代ですが…。

●稲荷山古墳から銘文入り鉄剣出土。 昭和53年(1978)
⇒埼玉県にあるさきたま古墳群のなかにある古墳。

●アメリカで同時多発テロ事件発生 平成13年(2001)
⇒ニューヨークのワールドトレードセンタービル2棟やペンタゴン(米国防総省)などにジャックされた飛行機が激突。


--------------------------------------------------------------------------------

道鏡という男には、巨根伝説がありますよね。孝謙上皇という人は女性なのですが、あまりに孝謙上皇が道鏡をかわいがるので、道鏡がその巨大マラで上皇をとりこにさせたんじゃないかというわけ。なんじゃそりゃ。

しかし、この時期はちょうど権力争いでドロドロしていた時期…。鎌倉幕府初期の権力争いにも通ずるものを感じる…。貴族も武士も結局は、権力によだれを垂らすんですなあ。

武田信玄と上杉謙信のまさに龍子相打つ激戦として有名である。

2011-06-23 23:08:50 | 川中島の合戦 永禄4年(1561)

歴史かくれ話と今日は何の日


2006年09月10日


川中島の合戦 永禄4年(1561)


川中島の合戦といえば、戦国を代表する二大武将、すなわち武田信玄と上杉謙信のまさに龍子相打つ激戦として有名である。

多くの人が、信玄と謙信の一騎打ちの場面を思い浮かべるであろうが、これは12年間のうちで5回も行われたとされる川中島の合戦の4回目にあったとされる。

武田陣深くに自ら突っ込んできた勇猛果敢な謙信が、信玄の姿を見て刀を振り下ろすが、それを信玄が手にした軍配ではじくという場面である。現代では「後世の創作」と言われているが、そんなこともあったかもしれないと想像してみることができるのも歴史の楽しみではある。

川中島の合戦第4回戦は、信玄の策の裏をかいた謙信が開戦当初は優勢に進めていたが、あとで別働隊と合流した信玄が盛り返し、結果的には引き分けといわれている。



--------------------------------------------------------------------------------

(この他の9月10日の出来事)

●薬子の変 弘仁元年(810)

●松平忠直(結城秀康の子。家康の孫)没 慶安3年(1650)

●嘉吉の乱の中心人物・赤松満祐が自害 嘉吉元年(1441)

●武田信義、源頼朝に呼応して挙兵 治承4年(1180)


--------------------------------------------------------------------------------

川中島の合戦は、お互いに得るものの少ない戦でした。信玄などは、12年間も謙信と戦っていたから、上洛できないうちに死亡したのだとも言われます。しかし、信玄も謙信を好敵手としていて、なかなか無視はできなかったんでしょうなあ。

ところで、やっぱり昨日は記事補完できませんでした…。出来事のアップだけはなんとか頑張るつもりなのでお許しくだされ…。

織田信長の重臣・滝川一益没 天正14年(1586) 足利基氏、関東管領となる 正平4年・貞和5年(1349)

2011-06-23 23:03:53 | 天武天皇崩御 

歴史かくれ話と今日は何の日


2006年09月09日


天武天皇崩御 朱鳥元年(686)


天武天皇は、飛鳥時代の天皇。天智天皇の弟で、壬申の乱で大友皇子と皇位を争った。飛鳥浄御原宮の造営、飛鳥浄御原令の制定、八色の姓の制定などでも知られる。享年56歳(諸説あり)。

紆余曲折があり、次代天皇は天武天皇の皇后が即位し、持統天皇となる。


--------------------------------------------------------------------------------

(この他の9月9日の出来事)

●足利基氏、関東管領となる 正平4年・貞和5年(1349)

●織田信長の重臣・滝川一益没 天正14年(1586)


--------------------------------------------------------------------------------

なかなかうまく更新できないので、上のように、最低限の情報だけは、毎日更新するように改善したいと思います。「この他の出来事」はお詫びの気持ちのおまけです(笑)。
時間がある日は、夜にでも、今までのようにそれなりに詳しい記事を更新します。例えば明日帰宅後に書けそうなら「天武天皇崩御」の詳細記事を書くという具合です。

また変わるかもしれませんが、とりあえずそれでやってみます。よろしくお願いします。


↓ランキングに参加しています!

↑クリックすると、ランキングサイトに移動しますが、このサイトの順位があがって、運営者の励みになります。なので、記事を気に入っていただけましたらぜひクリックをお願いします。