キャンベル『神話の力』早川書房(1992/07)を読んだ。最近文庫化もされたよう。
むかし、神話はあまりにも漠然としていてよくわからなかったけど、最近はすごくよくわかるようになった。
村上春樹さんの作品も神話に近い。すべてはメタファーで表現され、表面的な意識だけではなくて、その言葉そのものが持つ何重にも含んだ意味や残響のようなもの。そういうものを夢を見るときのイメージのように読み解かないといけない。
覚醒した状態で見る夢が、神話だと思う。
神話は「神の話」と書く。
ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟を読んでから、人間にとっての神や神性というものを考えている。
「神がかり」と称される人間を見ることもあって、昔からそういう状態の人間に興味があった。聖者や賢者のような存在になる人もいれば、狂気に落ち込み虐げられる人もいる。すごい振幅がある。
ドストエフスキーも同じことに関心があったようだ。そのことで彼に深い共感を感じるようになった。
事実は小説より、奇なり。
普段の仕事でも、とても奇妙で、かつ愛すべき人たちと出会うことが多い。
だから、人間は面白い。
(他にもキャンベルの本、持ってます。)
(キャンベルが神話について語っている動画も、偶然ここに見つけました。)
解説をつける必要もない簡潔で分かりやすい文章なので、メモ書きしたものを。
■智慧
------------------------------------
P18
カナダ北部北部のカリブー・エスキモーのシャーマンはヨーロッパからの訪問者にこう言ったものだ。
『唯一の正しい知恵は人類から遠く離れたところ、はるか遠くの大いなる孤独の中に住んでおり、人は苦しみを通じてのみそこに到達する事ができる。
貧困と苦しみだけが、他者には隠されているすべてのものを開いて、人の心に見せてくれるのだ。』
------------------------------------
P22
古代ローマ人の言葉
『運命は、歩む意思ある者を先導し、意思なき者を力ずくで引き立てる。』
------------------------------------
P29
人間がほんとうに探求しているのは、たぶん生命の意味ではありません。
人間がほんとうに求めているのは、<いま生きているという経験>だと思います。
純粋に物理的な次元における生活体験が、自己の最も内面的な存在ないし実態に共鳴をもたらすことによって、生きている無上の喜びを実感する、それを求めているのです。
------------------------------------
P65
私は日本を訪れた時の経験を決して忘れないでしょう。
原罪による堕落も、エデンの園もまるで聞いたことのない国です。
神道の聖典のひとつに、自然の営みが悪しきものであるはずはない、と書いてあるのです。
あらゆる自然の衝動は矯正するのではなく、昇華すべきものである、美化すべきものである、と。
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P87
シオドー・レトケの詩
『暗い時に、目は見え始める』
------------------------------------
天国も地獄も私たちの内にありますし、あらゆる神々も私たちの内に生きています。
これは紀元前9世紀のインドの『ウパニシャッド(奥義書)』が達成した偉大な覚知です。
あらゆる神、あらゆる天国、あらゆる世界はわれわれの内面にある。それらは拡大された夢であり、夢は葛藤している様々な肉体エネルギーがイメージの形で表れたものだ。それが神話の正体です。
神話というのは、肉体器官の互いに衝突し合っているエネルギーが象徴的イメージ、隠喩的イメージの形で顕現したものです。
------------------------------------
ポリネシアの言いならわし
『雑魚をあさりながら、実は鯨の背の上に乗っている。』
------------------------------------
■神話
「古代神話は精神と肉体とを調和させるために作られたものです。
精神は奇妙なひとり歩きを始めて、肉体が欲しないものを求めたがる。
神話や儀式は精神を肉体に適合させ、生活方法を自然が定めた道に引き戻す手段です。」
------------------------------------
P23
キャンベルは彼の仕事の指導理念について
「世界の神話に共通した要素を発見し、人間心理の奥底には絶えず中心に近付きたい、つまり深い原理に近付きたいという要求がるあることを指摘する事だ」と言っていた。
「人生の意味の探求が必要だということですね」と私は尋ねた。
「そうじゃない。生きているという経験を求めることだ。」
------------------------------------
彼にとって神話は「宇宙の歌」であり、「天球の音楽」であった
‐曲名は知らずとも、我々がそれにあわせて踊る音楽。
------------------------------------
P27
「神話はわれわれの精神的潜在力を開くかぎである、それは喜びに、光明に、いや光悦にさえ人を導いてくれる」
------------------------------------
P31
自分の人生を現実と調和させるために、物語を作ったり、語ったりする。
------------------------------------
P50
神話は世界の夢です。元型的な夢で、人間の大きな諸問題を扱っています。
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P63
全地球的神話にいちばん近いのは仏教です。
これは、万物には仏性があるとみています。重要な唯一の問題は、それを認識する事です。
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P90
夢は私たちの生活を支えている、あの深くて暗い基礎についての個人的な経験であるのに対して、神話は社会の夢だからです。
神話は公衆の夢であり、夢は個人の神話です。
あなたの個人的な神話である夢が、たまたま社会の神話と合致しているとしたら、あなたは社会集団とよく調和しているのです。
もしそうでないなら、あなたは行く手にある暗い森の中で冒険をしなくてはなりません。
------------------------------------
P93
神話が負っている社会的な主要な課題のひとつは、あらゆる生の冷酷な前提条件と知性とに折り合いをつけることです。
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■神
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P25
神のイメージは多様だ、それらは<栄光の顔>を覆うこともあれば見せることもある<永遠の仮面>だ。
神話も神の仮面、つまり、目に見える世界のかげにあるもののメタファーである。
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P26
「人間を矮小化したり、神聖なるものから切り離した元凶は科学ではない。
それどころか、新しい科学発見の数々は、この宇宙全体の中に我々自身の最も内面的な性格の範囲を拡大して見せてくれるという意味で、我々を再び古代人に結び付けてくれる。
現代人もまた、宇宙の耳、宇宙の目、その思考、その発言にほかならない。
神学的な用語を用いるならば、現代人もまた神の耳、神の目、神の言葉なのである。」
------------------------------------
P64
神とは、人間の生命の営みの中でも、また宇宙内でも機能している動因としての力、なしいし価値体系の擬人化です。
あなた自身の肉体のさまざまな力と、自然の様々な力との擬人化です。
神話は人間の内に潜んでいる精神的な可能性の隠喩(metaphor)です。
------------------------------------
P169
多くの哲学者が頻繁に使ってきた神の定義があります。
神は知覚できる球体‐五感ではなく、知性だけが知りうる球体‐で、中心は至る所にあるけれども、外周はどこにもない。
そして、中心はまさにあなたが座っているそこにあるんです。もう一つの中心は私が座っているところにある。
もし、中心はあなたと向きっている他人の中にもあるということを自覚しないと、いま言ったことは粗野な個人主義に堕してしまうおそれがあります。
その自覚を持ってこそ、神話的な意味での個人になれる。
あなたは世界の中心にある山だ。そして、中止の山は至るところにある。
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■生命
------------------------------------
P34
宇宙の意味とはなんでしょう。ノミ一匹の意味とはなんでしょう。
それはただそこにある、あるいはいる。それだけです。
そしてあなた自身の意味とは、あなたがそこにいるということです。
私たちは外にある目的を達成するためにあれこれやることに慣れすぎているものだから、内面的な価値を忘れているのです。
<いま生きている>という実感と結びついた無情の喜びを忘れている。それこそ人生で最も大切なものなのに。
------------------------------------
P82
あらゆる物事は、われわれすべてを結び付けている血と同じように、つながりあっている。
人間は生命を自分で織ったわけではない。人間はそのなかでただ一本のより糸であるに過ぎない。
------------------------------------
P101
生命の神秘はあらゆる人間の観念を越えています。
------------------------------------
■結婚
------------------------------------
結婚とはなんでしょう。神話はそれを教えてくれます。
それは分離されていた二者の再統一です。
もともとあなたがたは一体だった、いまこの現世で人は二つに分かれているけれども、精神的にはやはり一体だと認識する事が結婚の本質でしょう。
それは情事とは違う。そんなものとはなんの関係もありません。結婚はまるで別の神話的次元に属する経験です。
あらゆる情事は絶望に終わるほかないからです。それに対して、結婚は精神的一体性の認識です。
------------------------------------
P37
結婚とはひとつの関係です。
結婚において犠牲を払うとすれば、自分を犠牲にするのではなく、関係の一体性において犠牲を払うのです。
中国の道(タオ)には暗闇と光とが相互に働きかけているイメージがありますね。あれが陽と陰との関係、男と女の関係です。
結婚も同じです。あなたはもはやひとりの人間ではない。あなたの真の存在は相互関係の中にある。結婚は単なる肉体関係ではない。それはひとつの試練です。
そしてその試練とは、二者が一体になるという関係において、エゴを犠牲にすることを意味しています。
自分と言うのは、自分ひとりという意味ではなく、もはや一体になっている自分たち二人を指しているわけです。
それこそ、超越的な善のために目に見える実体を犠牲にしていることを象徴する、純粋に神話的なイメージです。
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P38
結婚は第一義的には精神的な営みです。そして社会は、私たちがそのことを自覚するよう働きかける責任を負っています。
人間が社会に奉仕するのではなく、社会が人間に奉仕すべきです。
人間が社会に奉仕すると、怪物的な巨大国家が生まれてしまう。
いま、現時点で全世界を脅かしているのは、まさにそれです。
------------------------------------
■時間
「永遠とは今後の時間ではない。永遠とは長い時間でさえない。
永遠は、時間とは無関係です。
永遠は時間領域内のあらゆる思考が切り離している(いまここ)の次元です。
ここで永遠をとらえない限り、他のどんなところでもそれはとらえられません。
天国には問題があります。あなたは天国で非常に楽しい時間を過ごすので、そこでは永遠のことなど考えもしないでしょう。そこでは、神の美しいヴィジョンに果てしない喜びを感じるだけ。
しかし、まさしくいまここで、善と思われるものであれ悪と見なされているものであれ、とにかく万物すべてにおいて永遠を経験すること、それが生命の機能なのです」
------------------------------------
P43
時間の中で生起するあらゆる変化の底にある永遠の核というものを常に意識しないではいられませんでした。
罪とは、要するにそういう調和の状態(Harmony)から離れてしまうことを言うのでしょう。
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P45
アーサー王伝説のテーマは時空超越しており、その影が文化に反映している。
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私とあなた、これとあれ、真実と虚偽・・・あらゆるものにその反対物がある。
しかし神話は、二元的世界のかなたに一元的な世界があり、二元性はその上で演じているshadow gameに過ぎないということを暗示しています。
詩人ブレイクは『Eternity is in love with the production of time. (永遠は時間が生んだものを愛している)』と言っています。
------------------------------------
時間内生活の源泉が永遠だということです。
永遠は世界にそれ自身を注ぎだします。それは私たちのなかで多者となる神についての基本的な神話理念です。
インドでは、私の内にある神を、肉体に「宿る者」と呼んでいます。
自分自身の内面にあるこの神聖不滅な面と一体になれば、私は神性と一体になれるのです。
------------------------------------
P134
永遠は、時間とは無関係です。永遠は、時間領域内のあらゆる思考が切り離している<いまここ>の次元です。
------------------------------------
万物すべてにおいて永遠を経験すること、それが生命の機能なのです。
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■意識
------------------------------------
P50
頭脳が意識を生む器官であるかのように考えるのはデカルト的思考の一部ですが、それは事実に反します。
頭脳は意識をある方向に向ける、あるいは一定の目的に向ける器官です。
ところが、意識はこの肉体の中にある。生きている世界の全体が意識から情報を得ているのです。
私はなぜか、意識とエネルギーとは同じものだと感じています。
ほんとうに生命エネルギーの見えるところには意識がある。
植物の世界には確実に意識があります。私が子供のころそうであったように、森の中に住む人ならば、それぞれ違ったいろいろな意識が相互に関連している事を見抜くはずです。樹木の意識もあれば動物の意識もある。そして私たちはそれらを共有している。
------------------------------------
P50
あなたにとって究極的なことは、自分の現在の意識はより高い意識の低いレベルにすぎないと認めることです。
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P96
ヘビは時間の場で働いている不滅のエネルギーと意識とを代表するものであり、絶えず死を投げ捨てては生まれ変わっているのです。
ヘビには生命の魅力と脅威ととの両方の意味がこもっているのです。
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P100
対立項の世界を超越したなにかと自己とが一体であることを自覚できるような、そんな意識の次元があるということです。
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ブッダとは、<目覚めた者>という意味です。私たちはすべてそうしなければならない。
自己の内なるキリスト意識(神性)、ブッダ意識(仏性)に目覚めなければいけません。
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P116
自己存在には、自分についての観念に含まれない次元がある、自己実現の可能性がある、意識の可能性があるんです。
あなたの生(Life)は、いま自分で見ているものよりも、はるかに深く、はるかに広い。
いまあなたが生きているその生は、げんにあなたの内にあるもの、あなたに生命を、呼吸を、深さを与えているもののうち、ほんのわずかな影くらいに過ぎません。
それでも、あなたはその深みのおかげで生きられるのです。
そして、もしあなたがその深みを経験できるならば、あらゆる宗教はそのことについて語っているという事実に突然目覚めるはずです。
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■自我
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P103
神性についての、「私」と名乗った自我(the Self)についての素晴らしい物語があります。
自我は、「私は」と言ったとたんに不安になってしまったというのです。
なぜなら、いまや時間の中で一つの実体になったからです。
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P107
インドには美しい挨拶の形があります。両手の手のひらをあわせて相手に頭を下げるのです。
それは、自分の中にいる神が相手の中にいる神を認めている、という意味のあいさつです。あの人々は万有の中の聖なる存在を意識しています。
あなたがインドの家庭を訪問すると、あなたは神性を持った客として迎え入れられます。
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P152
インディアンは命あるあらゆるものを「あなた」と呼んでいました。木々も、石も、あらゆるものを。どんなものでも「あなた」と呼ぶことができる。
そして、そう呼んだ時、自分の心に変化が生じているのを感じることができる。
「あなた」を見るエゴと、「それ」を見るエゴとは決して同じではないんです。
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■宗教
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P112
宗教とは、実は第二の子宮のようなものです。人間と言う極めて複雑な物を成熟させるためにそれはあるのです。
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p113
あらゆる宗教はなんらかの意味で真実です。隠喩(metaphor)として理解した場合には真実なのです。
ところが、それ自体の隠喩にこだわりすぎて、隠喩を事実と解釈してしまうと動きが取れなくなってしまいます。
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■魂
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P115
シェイクスピアは、芸術とは自然に向けて捧げられた鏡だと言いましたが、神話もまさにそうです。
ここで言う自然(Nature)とは、あなたの本性(nature)であり、神話のあの素晴らしい詩的イメージは、あなたの内の何ものかを映しているのです。
内面的な世界と言うのは、外面的な世界と結びついたあなたの要求、あなたのエネルギー、あなたの構造、あなたの可能性などの世界です。
そして、外界はあなたの肉体の顕現の場です。そこにあなたは存在しています。あなたはその世界を二つとも働かせなければなりません。
ノヴァーリスが言った通り、『魂の座は内面世界と外面世界が合致したところにある』のです。
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P136
詩人ワーズワース
『われらの誕生は眠りと忘却に過ぎない
われらの内に生まれる魂、われらの命の星は
存在の基盤を別に持ち
はるか遠くからやってくる』
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■
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P120
シンボルは体験を説明するのではなく、それを暗示するのです。
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P121
通常、人々は物事を日常的な現実の目で見ますが、どんなものでも、神秘をたたえたものとして考えることができるのです。
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P131
物事の肯定は困難です。私たちはいつも条件付きで肯定します。
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イエスも言っています。『裁いてはならない。裁けば、あなたが裁かれるからだ。』
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P140
あらゆる神話の基本的なテーマは、見える次元を支えている見えざる次元が存在していることだと、私は言いたいですね。
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P162
シャーマンは、男であれ女であれ、少年期の終わりか青年期の初めに圧倒的な真理体験をしており、そのおかげで完全に内面に向いている人です。
一種の精神分裂的な衝撃です。無意識のすべてがパックリと口を開き、シャーマンはそこに落ち込む。
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P166
ブラック・エルクがスー族の少年だった時、その少年は心の病気になります。
シャーマンは神々から少年を救いだす代わりに、彼を神々に、また神々を彼自身に適応させるのです。
それは精神分析の問題と違います。
たしかニーチェだったと思いますが『悪魔を放り出そうとして、自分の中の最善のものを放り出さないよう注意せよ』と言っています。
ここで、対決の相手であった神々(Powerと呼んでおきましょう)との和解が図られる。関係が破られるのではなく、維持される。
そして、こういう人々は自分の同族に対する精神的な助言者、精神的贈与者になるのです。
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P210
中世の神話で重大な瞬間は、思いやりの心に目覚めた瞬間です。
Passion(受難)を、compassion(共に苦しむこと)へと変容させた瞬間です。
聖杯伝説が扱っているのはすべてそのこと、傷ついた王への思いやりの心です。
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P224
マタイによる福音書
『滅びに通じる門は広いが、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見出すものは少ない。』
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P362
ウパニシャッド
『日没の、あるいは山の美しさの前で立ち止まり、「ああ」と嘆声を発する人は、神性の中に入れる。』
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ニーチェにアモール・ファティ〔運命愛〕という重要な観念があります。
自分の運命を愛したまえ、それが自分の人生なんだ、ということですね。
私の友達は、「すべて神様がなさったことだ」と思っていました。
「そうじゃない、きみが自分でしたんだ。神さまはきみのなかにいる。きみ自身がきみの創造主なのだ。」と私は言いました。
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示唆に富んだ言葉、コトバ・・・。
魂や神や永遠についての話は、メタファー(隠喩)やイメージ、シンボルでしか表現しがたいものなのだろう。
素晴らしい本でした。
むかし、神話はあまりにも漠然としていてよくわからなかったけど、最近はすごくよくわかるようになった。
村上春樹さんの作品も神話に近い。すべてはメタファーで表現され、表面的な意識だけではなくて、その言葉そのものが持つ何重にも含んだ意味や残響のようなもの。そういうものを夢を見るときのイメージのように読み解かないといけない。
覚醒した状態で見る夢が、神話だと思う。
神話は「神の話」と書く。
ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟を読んでから、人間にとっての神や神性というものを考えている。
「神がかり」と称される人間を見ることもあって、昔からそういう状態の人間に興味があった。聖者や賢者のような存在になる人もいれば、狂気に落ち込み虐げられる人もいる。すごい振幅がある。
ドストエフスキーも同じことに関心があったようだ。そのことで彼に深い共感を感じるようになった。
事実は小説より、奇なり。
普段の仕事でも、とても奇妙で、かつ愛すべき人たちと出会うことが多い。
だから、人間は面白い。
(他にもキャンベルの本、持ってます。)
(キャンベルが神話について語っている動画も、偶然ここに見つけました。)
解説をつける必要もない簡潔で分かりやすい文章なので、メモ書きしたものを。
■智慧
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P18
カナダ北部北部のカリブー・エスキモーのシャーマンはヨーロッパからの訪問者にこう言ったものだ。
『唯一の正しい知恵は人類から遠く離れたところ、はるか遠くの大いなる孤独の中に住んでおり、人は苦しみを通じてのみそこに到達する事ができる。
貧困と苦しみだけが、他者には隠されているすべてのものを開いて、人の心に見せてくれるのだ。』
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P22
古代ローマ人の言葉
『運命は、歩む意思ある者を先導し、意思なき者を力ずくで引き立てる。』
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P29
人間がほんとうに探求しているのは、たぶん生命の意味ではありません。
人間がほんとうに求めているのは、<いま生きているという経験>だと思います。
純粋に物理的な次元における生活体験が、自己の最も内面的な存在ないし実態に共鳴をもたらすことによって、生きている無上の喜びを実感する、それを求めているのです。
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P65
私は日本を訪れた時の経験を決して忘れないでしょう。
原罪による堕落も、エデンの園もまるで聞いたことのない国です。
神道の聖典のひとつに、自然の営みが悪しきものであるはずはない、と書いてあるのです。
あらゆる自然の衝動は矯正するのではなく、昇華すべきものである、美化すべきものである、と。
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P87
シオドー・レトケの詩
『暗い時に、目は見え始める』
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天国も地獄も私たちの内にありますし、あらゆる神々も私たちの内に生きています。
これは紀元前9世紀のインドの『ウパニシャッド(奥義書)』が達成した偉大な覚知です。
あらゆる神、あらゆる天国、あらゆる世界はわれわれの内面にある。それらは拡大された夢であり、夢は葛藤している様々な肉体エネルギーがイメージの形で表れたものだ。それが神話の正体です。
神話というのは、肉体器官の互いに衝突し合っているエネルギーが象徴的イメージ、隠喩的イメージの形で顕現したものです。
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ポリネシアの言いならわし
『雑魚をあさりながら、実は鯨の背の上に乗っている。』
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■神話
「古代神話は精神と肉体とを調和させるために作られたものです。
精神は奇妙なひとり歩きを始めて、肉体が欲しないものを求めたがる。
神話や儀式は精神を肉体に適合させ、生活方法を自然が定めた道に引き戻す手段です。」
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P23
キャンベルは彼の仕事の指導理念について
「世界の神話に共通した要素を発見し、人間心理の奥底には絶えず中心に近付きたい、つまり深い原理に近付きたいという要求がるあることを指摘する事だ」と言っていた。
「人生の意味の探求が必要だということですね」と私は尋ねた。
「そうじゃない。生きているという経験を求めることだ。」
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彼にとって神話は「宇宙の歌」であり、「天球の音楽」であった
‐曲名は知らずとも、我々がそれにあわせて踊る音楽。
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P27
「神話はわれわれの精神的潜在力を開くかぎである、それは喜びに、光明に、いや光悦にさえ人を導いてくれる」
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P31
自分の人生を現実と調和させるために、物語を作ったり、語ったりする。
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P50
神話は世界の夢です。元型的な夢で、人間の大きな諸問題を扱っています。
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P63
全地球的神話にいちばん近いのは仏教です。
これは、万物には仏性があるとみています。重要な唯一の問題は、それを認識する事です。
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P90
夢は私たちの生活を支えている、あの深くて暗い基礎についての個人的な経験であるのに対して、神話は社会の夢だからです。
神話は公衆の夢であり、夢は個人の神話です。
あなたの個人的な神話である夢が、たまたま社会の神話と合致しているとしたら、あなたは社会集団とよく調和しているのです。
もしそうでないなら、あなたは行く手にある暗い森の中で冒険をしなくてはなりません。
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P93
神話が負っている社会的な主要な課題のひとつは、あらゆる生の冷酷な前提条件と知性とに折り合いをつけることです。
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■神
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P25
神のイメージは多様だ、それらは<栄光の顔>を覆うこともあれば見せることもある<永遠の仮面>だ。
神話も神の仮面、つまり、目に見える世界のかげにあるもののメタファーである。
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P26
「人間を矮小化したり、神聖なるものから切り離した元凶は科学ではない。
それどころか、新しい科学発見の数々は、この宇宙全体の中に我々自身の最も内面的な性格の範囲を拡大して見せてくれるという意味で、我々を再び古代人に結び付けてくれる。
現代人もまた、宇宙の耳、宇宙の目、その思考、その発言にほかならない。
神学的な用語を用いるならば、現代人もまた神の耳、神の目、神の言葉なのである。」
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P64
神とは、人間の生命の営みの中でも、また宇宙内でも機能している動因としての力、なしいし価値体系の擬人化です。
あなた自身の肉体のさまざまな力と、自然の様々な力との擬人化です。
神話は人間の内に潜んでいる精神的な可能性の隠喩(metaphor)です。
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P169
多くの哲学者が頻繁に使ってきた神の定義があります。
神は知覚できる球体‐五感ではなく、知性だけが知りうる球体‐で、中心は至る所にあるけれども、外周はどこにもない。
そして、中心はまさにあなたが座っているそこにあるんです。もう一つの中心は私が座っているところにある。
もし、中心はあなたと向きっている他人の中にもあるということを自覚しないと、いま言ったことは粗野な個人主義に堕してしまうおそれがあります。
その自覚を持ってこそ、神話的な意味での個人になれる。
あなたは世界の中心にある山だ。そして、中止の山は至るところにある。
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■生命
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P34
宇宙の意味とはなんでしょう。ノミ一匹の意味とはなんでしょう。
それはただそこにある、あるいはいる。それだけです。
そしてあなた自身の意味とは、あなたがそこにいるということです。
私たちは外にある目的を達成するためにあれこれやることに慣れすぎているものだから、内面的な価値を忘れているのです。
<いま生きている>という実感と結びついた無情の喜びを忘れている。それこそ人生で最も大切なものなのに。
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P82
あらゆる物事は、われわれすべてを結び付けている血と同じように、つながりあっている。
人間は生命を自分で織ったわけではない。人間はそのなかでただ一本のより糸であるに過ぎない。
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P101
生命の神秘はあらゆる人間の観念を越えています。
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■結婚
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結婚とはなんでしょう。神話はそれを教えてくれます。
それは分離されていた二者の再統一です。
もともとあなたがたは一体だった、いまこの現世で人は二つに分かれているけれども、精神的にはやはり一体だと認識する事が結婚の本質でしょう。
それは情事とは違う。そんなものとはなんの関係もありません。結婚はまるで別の神話的次元に属する経験です。
あらゆる情事は絶望に終わるほかないからです。それに対して、結婚は精神的一体性の認識です。
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P37
結婚とはひとつの関係です。
結婚において犠牲を払うとすれば、自分を犠牲にするのではなく、関係の一体性において犠牲を払うのです。
中国の道(タオ)には暗闇と光とが相互に働きかけているイメージがありますね。あれが陽と陰との関係、男と女の関係です。
結婚も同じです。あなたはもはやひとりの人間ではない。あなたの真の存在は相互関係の中にある。結婚は単なる肉体関係ではない。それはひとつの試練です。
そしてその試練とは、二者が一体になるという関係において、エゴを犠牲にすることを意味しています。
自分と言うのは、自分ひとりという意味ではなく、もはや一体になっている自分たち二人を指しているわけです。
それこそ、超越的な善のために目に見える実体を犠牲にしていることを象徴する、純粋に神話的なイメージです。
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P38
結婚は第一義的には精神的な営みです。そして社会は、私たちがそのことを自覚するよう働きかける責任を負っています。
人間が社会に奉仕するのではなく、社会が人間に奉仕すべきです。
人間が社会に奉仕すると、怪物的な巨大国家が生まれてしまう。
いま、現時点で全世界を脅かしているのは、まさにそれです。
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■時間
「永遠とは今後の時間ではない。永遠とは長い時間でさえない。
永遠は、時間とは無関係です。
永遠は時間領域内のあらゆる思考が切り離している(いまここ)の次元です。
ここで永遠をとらえない限り、他のどんなところでもそれはとらえられません。
天国には問題があります。あなたは天国で非常に楽しい時間を過ごすので、そこでは永遠のことなど考えもしないでしょう。そこでは、神の美しいヴィジョンに果てしない喜びを感じるだけ。
しかし、まさしくいまここで、善と思われるものであれ悪と見なされているものであれ、とにかく万物すべてにおいて永遠を経験すること、それが生命の機能なのです」
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P43
時間の中で生起するあらゆる変化の底にある永遠の核というものを常に意識しないではいられませんでした。
罪とは、要するにそういう調和の状態(Harmony)から離れてしまうことを言うのでしょう。
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P45
アーサー王伝説のテーマは時空超越しており、その影が文化に反映している。
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私とあなた、これとあれ、真実と虚偽・・・あらゆるものにその反対物がある。
しかし神話は、二元的世界のかなたに一元的な世界があり、二元性はその上で演じているshadow gameに過ぎないということを暗示しています。
詩人ブレイクは『Eternity is in love with the production of time. (永遠は時間が生んだものを愛している)』と言っています。
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時間内生活の源泉が永遠だということです。
永遠は世界にそれ自身を注ぎだします。それは私たちのなかで多者となる神についての基本的な神話理念です。
インドでは、私の内にある神を、肉体に「宿る者」と呼んでいます。
自分自身の内面にあるこの神聖不滅な面と一体になれば、私は神性と一体になれるのです。
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P134
永遠は、時間とは無関係です。永遠は、時間領域内のあらゆる思考が切り離している<いまここ>の次元です。
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万物すべてにおいて永遠を経験すること、それが生命の機能なのです。
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■意識
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P50
頭脳が意識を生む器官であるかのように考えるのはデカルト的思考の一部ですが、それは事実に反します。
頭脳は意識をある方向に向ける、あるいは一定の目的に向ける器官です。
ところが、意識はこの肉体の中にある。生きている世界の全体が意識から情報を得ているのです。
私はなぜか、意識とエネルギーとは同じものだと感じています。
ほんとうに生命エネルギーの見えるところには意識がある。
植物の世界には確実に意識があります。私が子供のころそうであったように、森の中に住む人ならば、それぞれ違ったいろいろな意識が相互に関連している事を見抜くはずです。樹木の意識もあれば動物の意識もある。そして私たちはそれらを共有している。
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P50
あなたにとって究極的なことは、自分の現在の意識はより高い意識の低いレベルにすぎないと認めることです。
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P96
ヘビは時間の場で働いている不滅のエネルギーと意識とを代表するものであり、絶えず死を投げ捨てては生まれ変わっているのです。
ヘビには生命の魅力と脅威ととの両方の意味がこもっているのです。
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P100
対立項の世界を超越したなにかと自己とが一体であることを自覚できるような、そんな意識の次元があるということです。
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ブッダとは、<目覚めた者>という意味です。私たちはすべてそうしなければならない。
自己の内なるキリスト意識(神性)、ブッダ意識(仏性)に目覚めなければいけません。
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P116
自己存在には、自分についての観念に含まれない次元がある、自己実現の可能性がある、意識の可能性があるんです。
あなたの生(Life)は、いま自分で見ているものよりも、はるかに深く、はるかに広い。
いまあなたが生きているその生は、げんにあなたの内にあるもの、あなたに生命を、呼吸を、深さを与えているもののうち、ほんのわずかな影くらいに過ぎません。
それでも、あなたはその深みのおかげで生きられるのです。
そして、もしあなたがその深みを経験できるならば、あらゆる宗教はそのことについて語っているという事実に突然目覚めるはずです。
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■自我
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P103
神性についての、「私」と名乗った自我(the Self)についての素晴らしい物語があります。
自我は、「私は」と言ったとたんに不安になってしまったというのです。
なぜなら、いまや時間の中で一つの実体になったからです。
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P107
インドには美しい挨拶の形があります。両手の手のひらをあわせて相手に頭を下げるのです。
それは、自分の中にいる神が相手の中にいる神を認めている、という意味のあいさつです。あの人々は万有の中の聖なる存在を意識しています。
あなたがインドの家庭を訪問すると、あなたは神性を持った客として迎え入れられます。
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P152
インディアンは命あるあらゆるものを「あなた」と呼んでいました。木々も、石も、あらゆるものを。どんなものでも「あなた」と呼ぶことができる。
そして、そう呼んだ時、自分の心に変化が生じているのを感じることができる。
「あなた」を見るエゴと、「それ」を見るエゴとは決して同じではないんです。
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■宗教
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P112
宗教とは、実は第二の子宮のようなものです。人間と言う極めて複雑な物を成熟させるためにそれはあるのです。
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p113
あらゆる宗教はなんらかの意味で真実です。隠喩(metaphor)として理解した場合には真実なのです。
ところが、それ自体の隠喩にこだわりすぎて、隠喩を事実と解釈してしまうと動きが取れなくなってしまいます。
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■魂
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P115
シェイクスピアは、芸術とは自然に向けて捧げられた鏡だと言いましたが、神話もまさにそうです。
ここで言う自然(Nature)とは、あなたの本性(nature)であり、神話のあの素晴らしい詩的イメージは、あなたの内の何ものかを映しているのです。
内面的な世界と言うのは、外面的な世界と結びついたあなたの要求、あなたのエネルギー、あなたの構造、あなたの可能性などの世界です。
そして、外界はあなたの肉体の顕現の場です。そこにあなたは存在しています。あなたはその世界を二つとも働かせなければなりません。
ノヴァーリスが言った通り、『魂の座は内面世界と外面世界が合致したところにある』のです。
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P136
詩人ワーズワース
『われらの誕生は眠りと忘却に過ぎない
われらの内に生まれる魂、われらの命の星は
存在の基盤を別に持ち
はるか遠くからやってくる』
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■
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P120
シンボルは体験を説明するのではなく、それを暗示するのです。
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P121
通常、人々は物事を日常的な現実の目で見ますが、どんなものでも、神秘をたたえたものとして考えることができるのです。
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P131
物事の肯定は困難です。私たちはいつも条件付きで肯定します。
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イエスも言っています。『裁いてはならない。裁けば、あなたが裁かれるからだ。』
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P140
あらゆる神話の基本的なテーマは、見える次元を支えている見えざる次元が存在していることだと、私は言いたいですね。
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P162
シャーマンは、男であれ女であれ、少年期の終わりか青年期の初めに圧倒的な真理体験をしており、そのおかげで完全に内面に向いている人です。
一種の精神分裂的な衝撃です。無意識のすべてがパックリと口を開き、シャーマンはそこに落ち込む。
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P166
ブラック・エルクがスー族の少年だった時、その少年は心の病気になります。
シャーマンは神々から少年を救いだす代わりに、彼を神々に、また神々を彼自身に適応させるのです。
それは精神分析の問題と違います。
たしかニーチェだったと思いますが『悪魔を放り出そうとして、自分の中の最善のものを放り出さないよう注意せよ』と言っています。
ここで、対決の相手であった神々(Powerと呼んでおきましょう)との和解が図られる。関係が破られるのではなく、維持される。
そして、こういう人々は自分の同族に対する精神的な助言者、精神的贈与者になるのです。
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P210
中世の神話で重大な瞬間は、思いやりの心に目覚めた瞬間です。
Passion(受難)を、compassion(共に苦しむこと)へと変容させた瞬間です。
聖杯伝説が扱っているのはすべてそのこと、傷ついた王への思いやりの心です。
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P224
マタイによる福音書
『滅びに通じる門は広いが、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見出すものは少ない。』
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P362
ウパニシャッド
『日没の、あるいは山の美しさの前で立ち止まり、「ああ」と嘆声を発する人は、神性の中に入れる。』
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ニーチェにアモール・ファティ〔運命愛〕という重要な観念があります。
自分の運命を愛したまえ、それが自分の人生なんだ、ということですね。
私の友達は、「すべて神様がなさったことだ」と思っていました。
「そうじゃない、きみが自分でしたんだ。神さまはきみのなかにいる。きみ自身がきみの創造主なのだ。」と私は言いました。
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示唆に富んだ言葉、コトバ・・・。
魂や神や永遠についての話は、メタファー(隠喩)やイメージ、シンボルでしか表現しがたいものなのだろう。
素晴らしい本でした。
今日『神話の力』を検索中に初めてブログを拝見させていただきました。
『神話の力』‥仏教や古代ローマ等々、どの内容も凄く興味深くて是非読んでみたいと思いました!
インディアンは命あるあらゆるものを『あなた』と呼んでいました…とても優しくて素敵な言葉ですね。読みながら思わずニコッとしてしまいました‥。
これからもブログ楽しみにしてます!
ありがとうございました。
はじめまして。コメント有難うございます。
この本はとてもとてもとてもいい本ですよ!
ただ、気に言って他のキャンベルの本を読むと、それほどでもないものが多いので笑、この本が彼の本の最高傑作だと思いますね。すべてがこめられていると感じます。
いつか暇な時に見ようかと思っていて、結局そういう時期はなかなか到来しないわけですが、Youtubeに彼のInterviewがあるのですよ!
http://www.youtube.com/watch?v=QQF7o4nXrtA
(ジョージルーカスの家でインタビューしているらしいです。ジョージルーカスは「千の顔を持つ英雄」からInspiraionを受けているとのこと。)
hiroさんがおっしゃるように、
「インディアンは命あるあらゆるものを「あなた」と呼んでいました。木々も、石も、あらゆるものを。どんなものでも「あなた」と呼ぶことができる。
そして、そう呼んだ時、自分の心に変化が生じているのを感じることができる。
「あなた」を見るエゴと、「それ」を見るエゴとは決して同じではないんです。」
と言う部分はとても素晴らしいですよね!!
『自分の心に変化が生じているのを感じることができる。』と言う部分なんて、表現が素敵すぎます。
コメント有難うございました。
今後ともよろしくお願いします。
私は、本を読む事は唯一の趣味と言って良いほど大好きなのですが、表現をする事‥文章を書く事は凄く凄く苦手です。なので、ハッと気付かせてもらえたり、心にグッとくるような素敵な言葉で素敵な文章を書かれる方はもう本当に尊敬しています!!
『神話の力』注文しました!!入荷のお知らせが楽しみです♪♪
『カラマーゾフの兄弟』について書かれていらっしゃったので少し‥もうずっとずっと前から読んでみよう読んでみようと思いながら何故かいつもいつもちょっと躊躇してしまい結局未読のままでした。でも、うん!やっぱり読んでみたい!ヨシッ!今度こそ絶対読もう!と決めました。そこで、もしよろしければ、いなばさんオススメの翻訳家さんの『カラマーゾフの兄弟』を教えて頂けてたら嬉しいのですが‥宜しくお願いします。
長くなってすみません。ありがとうございました!
『神話の力』はすごくいいですよ。
キャンベルの言葉の選び方が絶妙です。中沢新一さんの元ネタはこの本の中にかなりあるんじゃないかと思いました。
『カラマーゾフの兄弟』、実は光文社古典新訳文庫(http://www.kotensinyaku.jp/)で出た、亀山郁夫さん訳しか読んだことないのです。
哲学者のヴィトゲンシュタインが何回も繰り返し読んだ・・とか、村上春樹さんがひとつの目標だ、とおっしゃられていたりして、期待して読みました。
たしかに、総合小説かと思いました。
つまり、必ずしも神聖で崇高なものだけを書いているわけでもなく、そこに下衆で下品なものもわざと織り交ぜながら、人間が持つ崇高さと下品さの極端な振幅を往復するような作品です。その中に、高度な神学的な話題も巧みに取り込まれているように感じました(キリスト教、三位一体、ニーチェ「神は死んだ」、その後の唯物論、東方正教会の特色、真のキリスト像・・・などなど。)。
ただ、昔からある原卓也さん翻訳なんかも、もちろんいいんだと思いますけどね。
亀山郁夫さん訳はかなり読みやすいですよ。字も大きいですし。
東京外語大で亀山郁夫さんのゼミ生だった方から聞きましたが、翻訳作業中はドストエフスキーが憑依したように、かなり雰囲気が変わってすごかった・・とのことでした。
光文社古典新訳文庫は、いろいろ面白そうなの出してて興味深いですし、『純粋理性批判7』(カント/中山元・訳)なんかも読んでみたいなぁとか思います。
とりあえず、「まんがで読破」シリーズの純粋理性批判は読んでみて、わかりやすくて面白かったです。「まんがで読破」シリーズのカラマーゾフの兄弟は、あらすじはよく分かりますが、やはり深みには欠けるなぁという印象でした。
今度、ドラマ化もされるようで。
ほんとうに大丈夫なのか、心配です・・・・。(^^;
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http://mainichi.jp/mantan/news/20121127dyo00m200040000c.html
市原隼人:ドストエフスキー最高傑作「カラマーゾフの兄弟」ドラマ化作品に主演
2012年11月28日
俳優の市原隼人さんが、フジテレビが4月に新設したドラマ枠「土ドラ」で13年1月スタートの連続ドラマ「カラマーゾフの兄弟」(フジテレビ系)に主演することが27日、明らかになった。19世紀のロシア文学を代表する作家、フョードル・ドストエフスキーの最高傑作として知られる同名長編小説を、日本を舞台に置き換えドラマ10+件化。主人公の3兄弟のうち、クールでニヒルな若手弁護士の次男・黒澤勲(くろさわ・いさお)を演じる市原さんは、「今までと一味違う人格を演じられる喜びをかみ締め、監督の演出に精いっぱい応えられるよう誠意を持ち、現場に立つことに精進いたします」と意気込みを語っている。市原さんが、同局の連ドラに主演するのは、「WATER BOYS(ウォーターボーイズ)2」以来約8年ぶり。
「カラマーゾフの兄弟10+件」は、06年に出版された新訳本(光文社刊)全5巻が純文学として異例の累計100万部を突破するなど、高い評価を受けている作品。原作と異なり、日本が舞台となる今回のドラマでは、“父殺し”の罪の容疑をかけられた3人の異母兄弟を中心に、不況、政治混迷、格差社会、教育問題、就職難、先の見えない若者たちといった現代が抱える影を描く。第1部では、事件の日に至るまでの兄弟一人一人の足跡をたどり、父への殺意の芽生えを幼少にまでさかのぼり浮かび上がらせる。第2部では、事件当日を描き、第3部では、取り調べから判決までの真相解明を描いていく心理ミステリーだ。
物語の中心となる黒澤家の3兄弟は、次男役の市原さんをはじめ、失業中でヒモのような生活をしているいいかげんで夢見がちな性格の長男・満役を斎藤工さん、医科大4年生の三男・涼役を林遣都さんが演じる。ドラマ「ストロベリーナイト」(フジテレビ系)などで知られる旺季志ずかさんが脚本を担当する。
同局編成部の佐藤未郷さんは市原さんについて、「今回は一見クールでニヒルな役どころとなりますが、その胸に潜むマグマのような熱を一つ一つの繊細な表情で表現していただけると確信しております。今までに見たことのない、新たな市原隼人さんをご期待いただきたいです」と期待感を持たせた。
ドラマ「カラマーゾフの兄弟」は、13年1月12日から毎週土曜午後11時10分放送予定。(毎日新聞デジタル)
お忙しいところ、とてもご親切にお返事を書いて下さって申し訳ございません‥本当にありがとうございます。凄く嬉しいです!!
とてもお恥ずかしいのですが、実は私‥カラマーゾフの兄弟どころかドストエフスキー作品をまだ一冊も読んだ事がありません。興味はずぅ~っと持っていながら、難しく敷居の高い本なのでは‥とのイメージが強くて読まずにきてしまいました。 しかし、亀山郁夫さんの翻訳がかなり読みやすいとおっしゃっていただいたので早く読みたくなってきました!!
『翻訳作業中にドストエフスキーが憑依したように…』そういうお話しをお聞きすると、また一段と興味深くて凄く楽しみになりますね!!
ドラマ化されるというのは初めて知りました。 日本で‥しかもドラマとはちょっと驚きですね‥
いなばさん、またいろいろ教えて頂いてありがとうございました!!
失礼します。
ちなみに、自分は夏目漱石を一度も読んだことがありません。いづれ時期が来たら読もうとおもって、古本屋で購入はしているんですが笑
人生は有限なので、やはり自分の人生の中での出会いというか、めぐりあわせというものが大事なのかな、と思いますね。村上春樹さんも、つい3年前くらいにはじめて読み、圧倒的にはまりこみ、ほぼすべての作品と翻訳作品を読み、好きな作品は3度ほど再読してますし。
こういうのは水と器の関係で、入れる水と器が対応してないと、器からこぼれたり漏れたりするようなものかもしれないと思います。
ぜひ、ドストエフスキーお楽しみください。ロシア文学は、なんだか日本人の感性に合いますよ。不思議なほどに。チェーホフなんかもそうですね。村上春樹さんの1Q84にも、たしかチェーホフのサハリン島が出てきたような・・。
いなばさん、ありがとうございます!!『…昔から読んだような顔をしているだけ』のところではクスッと笑って‥何だかホッとしました。
私も夏目漱石は20代の頃に『こころ』を読んで何だかその内容がその頃の私にはあまりに衝撃的で…その後一冊も読んでなくて‥でも『草枕』等、読んでみたい気持ちは今もすごくあるのでまた挑戦してみたいです! 村上春樹さんは『ノルウェイの森』と『海辺のカフカ』の二冊しかまだ読んでいなくて…いなばさん、村上春樹さんが大好きなのですね!凄く伝わってきます!私も『1Q84』等、読んでみたくなります。ドストエフスキー、カラマーゾフの兄弟と罪と罰を購入予定です。早く読みたいです!!
チェーホフもまだ未読なので続けて読んでいきたいと思います。いろいろな本と出会えて、巡りあえて幸せです‥。
続けてのコメントで、しかもいつも長々と本当にすみません‥。ありがとうございました。
村上春樹さんは、自分は『スプートニクの恋人』『ねじまき鳥クロニクル』『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』とかが好きですねぇ。是非お読みください。
他に、『「象の消滅」 短篇選集 1980-1991』、『めくらやなぎと眠る女』とかも、海外読者が選んだ短編集のベストの逆輸入盤で、すごくいいセレクションが多いです(これは文庫化されてませんが・・・)。
また感想などありましたら是非お教え下さい。
何より、自分の無知さ加減を思い知らされています‥聞いたことや見たことがありながら今までちゃんと知ろうともせず、日々過ごしてきた結果‥意味の解らない言葉の多さにガックリです‥だけど‥いなばさん、私、学校の教科書以来です!解らない箇所に線引いて辞書で調べた意味を書き写す作業するなんて!!‥今メチャメチャ楽しいです!!
また読み終わったらご報告させて下さいね!!
それではその日まで失礼します(^^)
*村上春樹さん作品たくさんご紹介して下さりありがとうございました!逆輸入本なんてもう興味津々です!是非読んでみたいです*
どのページもいいですよね。ほんとその通りです。インタビュアーがよく神話のことを理解しているので、やはり聞き手もいいなぁと思います。
メタファーに満ちた文章が多いので、文字を見ながら映像を思い浮かべながら読むとどんどん深い意味を何重にも感じながら読むことができますよね。
線引いて読むのはいいですよね。自分は赤青鉛筆を必ず持って、線をひきながら読む習慣があります。おかげで古本屋に売れませんが。笑
スピルバークや映画脚本の世界にも、このキャンベルの神話の説明が大いに役立っているとのこと。知らないうちに、いろんな恩恵を受けているんでしょうね。
この本は文庫化されるまで、古本ではなかなかの値段がついていたみたいですよ。文庫化で再販されてよかったです!
また何か感想あれば教えてください。