日常

「青い鳥」メーテルリンク

2009-10-30 08:48:52 | 
メーテルリンクの「青い鳥」という本。
新潮文庫から出ていて420円。200ページ近くですぐ読める。でも、かなり深い。

岩波少年文庫の紹介では
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貧しいきこりの子どもチルチルとミチルは、「幸福」の象徴である「青い鳥」を求めて冒険の旅へ。「思い出の国」では祖父母と再会し、「未来の国」ではこれから地球に生まれてくる子どもたちと出会います。愛されつづけている名作。
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粗筋だけ知っていて、読んだ事がない本は多い。
ある意味、受験勉強で一問一答式に「問題→解答」をパターン認識で解いていた弊害かもしれない。


話のオチとして、「幸せの青い鳥は、探さなくてもいつもすぐ側にあるんだよ。」というのはよく使いまわされる台詞。もうそこには言霊なく記号のように使われすぎている感がある。

<「青い鳥」の教訓は、結局高望みするな。ってことでしょ。>
みたいに、タイトルと結論を点と点の対応関係で覚えていても、受験では通用するかもしれないが現実世界では何も通用しない。
むしろ、そんな情報は足手まといになることがある。
それを過去の人は知識と知恵の違いだと言った。



この本を読んでみたら、この本の良さはそんな浅いところにあるわけではないことにも気づく。
最後の終り方(観客に向けて語りかける場所)を見ると、その下に底がさらにもう一つありそうな、二重底のような構造で終わっている気もしてくる。なかなか深い。
読んでいて途中鳥肌が立つ場面が何個かあった。


「青い鳥」は6幕12場の戯曲になっていて、子供が演劇をできるように、細かくビジュアル的な指定がある。こんな衣装、こんな様子・・・。台本を読んでいるような気もする小説である。


「思い出の国」で、祖父母と再会する。
ここは、死とは何か、思い出とは何か、メーテルリンクの考えが分かる。
彼の中で「死」は存在しない。この本を読むと、死が存在しないとしても不自然さを感じない。死や生は、「ものの見方」に過ぎないと痛感する。

「森」で、動物や植物と出会う。
動物や植物から見た人間の世界を体感する。

「墓地」で、死と会いに行く。
しかし、そこに死はなかった。

「未来の王国」で、これから生まれてくるであろう子どもたちと出会う。
まだ見ぬ生の中にも、「生」が存在する。
現在の僕らの中にも、「生」が存在している。

僕らの中に「生」の原型が無限の入れ子構造で含まれている。
それは過去、過去、過去・・・という過去への無限性と、未来、未来、未来、未来、という未来への無限性への入れ子構造である。


今僕らが享受している「生」をどう使うかは、僕らの人生次第、運次第かもしれない。
ただ、人には役割がある。存在と役割は表裏一体である。
そして、この本では過去も現在も未来も、境界線は曖昧である。


最終章は「目ざめ」である。
チルチルとミチルは、僕らが「夢」と称する状態から目覚め、何かに目覚める。その目覚めは、僕ら自身を目覚めさせて連鎖する。

夢とは何か、認識とは何か。
この世界は、僕らの認識で変わりうる。
世界は単に「ものの見方」に過ぎない。
僕ら読者の固定化した認識を揺さぶってくる。


素晴らしい作品でした。
生きてる間にこういう作品を書けたら最高だろうなぁ。

個人的に、今年読んだ本の中でベスト5には入るなー。



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(未来の国にて)
空色の宮殿の中にいくつもの大広間があります。
ここには、これから生まれる子どもたちが待っています。
トルコ石の丸天井、サファイアの円柱、明かりやラピスラズリの敷石、すべてが現実はなれした青い色をしています。

どの広場にも空色の長い服を着た子どもたちがいます。
子どもたちは、遊んだり、おしゃべりしたり、散歩したりしています。
中には、未来の発明をしている子もいます。
子どもたちの間を、半透明の空色の天使のような人たちが静かに行き来しています。

チルチル:ぼくたち、どこにいるの?

光:未来の国です。まだ生まれない子どもたちのいるところです。帽子のダイヤモンドのおかげで、はっきり見えるでしょ。たぶん青い鳥もここで見つかりますよ。

チルチル:ここでは、何もかも青いから、鳥だって青いだろうな。ほんとに、なんてきれいなんだろう!

青い子どもたち:生きてる子どもたちだ!みんな、来てごらん、生きてる子どもたちだよ!

チルチル:どうして、「生きてる子ども」って言うの?

光:あの子たちが、まだ生きてる子どもじゃないからでしょう。生まれる時を待っているのです。

チルチル:生まれる時?

光:そう、地上に生まれてくる子どもたちは、ここから出て行くんですよ。一人一人が、自分の生まれる日を待っています。お父さんとお母さんが、子どもを欲しいと思うと、さっき右に見えた大きなとびらが開いて、子どもたちが降りていきます。
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2 コメント

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読書の幅,広いですねー・・・ (MY)
2009-11-08 19:07:21
青い鳥,私も大好きな作品です!中学のとき,文化祭で展示をやったんで,何度も読みました・・・なつかしいです。

一つ一つの場面が,想像するだけで鮮やかで絵画的で,美しさと生々しさを兼ね備えていて,あらすじで語るにはもったいない作品ですよね!私は地球に生まれる準備をしている子どもたちと大きな鎌を持った時のおじいさんの場面がとても印象に残っています。コウノトリで運ばれるだけの赤ちゃんじゃなくて,みな1人1人テーマを抱えて熱心に語るし,時のおじいさんにせかされて生まれるために出発するときに,既に別れの場面がある。。。

にしてもチルチルはいろんな国で青い鳥をみつけるのに,いつも連れて帰ろうとするとぐったりしてしまったと思うんですが,最後にチルチルたちの家にいた「本当の」青い鳥も,思い出の国とか夜の国とかに持って行くとやっぱり色が変わってしまうのでしょうかね。

いなばさんの書いていた生死の捉え方とかを読んで,中学生のときと大人になった今ではこの本の感想も違うだろうな~と思いました。また読み直してみたいです。
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絵画的(写真的)と音楽的 (いなば)
2009-11-10 12:05:17
>>>>>>>>>MY様
そういえば、前はMY@リヨンさんだった気がしますが、今後はMY@パリさんになりますか?

青い鳥,文化祭で展示をやったんですねー。そういう台本風のほんのスタイルになってるけど、本当にそういうことをやっている小学生の話を聞くと感無量です。

いやぁ、さすが。ちゃんとディテールまで覚えている!
僕も、あの生まれる準備をしているところ、好きです。
未来の話で、まだ見ぬ生の話ですよね。
生まれる前から既に別れがあって、別れの上で生まれてくるとか、役割を持たずに生まれるのは許されないくだりとか、なかなか深い話だと思いましたよ。


「青い鳥」は、おそらく自分の心を反映して認識されるリトマス試験紙のようなものなんでしょうね。自分が全てをあるがまま受け入れ、それを認めて肯定したとき、その人には青い鳥が見えはじめるのかもしれない。青い鳥を追い続けると言う風に、動きがあって問いがあるような動的な時間を、動的なままに理解しないといけないのかも。青い鳥という風に静的にとらえた時間で、すでに時間が消えてしまうし、そうなると青く見えなくなるのかもしれない。
これ、よく考えたら絵画的(写真的)な捉え方と、音楽的な捉え方の対比と同じだー。

青い鳥を、絵画的(写真的)な形で時間軸を失って切り取ってしまうと(青い鳥はここにいる。だから自分は幸せだ。)、その時点で青い鳥は消えてしまう。
青い鳥を、音楽的な形で時間軸と共に見ることで(青い鳥を追い続ける)、青い鳥は常に青い鳥として僕らの少し前を常に飛んでいる。

うーむ、なかなか深いなー。

この本で出ている「死生観」も、なかなか含蓄深いですよ。きっと、今読み直すと全く違う印象を受けるのは間違いないと思います。
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