日常

村上春樹「TVピープル」(文春文庫)

2010-11-26 19:15:44 | 
■村上春樹「TVピープル」(文春文庫)

11/30に、村上春樹さんの「ねむり」(新潮社)が、書き換えの上で再販される。

原形となる短編「眠り」(漢字とひらがなで微妙に変えている)が、短編集「TVピープル」(文春文庫)に入っているので、それを読んでみた。

すべての村上作品は初見なので、毎度のことながら強い衝撃を受けた。

この短編集は、恐ろしく深い闇や森の中へ降りて書いているものだと感じた。
「闇」や「影」の底流音。

人に巣食う「闇」や「影」の世界は、ユング心理学:河合隼雄さんの「影の現象学」(講談社学術文庫)とも通じる話しだろう。
この本はすごい本なので、以前ブログにも感想を書いている。
(⇒『「影の現象学」河合隼雄』(2010-04-25)


人間の奥底に息をひそめて息づいている「深い闇」。
そして、そこで独立の生命を持って生きているなにものか。
そこに潜んでいる、姿や形すらない「イメージのかたまり」のようなものを、その自律性を損なわないように「向こう側」から「こちら側」へとそのまま持ってきて、一番近いと思われるコトバに変換した文章なのだと感じた。


春樹さんの作品は、長編はもちろん素晴らしいのだけど、その原型となる短編も恐ろしく質が高くて唖然とするのです。

『TVピープル』
『飛行機―あるいは彼はいかにして詩を読むようにひとりごとを言ったか』
『我らの時代のフォークロア―高度資本主義前史』
『加納クレタ』
『ゾンビ』
『眠り』
6つの短編がはいっている。


■『TVピープル』

テレビは、ヒトを洗脳し、支配する事がある。そんな中毒性や催眠性がある。
小人のようなTVピープルという存在を通して、そんな不気味な世界を描いていると思った。

自分が実感として感じている事と、マスコミの報道は食い違うことがある。
「あなたの実感や考えは違うよ。こういうものだよ。多くの人はこう考えて、こう感じているのだから、あなたの考えはきっとおかしいよ。」
テレビやメディアは、耳元で静かにささやき続ける。
そのことに、最初は違和感やズレを感じてるのだけれど、催眠術にかかるようにそんな違和感もいづれ忘れてしまう。

そして、自分の脳という小箱の中にある考えは、自分自身の考えなのか、誰かに吹き込まれた考えなのか、そのあたりは混乱してよくわからなくなる。もう考える事すらもやめてしまえば、洗脳は終了。



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会議の夢を見た。僕は立って発言している。
何を言っているのか自分でも理解できない。ただしゃべっているだけだ。
でも話しやめたら僕は死んでしまう。だから話しやめることはできない。
永遠に意味のわからないことを話しつづけるしかない。
まわりの人間はもうみんな死んでしまっている。死んで石になっている。
・・・・・・
僕はどんどん石になろうとしているのだ。
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■『飛行機―あるいは彼はいかにして詩を読むようにひとりごとを言ったか』

二人の男女。
その間に横たわる、何とも言えない距離感・違和感・ズレ。

それは、きっとお互いの「現在」ではなく、「過去」の残像のようなものを察知して、その「現在」と「過去」の断層のズレを感知しているのだろう。

ひとは、時間の中を生きている。
良くも悪くも現在には全て過去があり、その過去を見えない形で背負って生きている。

その人の現在の背後には、過去のその人が、そっと影法師のように寄り添っているのだろう。
そんなお話。


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「人の心というのは、深い井戸みたいなものじゃないかって思うの。
何が底にあるのかは誰にもわからない。
ときどきそこから浮かびあがってくるものの形から想像するしかないのよ」
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台所には何かの残像がじっと息をひそめていた。
彼女と一緒にいると、ときどき彼はそんな残像の存在を感じることがあった。
どこかで失われた何かの残像。
彼には覚えのない何かの残像。
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■『我らの時代のフォークロア―高度資本主義前史』

友人からの語りの形で物語は進む。

すべてを効率よく・要領よく立ちまわる事ができる人。
顔も美男美女で、何の悩みもなさそうに見える人。
(→『成功は彼という人間に、とてもしっくりとなじんでいた。』)


表面的な悩みや苦悩を欠いた人生は、知らないうちに深い場所で濃密な「影」がたまっていくのだろう。
そして、いづれその「影」を全部清算すべく、「影」からの復讐が起きるのだろう。

きっと、それは自分の「たましい」という縦軸と切れているのだろうと思う。
現世的な成功は、「たましい」を売りさえすれば、いくらでも得る事ができるものだと、周りを見て感じている。
(⇒『つなげる』(2010-11-18)


人間・男女、浅い場所ではいくらでも安易につながることができる。
インターネットも、合コンも、「誰かに仕組まれた出会い」はそういうものだろう。
その「軽い・ゆるいつながり」は、ある種の安心という光をもたらすと同時に、同じ程度の影を生んでいるような気がする。


浅い場所での安易な「つながる」感触があっても、深いところでは何ひとつつながっていないことがある。
まさに「たましい」のつながりが切れた関係性のようなものだ。


そんな関係性の苦悩を、何気ないエピソードの奥底から、濃密にこちら側に持ってきて表現する。
その表現の力には、ただただ圧倒されるばかりだ。


あと、この中に【精神的な双生児】という言葉が出てきて、個人的にこの言葉がずっと気になっている。
村上春樹さんの『ノルウェイの森』に出てくる、「僕」の親友の「キズキ」と、その彼女の「直子」も、【精神的な双生児】という形で結びついた存在。
だからこそ、「キズキ」の死は、「直子」の死も意味していて、その欠落は誰もが埋める事はできず、最終的に「直子」は自殺へと正確に突き進む。


「こころ」の欠落を、別の人の「なにか」で埋めあわせても、永遠に自分の中に定着しないのだろう。
自分の欠落は、自分の手で埋めていかなくてはいけないんだと思う。
それは必ず痛みを伴うけれど。どんなに痛みを伴おうとも。


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自分のまわりに巡らされた壁を突き破れなかったことが、かなしかったのだ。
ついさっきまで、その壁は彼を守るために存在しているように思えた。
でも今、それは彼のゆくてを阻んでいた。
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■『加納クレタ』

この「加納クレタ」のという存在が、『ねじまき鳥クロニクル』に出てくる加納クレタの原型だと思う。

人間にとって「性」や「暴力」というのは圧倒的な強さを持って襲い掛かる。

まるで、わけのわからない「向こう側」の異界からやってくるとしか思えない「性」や「暴力」の圧倒的な力。
そこに支配され、操られ、翻弄されることがある。


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私は私自身の体の中に下りていって、その壁にそっと耳をつけて、微かな水のしたたりを聴いた。
れろっぷ・れろっぷ・りろっぷ。

れろっぷ・れろっぷ・りろっぷ。
私の・名前は・加納クレタ。
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■『ゾンビ』

人が抱える「闇」の恐ろしさを、春樹さんなりのユーモアで書いているところが、かなり珍しいと思った。新鮮。

終わりかたも、恐ろしさと共にユーモアがある。
これがプロの筆の力なのだろう。すごい。

最後に、男の「闇」が突然あふれ出てくるところが、恐ろしくもあり、滑稽でもある。
自分の闇を放置すると、いつのまにかに闇は深くなり、それは心を許す誰かに対して溢れ出す。襲い掛かり、飲み込む。
それは大いなる矛盾でもある。



■『眠り』

最後の「眠り」。これは圧倒的にすごい短編だった。恐ろしかった。
17日間眠れなくなる女性の話。
まさに人が抱える「影」の話だと思う。
生きていく上で、抑圧して無意識の中に押し込めていた、その人の「影」からの復讐。

自分が見ないふりをして抑圧したり、ほかの人に投げかけた「影」。
そんな「影」に復讐されるように取り込まれてしまう世界を感じた。

生きることは「覚醒」していること。
果たして、「覚醒」し続けることは、生き続けることなのだろうか。


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覚醒がいつも私のそばにいる。私はその冷やかな影を感じ続ける。それは私自身の影だ。
奇妙だ、と私はまどろみの中で思う。
私は私自身の影の中にいるのだ。
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「死とは・・・・であるかもしれないのだ。・・・それはどんなものでもありうるのだ。」
という形で、春樹さんの「死生観のひとつのかたち」のようなものが提示される。(あえて引用しない。本を読んでのお楽しみです)

その死や闇の深淵にふと恐ろしくなるけど、おそらく、ここから読み手がどう立ち上がって生きていくか、そのことを反語的に僕らに問うているとも感じた。

突然襲い掛かる闇に引きずり込まれないために、ちゃんと闇を見つめること。
闇を見ないことが闇に飲み込まれることで、闇を見据えることが闇と共存すること。

ひかりとかげは、ふたつでひとつ。


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私は眠ろうとする肉体であり、それと同時に覚醒しようとする意識である。
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私の頭の中には、濃密な闇が詰まっている。それはもう私をどこにも連れて行かない。
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■短編集「TVピープル」(文春文庫)

「TVピープル」(文春文庫)は、短編の名作ばかり。

常識世界の浅い層ではなく、日常の奥底を静かに流れる世界を書いている。
浅い層の下には深い層が、その深い層の下にはさらに深い層が・・・果てしなく続いている。
それはまるで原子や素粒子の、ミクロの世界のようだ。
(⇒以前ブログに書いたこの話ともつながる。「深いところ」(2010-05-23)


僕らがほんの<1秒>で感じて無意識のうちに通り過ぎる感覚。
その世界を<1万倍>くらいに引き伸ばして、そこで精密に展開されるディテールを書いている文章だと感じた。 
こんな濃密な世界観が480円で買えると思うと、値段っていうのは不思議なものだと、改めて思う。
「480円」のひとつの有効な使い方として、強くおすすめします。


この本は「闇」や「影」の世界が頻発。
是非とも『「影の現象学」河合隼雄』(2010-04-25)を併せて読むことを強くお勧めします。
こちらも適切な時期に読むと、人生観を変えるほどの名著です。