日常

立ち読みにて

2009-01-18 11:24:37 | 
◆立ち読みにて

本屋で少し時間があるとき、立ち読みするのが常です。
本屋で立ち読みする時ってあんまり本格的なのは読めない。ずっと立ってると疲れるものね。だから、立ち読みする時は詩を読むか、幼児~低学年用の本を読むか、雑誌を読むか、あとは新刊で興味ありそうな前書きだけ読むか、写真集を見るかってということを常としております。

Amazonって検索していると、その関連本が出てくるから面白い。しかも感想見てると読みたくなるもの多し!
この関連本を置くっていうのに意識的なのは、ジュンク堂がやっていて、ABC(青山ブックセンター)がやっていて、最近は都内のTSUTAYAがやってるんだけど、本屋はこういう見せ方が買いやすいですよねー。
出版社単位で置かれていても、別に出版社で買うわけでもなく、基本的には著者とか人物とか興味ジャンルとかで、本を探す旅に出るわけだし。


◆ブックディレクター:幅允孝さんのお仕事

以前、情熱大陸でも紹介されてた幅允孝さんって人が、ヒルズのTSUTAYAの本をセレクションとかしてるみたいだし。あそこはセンスいいんだよなー。幅允孝さんみたいな「ブックディレクター」っていう仕事って今後も注目されるだろうなぁ。彼のようなものすごい読書家じゃないと無理な仕事だし、希少価値も高いんでしょう。


本を探す旅で思い出すのが、学生の時、神保町の三省堂行ったときはタマゲタ!本の大海原。洪水。溺れて死にそう。 でも、大学生時代の無限に暇なとき、あの中を放浪して出会った素敵な本もいっぱいあるんで、思い出深いとこでもありますね。風の旅人の創刊号を手にとって電流走ったのも、神保町の三省堂だし。
ちなみに、なぜか<じんぼうちょう>を変換したら、最初に<人包丁>って出てきてびびりました。別に、いつも包丁ってタイピングしてるわけでも、自分の脳内無意識が現実に可視化してきたわけでもないですよ。自分が考えてもいなかった途方もない言葉が飛び出てくると、目の玉が飛び出そうになります。


まあ、そういう立ち読み放浪の中で、最近出会った素晴らしき本をご紹介。


「ちいちゃんのかげおくり」あまん きみこ(著), 上野 紀子(イラスト)



ちなみに、ここに全文載っていますよ。ふと何気なく読んだら泣けます。

この本って小学生の時教科書に載ってて、なんか戦争のこと書いてたなーとかはうっすら覚えていて、小学生時には女子と校庭で影おくりゴッコとかしたのも覚えてる。目の残像で見える錯覚のような不思議な感覚なんですよね。

「ちいちゃんのかげおくり」を改めて読むと、ラストの終わり方がすごい。生とか死をこんなにも美しく幻想的に書けるものなのか。死と生を断絶したものではなく、淡い境界がない緩やかで連続したものとして、移ろいゆくものとして書いている。そして、ちいちゃんの魂を物語の中で救っている。自分が感動した、『彼女について』(よしもとばなな)とも相通じるものがある。


戦争を、悲惨で怖く陰鬱で怨念に満ちた大きな負の塊としても書ける。でも、視点を変えると、こういう風に戦争や生死を伝えるたり表現することもできる。
いかに、この世界は自分のとらえ方次第で、主観でどうにでも変化することを改めて感じます。

ミスチルの桜井和寿大先生も、『CENTER OF UNIVERSE』っていう曲でこう詠んでおります。
===================
どんな不幸からも 喜びを拾い上げ
笑って暮らす才能を誰もが持ってる
・・・・・
あぁ世界は薔薇色
総ては捕らえ方次第だ
ここは そう CENTER OF UNIVERSE
===================




「子どもにおくる般若心経」新井 満



最近は、思想・哲学・宗教も雑食のように読んでます。全部は納得できないんだけど、部分部分では共感できるとこもありますね。活字だとよくわからんのは漫画で。

自分は、いわゆる<日本人的な無宗教>というジャンルに入る人間なので、患者さんでイスラム教とかキリスト教とか仏教とか色んな宗派の人がいて、患者さんとの会話のためにも、教養として知っておこうと最近思い立ったのです。人の死生観って、思想や主観や宗教を全部ひっくるめた総合的なもので、その全体性を尊重するのが大事だし。
重い腰をヨッコラショとあげて、広大な知の蓄積を垣間見つつあります。


その中でやっぱり入りやすいのは仏教。草食系だからかなぁ。父なる一神教と違って、母なる観音様のような包まれるような宗教感だからかなぁ。
最近、仏教を勉強しといたほうがいいよ!かなり面白いよ!って周りの信頼できる人々からほぼ同時期に云われたこともあり、少し勉強中。今は法然とか親鸞とか鈴木大拙とか禅とか釈迦とか、順番もへちまもなくごった煮で読んでます。

まあその流れで必然的に般若心経っていうのを学んでみたんですが、こりゃおもろい!
色即是空、空即是色が有名だけど、自分のばあちゃんが読経したりしてたの見た覚えあるけど、こんな深く壮大な世界観だったんですなー。驚き!まあ、ネットではあらゆるところに現代語訳があると思うんで(例えばココとか)、なんとなく読んでみてくださいよ。


あまり仏教色強いのも抵抗示すかもしれませんんで、この「子どもにおくる般若心経」って本、是非チラリと読んでみてください。子供でも大人でも面白く読めますよ。


全ては実相がなく、移ろいゆく。
形あるものは全て無に帰る。そして、その無から形あるものは生まれる。
全ては常に変化して移ろいゆく。


こういう色即是空、空即是色の考え方って、やっぱり日本のモノのあはれの考え方と近い。自然の風景や景色を愛して観察した人たちは同じ思いを感じる気がする。


鴨長明も方丈記で
===================
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず
よどみに浮かぶうたかたは、
かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたることなし
世の中にある人とすみかと、またかくの如し」
===================
って言ってるしね。

なんか、「ちいちゃんのかげおくり」も、なんとなく最近立ち読みしたから紹介したけど、根柢の世界観は般若心経の世界観に近いのかも。

本、人、全ての出会いは縁ですからね。
立ち読みであれ立ち話であれ、なんであれ、大切にしとるのです。


それより、「いい大人なんだから立ち読みせずに買いなさい!」っていうのはナシでお願いします笑

10 コメント

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Unknown (さくらば)
2009-01-19 02:16:35
ちいちゃんのかげおくりは、僕は小学生時代に強烈な印象がありましたよ。

般若心経と通底するというのも同感で、特に、せめて安らかな成仏を願い、死を受け入れるための世界観なんだろうなと僕も感じます。
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「命を送る」 (いなば)
2009-01-19 08:55:25
わしも、「ちいちゃんのかげおくり」って強烈にタイトル覚えてたんだけど、戦争の話で・・・くらいしか覚えてなかった。 今この年齢で読みなおすと、すごい世界観で驚いた。
かげおくりというものが、「命を送る」という行為にも言葉が重ねられているようにも読めるし。
「命を送る」ってのは、医療現場で働く自分にとってはかなり大きいテーマなので、すごく感じ入りましたね。

さくらば君も書いているように、いかに悲惨で過酷で惨めで悲しく切なく希望がないような死に方に見えても、いかにその生そのものを肯定して、魂を救い、鎮魂するか・・・こういうことを書いている世界観ですね。

医療関係者以外の人は、日常生活では自分の親類が亡くなったときにしかなかなか考えないテーマでもあるかもしれませんが、その衝撃とは大きいものなのですよね。そのときの、心構えや救いとして、このような絵本や文学は、本当に素晴らしいと思いますね。多くの人が救われたことと思います。
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職業創作の自由、アハハン♪ (Is)
2009-01-20 00:33:26
「ブックディレクター」って
素敵な肩書きですよね。番組も見たし、
最近、新聞でも一面紹介されていてノってますよね。
先日のNHKのアーカイブで立花隆も言ってたけど、
中学生に将来の職業何になりたいかなんて聞いたって、彼らが社会に出る頃には、今ある職業の半分は衰退してるし、逆に、半分はまだ顕在化していないって。
そう考えると、今あるものから選ばせるのではなくて、創作で職業をつくる…それをタイムカプセルか何かで将来当たってるかどうか…みたいな授業なら面白いかも。そこに、「ブックディレクター」なんて書いてるやつがいたりして。
…でも、インテリアコーディネーターとかって昔はなかったんだろうし。ワープロ代行業なんてちょっと前までありましたからね。
この辺は、「イマ」テーマとかでも面白いのかもね。

ちなみに、「アウトドア般若心経」ってのがみうらじゅん大先生にあるんですね。
ホントに行くところ行くところ、先んじて大先生がいる…。頭が下がります。ゆるキャラ以降って最近そういえば何してるんだっけな?
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>立ち読みにて (ShinK)
2009-01-20 00:51:45
■ちいちゃんのかげおくり
こんなお話が小学生のテキストに載っているというのは、ある意味すごいことだと思う。まだ大人が持つような高度な抽象概念を持つ前に、生きるとは死ぬとは、魂とはという大きなテーマに自然に触れることができるのだから。

それと同時に思うのは、幼いときにこの話を経験していたことが、大人になって再度この話に出会ったときの衝撃にリンクしていくのではと考えたりもします。

幼い頃に思った、ただかわいそう、何だか悲しいが、今はもっと人間とは?愛情とは?といった問いに繋がって、気づくという感動を得ることができるのだから。

■ブックディレクター
「ブックディレクター」は、数年前にジュンク堂の女性ディレクターの特集記事を毎日新聞かなにかで見ました。
すごいこだわりで、棚割りによって売れ行きは大きく異なり、どんな組み合わせで紹介するか、世間の関心を敏感に感じていくところなんかは、職人技だと思ったのを思い出します。

■職業創作
ところで、NHKアーカイブの立花さんのとはどんな番組だったのですか。すごく興味があります。ときどき、立花さんからは刺激ほしいんだよなあ。

IS君のコメントの「職業創作の自由」、これかなりヒットしました。そうだよね既存のステータスや職業の枠に縛られていては、つまらない!
ドラクエでもFFでも、いろんな職業混ぜ合わせて自分なりのキャラっていうのも幼心に感じていたし。

これから自分は、何に成長して成っていくのかなって、いまだに想像するとわくわくします。
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みうらじゅん、自意識過剰、大人への境界 (いなば)
2009-01-20 15:07:31
>>>>>>>>>>>>Is
「ブックディレクター」、Is氏も特定ジャンルに限定すれば十分いけるよー。

立花隆の『今ある職業の半分は衰退してるし、逆に、半分はまだ顕在化していないって』って言ってたのはわしも心に響きました。結局、時代や世界が生き物のように変化してうごめいているから、仕事ってのもそれに応じて増えたり減ったりするのよね。

それこそ、農業とか漁業とか林業とか、そのあたりのジャンルも、今の時代にあった形で新しい仕事が創出されれば、日本の食とかの未来も明るいと思う。今はあまりにも食文化に関わる人を軽視しとるし、絶対に罰あたると思いますわー。



みうらじゅん大先生の「アウトドア般若心経」って、一文字一文字を道端の看板とかを写真とって組み合わせているやつだよねー。当時あの本が出た時はあまり意味わからんかったけど、最近般若心経の意味を理解してから、やっと分かったー。みうらじゅんってほんとああいう形で、みんなが見落としていてよきものを現代風にユーモア交えて提示するっていうのは天才的!
「ゆるキャラ」とか「いやげ物」は地方への愛に満ちた眼差しだし、見仏記とか般若心経は仏教の別角度からの見直しだし・・・。みうらじゅんは僕らの先をおもしろおかしく先導してくれてるって気がする。孤高の人。いつか会って話したいなー。


みうらじゅんは、今「みうらじゅんDS」ってDVDを続けて出してるよ。“DS=どうかしてる”ってのに注目してるらしい。そして、中学時代の誇大妄想時代の自作の詩を紹介しとるらしい。
これって、自意識過剰な自分を見直して、自意識を見つめなおす作業のようにも見える。中高校時代って、ほんとみんなが過剰に自意識過剰だもんねー。今思うと自分でも恥ずかしいこといっぱいしてるけど、それもまた自分。そんな過去の自意識が過剰に作られている燃えたぎる時期を見直すってとこも、さすがみうらじゅんだー。自意識って、田口ランディの「パピヨン」読んでから、今個人的に注目してる言葉だし。デカルトの『我思う、ゆえに我あり』のコギト命題(精神肉体二元論)も相通じるものあり?



>>>>>>>>>>>>ShinK
『ちいちゃんのかげおくり』、改めて全文読むとすごくない?なんか一言一言が身にしみるというか・・。
確かに、小学生時代にあれを完全に理解するのは相当に早熟じゃないと難しいよね。まだ現世とかあの世とか魂とか、そんな概念自体が全くないだろうし。ていうか、今だに僕らもよくわからん謎多きテーマでもあるし。
小学生の時だと、『戦争は両親も死んじゃっていやだなー。悲しいなー。』くらいしか思わないだろうね。俺もそうだった。
でも、あの絵本で、あまんきみこさんがかなりうまく表現しとる。あの文章能力はほんとスゴイ。10歳当時の自分も、30歳になった自分がまた同じ文章に出会うとは夢にも思わんかったけど。本屋で立ち読みする時、タイトルだけ覚えてる絵本とか、意識的に読むようにしてるんだけど、大人が書いたものでもあるし名作でもあるし、内容が相当に深いの多いよね。シンプルだからこそ示唆に富むというか。


………………………………………………
「職業創作の自由」、この辺が出てたのは、爆問学問の、『成人の日スペシャル:「大人になる」ということ』でやってたよ。
http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20090112.html
いつか再放送しないかなぁ。Is氏だったら、デジタルデータに変換して保存してそうだけど。

この回も、「大人になるってどういうことだろう?」をテーマに話してて面白かった!確かに、大人の境界ってよくわからん。税金納めること?社会性を意識すること?・・・立花隆は、『成人の日はいろんな責任を取らせるために国が決めたにすぎない』って言ってた。だから、本質的に大人になるってのは20歳では勿論句切れないんだろうけど、その辺を色々考えてみるのもテーマとしてはかなり面白い。自分が大人かって言われると、あまりその意識ないし、中高校時代と、精神的には全くかわっとらんと思うけどなぁ。

職業創作に関して。
岡本太郎とか、絵描きでも文章書きでもあるけど、<職業:岡本太郎>って感じだし そういうのは仕事の理想だよね。あまり区別とか境界がないっていう状態はすごい気がする。遊びも仕事も境界がなくて、その人の生きざまそのものが仕事でもあり遊びでもあるみたいな状態。 そういう人って、全てにおいて自分に正直で、『わたし』がピッタリと『わたし』である人なんでしょうね。嘘もごもかしもなくてね。それが本当の意味での個性やオリジナリティーなんだろうとも思います。
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あるよ。 (Is)
2009-01-20 23:10:11
>Is氏だったら、デジタルデータに変換して保存してそうだけど。

…あるよ。(もちろん、HEROのマスター風に)
結構、容量重いのよね-。
そろそろ動画とかも送れる時代になればいいんだけど。
ってか、NHKはホントに凄すぎるから、ぜひ、もっと、自由自在に過去のアーカイブとか見れるシステムが欲しいなー。
毎日毎日新しいものつくって玉石混合なのより、評判の定まったアーカイブの方が、有意義な時間が過ごせる気がする。
もはや、映像にも古典が出始めるんでしょうね。
たしか糸井さんも、小学校の道徳の時間なんか、「北の国から」みんなで見て、あーだこーだ言ったらいいって提案してた。
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映像の古典、再放送の徹底! (いなば)
2009-01-21 09:33:30
>Is氏
わしも同感で、ファッションとかもそうなんだけど、常に新しいもの!新しいもの!と追及していくと必然的に質が落ちる。新しいものをつくるために、ものを作る。っていう本来の目的や思いからもドンドン離れる。テレビ番組もそう。

それよりも、何度も再放送に耐えうるものを作り、何度も再放送すればいいと本当に思うんですよ!今のテレビや時代の流れに逆行するかもしれんけど、絶対にそっちのほうが伝える質の重みは増す。絶対にいい。
ゴールデンタイムにも、昔のごっつええ感じ再放送したり、ひょうきん族を全部再放送したり、NHKの映像の世紀とか、あの人に会いたい。とか・・・
出し惜しみせず何度も何度も、繰り返し繰り返し再放送すればいい!なんでそんな当たり前のことをやらないのか常々思います。
岩波文庫と同じですよね。わしも映像に古典ってあると思う。映像ができて100年そこらだから、あまり自覚的じゃないだけで、今からは過去の素晴らしい映像を繰り返し放送すべきだと思う。えらく値段の高いDVDにして売るだけじゃ芸がないですわ。

そうやって時代と共に残っていくものを何度も毎年のように再放送していくことは、テレビの作り手にとっても大きなモチベーションになると思う。そのときに受けるのを作ればいいとか、そういう付け焼刃なものじゃなくて、10年、100年先に残るのを創ろう!って思う熱い人たちが残っていくと思う。

このブログも、テレビ関係者の友人見てるので、是非この辺を上層部に伝えといてくださいな笑
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you tubeはゲリラ的にすでにやっている。 (いなば)
2009-01-21 10:44:33
補足
あと、上にわしが書いたことを、ゲリラ的にやってるのがYouTubeな気がする。


「ほら!こんないい映像あるよ!見て!見て!」っていう発想が基本にある。もちろん、著作権とかいろんな問題があるはずで、今は過渡期だから軽い無法地帯なのかもしれんけど。

でも、あれはテレビ局側が昔の素晴らしい映像に対して敬意を払ってなかったとも言えるよね。こんないい映像、世界中に見てもらいたい!っていう思いのようなものも、YouTubeから感じることも多いです。
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時代の変換点 (Is)
2009-01-21 22:28:33
う~ん!ホント時代の変換点!
(数十年後に、このブログが
時代的考証されてたりして(笑))

多分、そこでネックになるのが
「お金」の問題なんだろうナー。
つまり「新しいもの」に価値観があることの裏にひっついているのが
「その方が儲かる」ってことなんだろう。
実際、僕の業界でも、
スクラップ&ビルドを望んでる人たちがいることは事実。結構対立してます!
古典に価値があるのは分かった。
しかし、儲からん!って一蹴されるのがこれまでの企画会議なんだろう。
前に鈴木謙介のTBSラジオ「Life」
に糸井さんがゲストに出たときに
http://www.tbsradio.jp/life/20061118_itoi/
文化系は楽しいんだけど儲からないんだよな~みたいなことを言っていた。

それで、いまの「金融危機」ですよ。100年に一度級の!
水野和夫『金融大崩壊』とか、小幡績『すべての経済はバブルに通じる』あたりが評判高いので、読んでみるのだが、最後の最後で、何でお金に価値があるのかとか、金が増えるとか、無いとどうなるとか、…核の核が腑に落ちないんだな~。

なんとなく、今のお金至上主義的なものに、ちょっと距離を置きたいという感じもありながらも、多分、そんな単純なモノじゃない気もする。

また、昨今のCorinや鍋パじゃないけど、
古典や好きなモノをお勧めし合ってキャッキャ言ってる未来像もぼんやりとは見えつつ…

まったくまとまりないですが
今のこの激動感を享受&記録しつつ(例のNHKの番組で立花氏も楽しんでたもんなー)
未来は楽しそうだ…ということで。オソマツ。
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未来 (いなば)
2009-01-21 23:30:10
>>>>>>>>>>>>>>>IS

そうだねー。
儲かるを第一義的に置くのが資本主義とすれば、次はどこを目指すか、これはまだ混沌としてるよね。共産主義とか社会主義は、結局は上層部が腐敗して挫折してるし。どっちでも限界くるんだろうなー。

次に来るものは金融資本主義を部分に含めながら、その上で変化していくとしたら、「ある程度儲かる」というのは前提になるのは当然かもね。お金中心に考えると、誰かが損すれば、誰かが得するっていう天秤の構図はしょうがないんだけど、お金じゃない価値観を同等に持ってくることさえできれば、WinWinの関係(どっちも得した!って思える関係)は作れそうだと思うのよね。

次にお金と同等の価値を持てるものとしたら、やはり知識とか知恵とか教養とか、自分の中に育むものを見直す時代が来ると思うんだよなー。お金は株や宝くじが当たれば一夜で百万長者になれる。お金があればプラダもグッチも着れるし、身なりさえよくて金さえあれば大抵のところでは一人前に扱ってもらえる。
でも、身なりやお金は簡単に身につけても、知識や知恵や経験は一日にしてならず。メッキはすぐにはがれる。そういう時間を経てしか身に付かない普遍的なものに、もう少し光がさしてくるとは思うんだよねー。
このご時世だからこそ、元々は大したことがない自分でも、コツコツと毎日毎日丹念に自分を磨き続けた人、そういうものを時代は求め始めるだろうなーって予感はするけど。

表層だけ追い求めても何の解決にもならなくて、もっと奥深い本質的なものを追い求めないと、この社会は良くならないって、そういう芽が出てきている予感はする。

その先に、自分より経験がある年寄りを敬いましょうであるとか(今は労働力にならない=お金にならないという発想だけでお年寄りが冷遇されている。儒教的な思想ではなくて年長を敬うという発想。)、過去の古典をもう一度紐ときましょうとか(神話や土地の風土や伝統を見直す)、未来や過去を長期的に見る姿勢が出てくると思うんだけどなぁ。ただの夢物語なのだろうか? 
でも、岡本太郎が万博の時の太陽の塔で、「人類の進歩と調和」という大テーマに猛烈に反発して提示した世界観も、こういうことだった気もするし。


儲からない。でも、赤字ではない。

という発想でいいんではないか。無限の成長なんてないんだし。少しの赤字と少しの黒字でトントンにしていく社会でいいんじゃないかって方向に行きたいね。どんどん格差が出て歪んでいく世界は破滅への道のような。自爆というかね。

ま、わしも今の「金融危機」の果てに、世界や社会がどういう方向にうごめていくのかは冷静に観察している一人。どこに向かうんだろうか。

ま、わしはPositive Thinkingではなく、きっと未来は明るいとも思ってるけどね!


桜井和寿大先生も『終わりなき旅』でこう詠んでいるし
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閉ざされたドアの向こうに 新しい何かが待っていて
きっときっとって 君を動かしている
いいことばかりでは無いさ でも次の扉をノックしよう
もっと素晴らしいはずの自分を探して

胸に抱え込んだ迷いが プラスの力に変わるように
いつも今日だって僕らは動いてる
嫌な事ばかりではないさ さあ次の扉をノックしよう
もっと大きなはずの自分を探す 終わりなき旅
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こんな感じの未来なんでしょう!
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