日常

ディヴィッドリンチ「大きな魚をつかまえよう」

2014-05-03 21:40:50 | 
映画監督のディヴィッドリンチ「大きな魚をつかまえよう リンチ流アート・ライフ 瞑想レッスン」 四月社 (2012/04)を読みました。
色々と創作意欲をInspireされるいい本でした。

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<内容(「BOOK」データベースより)>
映画・美術・音楽―ジャンルを超えて強烈な作品を生みだすアーティストの脳内Trip。
暴力、セックス、夢、死体。
謎めいた映像で人々を魅了してやまない著者が、どんなふうに作品が発想されたのかを説き明かし、パワフルに創作する秘訣―長年実践している「瞑想」の効用を語り尽くす。
若きクリエイターへの心を込めたメッセージ。


David Lynch
映画監督。画家。ミュージシャン。
1946年1月20日モンタナ州ミズーラ生まれ。
高校卒業後オスカー・ココシュカに学ぶべく渡欧するが、まもなく帰国。
フィラデルフィアの美術学校で習作づくりに励む。
1971年アメリカ映画協会の奨学金を得て、『イレイザーヘッド』製作に着手。5年をかけて完成させた同作で映画作家の地位を確立。
カリスマ的人気を博す。
『エレファントマン』『ブルーベルベット』『マルホランド・ドライブ』でアカデミー最優秀監督賞にノミネート
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映画監督であり画家でもあるディヴィッドリンチ。
TM瞑想というスタイルでの瞑想を日課とされています。
瞑想を定期的におこない、自分の内的世界を整え、そのことでCreativityを生み出している。
そんな監督の語る言葉は豊かで面白い。


TM瞑想はインド哲学がベースにあるため、ウパニシャッドやギータなどのインド聖典が重視される。
この本でも時々引用されるので、思わず講談社学術文庫の「ウパニシャッド」や岩波文庫の「バガヴァッド・ギーター」を改めて読み直し、うんうんとうなりました・・・。


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David Lynch
「小さな魚をつかまえるなら浅瀬にいればいい。
でも大きな魚をつかまえるためには深く潜らなければならない。
水底へ降りて行くほど、魚はより力強く、より純粋になる。
巨大であり抽象的だ。そしてとても美しい。

万物は一なるものを起源とし、最深部から浮かび上がる。近代物理学ではこの領域を統一場と呼んでいる。
意識‐目覚めの領域‐が広がるにしたがって、より深く根源へと降りたら、より大きな魚をつかまえることができる。」
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→瞑想をすることで意識の最深部に行く。
西洋では意識と無意識と分けることが多いが、東洋では「無」の意識や意識が「無い」という表現はせず、「深層意識」(あくまでも深い層であり、意識で把握しにくいだけとする)という表現が多いです。

リンチも、意識の最深部へと深く沈み、そんな深海にいる「大きな魚」をつかまえにいく、という比喩を使っています。



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『バガヴァッド・ギーター』
「幸福が内にあり、充実が内にあり
光明が内にある人、かくなるヨギはブラフマンと一体になり、聖なる意識の中、永遠の自由に達する。」
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David Lynch
「マントラは意味を瞑想するんじゃない。
それは非常に特殊な音‐振動‐想念だ。」
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「瞑想は純粋意識の大海へ人を誘う。
純粋意識へと。
だが、それはなじみ深いものだ。
それこそ君自身だ。
すぐに幸福感が溢れてくる。
催眠薬で得られる幸福じゃないから、濃密で美しい。」
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→TM瞑想ではマントラ(真言)という、意味をなさない音としてのコトバを師匠から授けられます。
音としてのコトバを唱えることで、左脳的な意味世界から自由になり、右脳的な「一なる」世界へと自分の意識状態を深く深く沈ませていく、というスタイルを取ります。



Jill Bolte Taylor「奇跡の脳」(2012-04-11)の感想を2年前に書きました。

彼女は神経内科の医師ですが、言語脳(意味世界)の「左脳」の脳内出血を起こします。
そんな自分の意識状態を「右脳」が冷静に観察し、彼女をきちんと記憶していました。
確か、TEDでも講演していましたよね。


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Jill Bolte Taylor『奇跡の脳』
「わたしは人生の思い出から切り離され、神の恵みのような感覚に浸り、心が和んでいきました。
高度な認知能力と過去の人生から切り離されたことによって、意識は悟りの感覚、あるいは宇宙と融合して「ひとつになる」ところまで高まっていきました。」
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そのときの状況を彼女は上のように表現しています。

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Jill Bolte Taylor『奇跡の脳』
「知覚は自由になり、意識は右脳の静けさを表現できるように変わって行きました。
解放感と変容する感じに包まれて、意識の中心はシータ村にいるかのようです。
仏教徒なら、涅槃(ニルヴァーナ)の境地に入ったと言うのでしょう。」
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という表現からも分かるように、左脳から自由になると、分離意識のない「ひとつ」の意識状態になります。
そんなことは、「右脳」は最初から知っていたようですが、「左脳」がそれを論理や意識の壁で頑丈に塞ぎ、意識の上に浮上してこないように頑張っているようなのです。
それは左脳の大事な仕事でもあり、はた迷惑な仕事でもあります。


Jill Bolte Taylorは奇しくも左脳の脳出血という病によりそのような天啓を得ました。
病はマイナスの意味だけではなく、こういうプラスの側面もあるわけです。


ほんとうは病を経なくても、自分の力でそんな深海へとダイブし、海の底で宝石を確かにつかみ、その上で自分の力で陸地へと浮上してくる。そして、それを何かしらのコトバで他者へと伝えていく。そういうことが理想なんだろうな、と思いますね。


瞑想には様々な手法があり、長い長い歴史があります。今までは宗教という場がその技術を保持していました。

井上ウィマラ 「呼吸による気づきの教え」(2013-06-05)←超名著!
リック・ハンソン「ブッダの脳」(2012-08-03)
などでは仏教での瞑想が紹介されています。


TM瞑想の創始者である、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーは、極力簡単なやり方で継続的に行えるように、宗教色を抜いた状態で行うことを提案し、当時ビートルズもTM瞑想を習いに行ったこともあり、爆発的に普及したようです。




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『ウパニシャッド』
「空を丸ごと巻き上げて、小さな布にするのは簡単だ。
自己を知らずに、真の幸福を得ようとするのに比べたら」
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David Lynch
「わたしは、憂鬱観や怒りを「マイナス思考の窒息用ゴム製道化袋」と呼んでいる。」
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「私の考えでは、アート・ライフを生きることこそ人が深みへ降りて何かを発見する唯一の方法だった。
実際、アート・ライフとは自由であることだ。」
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「アイデアは自分をスタートさせるのに必要なだけあればいい。というのも、私にとっては作用(action)と反作用(reaction)のプロセスだからだ。常に建設と破壊のプロセスがある。破壊のあとに何かを発見し、また作って行く。そこでは自然が重要な役割を担う。」
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リンチは、色んな粗雑な感情に支配されないように。
そして自分を渦巻く感情を冷静に観察しつつ、それを創造的なエネルギーに使っています。

そこには、「自由でありたい」というリンチの根源的な欲求があり、その手段がアートや映画でもあり、さらに瞑想でもあったようです。
最終的には「自由である」ということ。
瞑想も映画も、そんな彼にとっての手段に過ぎないのです。




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『ウパニシャッド』
「あらゆる自然は魔法の劇場に他ならぬと知るがよい
母なる自然こそ魔法使いの師匠なのだと
この世界は母なる身体の各部を密集させたものだ」
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David Lynch
「映画とは言語だ。話す事ができる。大きくて抽象的な事柄をね。そこが好きだ。」
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「私にとって映像と音響が時間とシークエンスの中で、ひとつの流れになるのを想像するのは、とても素敵なことだ。そして映画にしかできないものを作り上げる。
言葉でもなければ音楽でもない。
あらゆる要素が一体となって、過去に存在しなかった作品ができあがる。
物語を語るというのはそういうことだ。
その映画を見るまでは味わったこともない、世界と体験を発明するんだ。」
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→自分も、あらゆる存在物でやり取りされるのはメタファーとしての「コトバ」だと思います。
存在物同士が互いに交流し交信するためのコトバ。
それは言語的な場合もあれば、非言語的な場合もあります。

病や死という現象でさえも、それは互いが互いに意味を見出していく「コトバ」としてのメタファーでもあります。
「コトバ」は、読み解かれないうちは意味が分かりません。そうして暗号化されているのです。


どんな交流でも、深い次元の交流になると、存在同士の交流になる。
そんな深いコトバを、互いが互いに感知する必要があります。
それは人間同士の交流に限らず、鉱物、動植物、宇宙的なもの・・・色んなレベルでの交流に拡張されるものです



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David Lynch
「好きな言葉に「世界はあなたしだいだ」というのがある。映画も、あなたしだいだと思う。
・・・・・
だから、人々の心を打つにはどうすればいいかなんて、誰にもわからない。そんなふうに策を労するくらいなら、映画をつくるのはやめたほうがいい。
人はただ愛することをするだけであり、何が起きるかが知る由もない。」
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「意識を広げて成長させることができるなら、本を読んで、もっとたくさんのことが理解できる。
外を見てもより多くのことに気づけるし、朝起きてよりよい目覚めが感じられる。
ついていればたくさんの心の幸福が感じられる。

より深い領域で、アイデアを得ることが可能になる。
創造力がほんとうの意味であふれてくるよ。
人生が素晴らしいゲームに変わるのさ。」
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「どんな映画も、どんなプロジェクトも実験だ。
アイデアをどう翻訳するかだ。
翻訳次第で、アイデアは映画になったり椅子になったりする。」
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→こういう発言に、リンチの自由なあり方が垣間見えますね。
自分の存在の在り方次第で、この世界は喜劇にも悲劇にもゲームにも魂の修行場にも・・・何にでも変容しうるようです。



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David Lynch
「こんな表現がある。
「ドーナツに目を向けよ。ドーナツの穴ではなく」
ドーナツそのものを見て、なすべきことをする。
思い通りにできるのはそれだけだ。
その他のものは思い通りにならない。
きみ自身の外にあるものはね。
それよりも、自分の心の中に入って最善を尽くすんだ。
世界はきみを残して過ぎ去りはしない。」
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→「自分」という意識はドーナツの穴のようなもの。ある種の錯覚でもある。
ドーナツの身の部分を「自分以外のもの」とすると、そんな「他者」の無数の存在があることで、その結果何かあるように錯覚するのが「穴」の場所。「穴」自体に近づけば、何もない。
「自分」という意識はポッカリ「穴」が開いていて何もないもの。
だからこそ、「自分」という意識を捨て、ドーナツ全体としての森羅万象を見る。
そういう意識状態は、ある程度の深い意識状態にならないと体験する事すらできない。
そういうことをリンチは言っているように思えます。




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『ウパニシャッド』
「万物は周知であると、承知することで知るのだ。」
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→プラトンは『パイドン』のなかで「学ぶとは思い出すこと(想起:アナムネーシスanamnesis)」であると言っています。

魂(プシュケー)は不滅で輪廻転生を繰り返している。
もとはイデアを見ていた。こちらの世界へと来る時に誕生の衝撃で忘れてしまった。
こちらの世界で肉体を使い不完全な像を見ることでイデアを思い出している。
だからこそ、「想起:アナムネーシスanamnesis)」して「思い出す」ことが大事なようです。

映画『かみさまとのやくそく』(2014-03-25)でも子供たちが同じ主張をしていました。




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『ウパニシャッド』
「一なる意識の開かれた大海は光と水と物質になった
そして、この三元素はあまた多くのもとになった
かくして全宇宙は常にその内側に開かれた
無限の意識の大海として創造された」
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David Lynch
「ヴェーダ科学において、純粋意識の大海はアートマ、自己と呼ばれている。
「汝自身を知れ」と言うが、いったいどうやって知ればいいのか。
鏡を見ても自分を知ることはできない。
椅子に座って自分に話しかけても知ることなどできない。
それは内側の奥底にある。

これは知的に理解するものではなく、万物を生み出す領域の体験だ。
内へダイブして純粋意識の場を体験することで、きみの意識も活性化され可能性も切り拓ける。
そうやって育んでいくんだ。」
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「アクシデントが面白くないこともあるが、その場合はうまく対処しないといけない。
順応するんだ。
一つひとつを退け、また別のものを退けたりしてね。
元のアイデアに留意すれば‐アイデアどおりでいられたら‐驚くべきことに、最後にはアクシデントこそが真率な表現となる。
アクシデントというのは、意外にも、アイデアに忠実なんだ。」
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→「アクシデント」さえも、その創作のプロセスの中に位置づけていく、というのはいいですよね。
物事には必ずプラスとマイナスの二つの面があります。

「アクシデント」はマイナスの側面だけを見ているわけですが、そこに何か予測を越えたプラスの側面を見ることができたとき、「アクシデント」はCreationという大きなプロセスの一つへと組み込まれていくのだと思います。


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David Lynch
「人はみな自分たちの住む世界を反映している。
たとえ時代物をつくっても、自分の生きている時代が反映される。
時代物だって、作られた年代によって違って見えることだろう。
それこそが感受性‐語り口やテーマの切り口‐の違いであり、世界が変わるように感受性も変化していくんだ。

そう、私はモンタナ州ミズーラの男であり、そこは世界のシュールレアリズムの中心ではないが、人はどこにいようろ、今日の世界にうごめく異様なものを見て、物事への確かな展望を持つことができる。」
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「われわれがはいっていく物語世界は、苦悩、混乱、闇、緊張、怒りに満ちている。殺人だって起きる。
ありとあらゆる出来事が起こるんだ。
映画監督がそうした苦悩を映像化するために、もがき苦しむことはない。
人間のあり様をただ見せればいいのさ。
葛藤し、天国と地獄を味わったりするのを。
でも、きみ自身がそうした経験をする必要はない。
映画監督は編曲家であって、自身が辛酸を嘗めることはない。
登場人物に肩代わりしてもらうんだ。」
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→物語世界や創作の世界の真髄のような話です。
村上春樹さんの作品を読んでいても、まったく同じような感覚を得ます。
現代の意識では、性や暴力という暴れ馬を適切に扱えていないからこそ、現代の物語ではそのモチーフが色んな形を変えて勝手におのずから出現してくるのでしょう。
そういう作品世界を多数の人間が読むことで、時代そのものをみんなで浄化しているのかもしれません。



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David Lynch
「芸術家であれば、怒りに囚われることなく、ただその感情を理解すべきだ。
創造するにはエネルギーを持ち続けなければならない。
明晰さを保ち続けるんだ。
アイデアをつかまえなくちゃならないし、この世の信じがたいほどの重圧とストレスをはねのけるために、強く生きなければならない。
だから、強さと明晰さと活力の湧き上がる場所を育むことは理にかなっている。
‐自己の内へダイブして活性化するんだ。」
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→「怒り」は、個人に投げつけられると破壊的なものになりますが、社会や世界や地球レベルの高い次元のものとして使われると、創造のエネルギーへと変化します。
時代をよりよき方向へ変えていくのは、何かしらの「怒り」の創造エネルギーに通じます。それを個人の暴力などの「破壊」のエネルギーに使ってはいけません。




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『ウパニシャッド』
「目にするすべては自己以外のなにものでもない
自己は見るものすべての中にある
かくいう賢者は無から引き出す
悟りを得たものにとり、全存在はセルフに他ならない
いかなる苦しみであれ妄想であれ長続きしない
この一致を知る者にとっては」
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David Lynch セルフの光
「マイナス思考とは闇のようなものだ。
でも闇って何だろう。
闇を見つめても何も見えない。あるものがないだけ。明りをつければ闇は消える。

陽光はマイナス思考を打ち消す事ができない。
闇を一掃できても、マイナス思考は打ち消せない。
ではどんな明りを灯せば、陽光が闇を一掃するように、マイナス思考をきれいさっぱり取り除くことができるだろう。
それは純粋意識である自己の光‐統一の光に他ならない。

闇と闘う必要はない。
闇を恐れることもない。
明かりをつければ闇は消える。純粋意識の光を灯すんだ。」
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→闇と戦う、というと、戦争のメタファーになってしまいますね。
そうではなく、意識状態の問題としてとらえ、自分の意識状態を解決することでおのずから解決していこう、とするのが瞑想的な発想です。


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「誰かが大喧嘩してる部屋に入ってしまったら、まるで楽しくない。雰囲気で分かる。けんかが終わっていても感触でわかるだろう。
でも、誰かが瞑想を終えたばかりの部屋へ入ると、至福が感じられる。実に気持ちがいいものだ。

人はみな周囲に影響を与えている。
内なる光を満喫するんだ。電球が輝きを増すごとに一層、光を満喫できるようになる。
光ははるか彼方へ広がって行くんだ。」
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「場所の感覚が出せるかどうかで、映画は大きく左右される。
なぜなら、きみが入るのは別世界だからだ。
どんな物語も固有の世界を持ち、固有の感覚、固有のムードがある。
小さなディテールを集めるだけ集めて、その場らしさを創造するんだ。」
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→存在同士での交流。
場そのものをCreationすることで、おのずから作品をCreationしていく、という感覚。
かっこいいですね。




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『ウパニシャッド』
「われらは蜘蛛のごときもの
網目状に人生を紡いで渡る
さながら夢見る夢想家であり、ただ夢を生きるのみ
これぞ全宇宙の真実なのだ。」
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『ラーマヤーナ』
「真実は薫り立つ大地を支え、生活を潤す
真実は炎となって燃えたぎり、大気を揺るがし
太陽を輝かせ、生きとし生けるものを育む
隠された真実こそがすべてを支える
探して勝ち取るがいい」
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『バガヴァッド・ギーター』
「自身の本質に立ち戻れば
何度でも創造できる」
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ということで、今回も長くなりました・・・・・
あまりにも心に響くコトバが多かったもので。

特に何らかのCreationをする場にいる方には、是非とも読んでほしいですね!
言葉が口語で平易なので、内容は深いですがすぐ読めますよ。
いろんなInspirationを受けました。




追伸)
ビートルズもTM瞑想してました。
当時のいろんな人が影響をうけたようです。
じぶんも、高校時代にビートルズの音楽や存在全体に全身をつらぬかれました。


ビートルズの「Across the Universe」という曲に、
「Jai guru de va om」
というセリフがあり、高校生の自分はネットがない時代にこのことを調べたのを思い出しました。


「Jai guru de va om」は、「導師(グル)に感謝を捧げます」の意味を示すマントラ(真言)です。
「マントラ」そのものは、意味や論理を超えた次元のオトの役割があります。
波としての、振動としての、コトバです。ただ声にだし、音として発し、それを体で体感するためのものなのです。
高校時代に意識がトリップする。
懐かしいなぁ。



The Beatles「Across the Universe」

Words are flowing out like endless rain into a paper cup,
They slither while they pass, they slip away across the universe
Pools of sorrow, waves of joy are drifting through my open mind,
Possessing and caressing me.
Jai guru de va om
Nothing's gonna change my world,
Nothing's gonna change my world.

Images of broken light which dance before me like a million eyes,
That call me on and on across the universe,
Thoughts meander like a restless wind inside a letter box they
Tumble blindly as they make their way
Across the universe
Jai guru de va om
Nothing's gonna change my world,
Nothing's gonna change my world.

Sounds of laughter shades of earth are ringing
Through my open views inviting and inciting me
Limitless undying love which shines around me like a
Million suns, it calls me on and on
Across the universe
Jai guru de va om
Nothing's gonna change my world,
Nothing's gonna change my world.

(個人訳)
ことばが 流れ出ていく
おわりない雨が 紙コップの中にながれるように
ことばは 過ぎ行き ことばは 進む
ことばは 静かに去って行く 

宇宙を 突き抜けて
悲しみの海と 喜びの波とが 
ぼくの開かれた心を ただよう

ぼくを所有し ぼくを愛撫する
Jai guru de va om

なにものも ぼくの世界を変えることはない。
なにものも ぼくの世界を変えることはない。

やぶれた光のイメージが
ぼくのまえでダンスをする
無数の目のように

ぼくに呼びかけつづける 
宇宙を突き抜けて

思考は くねくねと動く
レターボックスの中を巡る せわしない風のように
思考は 盲目に ころげまわる
じぶんで じぶんの道を つくるように

宇宙を 突き抜けて
Jai guru de va om
なにものも ぼくの世界を変えることはない。
なにものも ぼくの世界を変えることはない。



笑い声 地球の色合い 響いている
ぼくの開かれた目を通して 
ぼくを呼び ぼくを駆り立てる

無限の 永遠の 愛が 
ぼくのまわりで 輝く

無数の太陽のように 
ぼくに呼びかけつづける

宇宙を 突き抜けて
Jai guru de va om
なにものも ぼくの世界を変えることはない。
なにものも ぼくの世界を変えることはない。

4 コメント

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デヴィッド・リンチ (スイッチ)
2014-05-04 03:45:36
デヴィッド・リンチの本のタイトル、すごくいいですね。
無数のイメージを恐れなく使う彼の映画が、
瞑想によって作られているとは知りませんでした。
そう言われると、そのなのかもしれない。
「ツイン・ピークス」、よく見てたなあ……。
ダイアンっていうレコーダーが懐かしい。

ビートルズのAcross the Universe は私も大好きな歌です。
こういう意味だったのかあ~って思って歌を歌いながら読みました。

きっと、深い深い瞑想状態で
その深さの中では、何者もその世界を変えはしないと
歌っているのでしょうね。

きっと、bloken light は断続的な光で、
水面が断続的に光っているようなイメージがあります。
湖の湖面が光り続けているような……
そういうものを観ていると私の脳はおかしくなっていきますよ。(^ ^)
Unknown (スー)
2014-05-05 00:09:30
「心を開く瞑想レッスン」 井上ウィマラ
おすすめです。
読んでみます (是誰庵玉猫)
2014-05-05 16:07:55
いつも色々な本を紹介して頂いてありがとうございます。私も瞑想するので、これらの言葉(箴言)には共感するのですが、<ブッダの脳>は寡聞にして、読んだことがありませんでした。どこかで見つけて読んでみます。
瞑想?迷走? (いなば)
2014-05-06 20:17:50
>スイッチさん
デヴィッド・リンチの本のタイトル、いいですよね。
深海にもぐり、見たこともない大きな魚をつかまえよう!というのが彼の瞑想のメタファーです。
先日、自分も呼吸法ワークショップで深い呼吸をしていたら(1分間に3回くらい?)、深海のイメージと、その深海に緑みどりした山があり、その真ん中に太陽が鎮座しているという不思議なイメージがわきました。おもしろいものですね。明晰夢のような状態でしょうか。

たしかに、リンチ監督の作品って、なんだか瞑想的ですよね。
不思議なイメージの集合体というか・・・。


ビートルズのAcross the Universe、改めて歌詞をみると深いですよね。
自分も高校の時せっせと調べてて、なんとなくわかった気になってましたが、あらためてよく分かりました。

ビートルズの音楽は誰にも永遠に侵されない、そんな印象を受けました。
それくらいの普遍性ありますしね。

>スーさん
井上ウィマラさんの本は全部読んでますので、そちらも読みました。いい本ですよね。ウィマラさんの本はすべて好きです。

>是誰庵玉猫さん
<ブッダの脳>は、瞑想をサイエンスで解釈しようとした本ですね。科学領域の自分にはいろいろと興味深い内容でした・・。あっという間に読めた覚えが。
横尾忠則さんの「今、生きる秘訣―横尾忠則対話集」という本も、もともとはメディテーションという雑誌の連載企画なので、これもやや瞑想について論じつつ、かなり普遍的な話をしていて面白かったですよ。
http://blog.goo.ne.jp/usmle1789/e/b9585bc2429e4b7c56edb25821af5fa7